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第7章:First Decision

最近は バー・レッドに立ち寄ることが多くなっていた。 櫻井先生から紹介された店のようなものなので 櫻井先生とバッティングしない 櫻井先生が当直の夜だけだったが。 たまに現れる透くんの恋人の山根さんとも 加えて話すようになり いつの間にか仲良くなった。 俺よりも10歳ほど年上の山根さんは 常に落ち着いていて もうすぐ30になる俺が言うのも変だが、 とても大人だった。 「柏木先生、もう吐いちゃえば?」 いつも大人で冷静な山根さんが、 アルコールをただただ流し込んでいく俺を心配そうに見た。 「こんなもんでリバースなんてしませんよ。」 「そうじゃなくって。 なんか抱えてるんだろう? 僕でよかったら聞くけど?」 「あ・・・。いえ。」 「・・・恋愛?」 「・・・。」 「なになにぃ?柏木先生、好きな人いるんですか?」 唯一いた俺たち以外の客を見送った透君が 俺たちの会話に割って入った。 「多分、高校の時からずっと同じ人が好きなんです。」 「うん。」 驚いた顔をした透君と 冷静に話を聞く山根さんが 同時に相槌を打った。 「・・・二つ上の先輩で 高校で付き合ってたんですけど、相手の卒業と共に別れて。 もう10年以上経っているんですけど、 多分ずっと忘れられなくて。 最近・・・再会して、思いが蘇ったと言うか・・・。」 「え! なんかドラマみたいですね!」 透君が目を輝かせながら聞いていた。 「ドラマだったら、 どんどんハッピーエンドに向かっていくんだと思うんですけど、 どうもそんな感じがしなくて。」 「脈なしなんですか?」 「・・・良くわかりません。 相手の気持ちがうまく読めなくて。 高校の時、別れた理由も良く分からなくて・・・。 相手の卒業式の日に、 急に別れを告げられて・・・。」 「・・・あれ?間違えてたらすみません。 柏木先生って、男子校でしたよね。」 「・・・あ、はい。」 「と言うことは・・・お仲間・・・でしょうか。」 「・・・あ・・・そうなるんですかね。」 透君がゲイだからということもあるかもしれないが 男が好きだったことを初めてカミングアウトした割に 俺は冷静に対応できたと思う。 「・・・あともう一つ・・・。 柏木先生のご実家って 産婦人科専門のクリニックですか?」 「え?あ、よくご存じで・・・。」 「いや・・・あの・・・ 勝手な推測で申し訳ないのですが、 柏木先生の付き合ってた人って もしかして・・・櫻井先生・・・ですか。」 「え!?」 「・・・いや、あの・・・ 前にも似たような話を聞いたことがあって・・・ 点と点を結んだら・・・なんか線になっちゃって。」 初めて、誰かにこのことを知ってもらえた開放感と 知られてしまったと言う不安で 俺の心臓は どうしようもないほどにバクバクと脈打っていた。 「櫻井先生も高校の時に 産婦人科クリニックの御曹司の後輩と付き合っていたって言ってて。 ・・・同じ高校だってこの間おっしゃってたので・・・。」 「・・・あ。」 「それだったら脈ならあるんじゃないですか?」 「・・・え?」 「最初に一緒に飲みにこられた時だって 独占欲丸出しだったじゃないですか。」 「え?」 「なんか僕と柏木先生が盛り上がって喋ってる時に わざと帰ろうなんて、言っちゃって。 あんな櫻井先生見たの初めてだったので、 びっくりしましたよ。 でもまぁ、こう言うことが理由なら なんとなく納得というか。」 「納得ですか?」 「ええ。だって櫻井先生が産婦人科医になられたきっかけを作ったのが、 柏木先生なんだなって。」 「・・・え?」 「・・・あぁ。すみません。なんかガヤが。」 「・・・いや。え。あ・・・。」 まずい、と思った顔をした透君を見て 俺はもしかしたら聞いてはいけないものを聞いてしまったのか、と思った。 「・・・透、他人の恋愛にツッコミすぎだぞ。」 「え。だってー。」 「柏木先生、櫻井先生とちゃんとお話になったらどうですか?」 俺は、透君からの情報全てに 揺り動かされ、 そして、混乱した。 他人からの言葉なんて 何が本当かなんて分からないものだが 都合の良いことだけ 鵜呑みにしてしまうのは 人間の悲しい本質なんだろう。 それでも透君の言っていることの 何が真実なのか、 どうしても知りたくて 俺は財布にあった五千円札をバーカウンターに残し、 透君たちに軽く挨拶をし バーを飛び出していた。 **** 文化祭が終わってからの 俺と櫻井先輩の関係は それなりに順調だった。 生徒会の仕事からも解放された先輩は、 受験に向けて 最後の追い上げに入っていき、 塾に通ったり、 家庭教師からの個別指導を受け始め、 学校で一緒に過ごすことは少なくなったが、 毎日欠かさずメールで会話をしたり、 週末少しでも互いの時間が合えば 会ったりしていた。 そのため体を重ねることは少なくなっていたが、 俺も、 きっと先輩も、 ただ会えるだけで幸せな日々だった。 2月末の東京大学入試の日まで 俺たちはそのように過ごした。 会えない年末年始も 「来年はクリスマスを一緒に祝おう!」 「初詣も行きたいね。」 と、未来の約束に 期待を膨らませた。 家族と行った初詣では、 先輩のために合格祈願をし、お守りを買った。 「何をそんなに祈ってるのかしら」 と母や妹に笑われたが、 俺が出来ることはこんなことしかないため、必死だった。 入試が終わると 先輩はその足で俺に会いにきてくれた。 人気のない家の近くの公園で 会うなり抱きしめられた。 まだ白い息を吐くほど 寒い気候に、 互いに着ていたダウンがカシャカシャと 擦れた。 先輩の強い抱擁が 俺に会いたかったんだ、と感じて 少し照れ臭くも 満たされた気持ちになった。 「先輩どうでしたか?」 「・・・どうかな。」 既に有名私立大学にも 数校受かっていたため 若干余裕に見えた。 「ま、どっちみち 東京だから離れることはないよ。 後一人暮らしもする予定だし。」 「はい。」 「いっぱいイチャイチャ出来るな。」 そう言い、腰にある手を するりと、尻のほうに落としていった。 「先輩、こんなところで・・・。」 「もどかしいな。」 「・・・俺んち来ますか?」 「・・・良いの?」 「先輩、うち、来たことなかったですよね。」 「そうだね。」 「家族はクリニックのほうにいて、 妹もさっき友達と出かけて。」 家の方へ向かう足の速度が 少しずつ早くなる。 木々に覆われた住宅街を少し抜けると 開けた道になり、 うちのクリニックがある。 この地域では一番大きな産婦人科病院らしい。 「あ、ここ。」 明らかに主張している看板を先輩が指さした。 「あ、はい。うちの親の・・・クリニックです。」 「綺麗だね。」 「数年前にお父さんが建て直して。」 「へぇ。」 そのクリニックの裏に隠れるようにある 3階建ての家に先輩を案内した。 「家族経営って言ってたけど、 まさか こんなに近くに住んでたんだな。」 「そうですね。すぐ駆け付けられるように。 おじいちゃんの代からそうなんです。 おじいちゃんも 近くに住んでます。」 ドアの鍵を開け、 俺は家に誰もいないか再度確認し、 先輩を3階にある自分の部屋に連れて行った。 「すみません、散らかってて。」 床には本やDVDなどが雑に放ってある。 先輩はそんなことを気にする様子もなく すぐさま俺をベッドに押し倒した。 「ベッドは綺麗なのな。」 「ベッドメイキングだけはしろって 小さい頃から言われてて。」 「へぇ。」 あまりその話題には興味がなさそうに答え 先輩は俺の頬に唇を寄せた。 「公園の時からずっと真っ赤だったよ。 かわいいなぁ、本当。」 数回頬に口付けた後、 冷えた首元に舌を滑らせた。 生暖かい舌触りが 心地よかった。 そのまま俺たちは 一緒に過ごしたかった長い時間を埋めるかのように 1秒でも離れるのが惜しいような 長いキスをした。 先輩に出会ってから このベッドの上で 毎日のように先輩のことを思い出して 一喜一憂し 毎晩のように先輩の夢を見た。 そして、今ここに 大好きな先輩といるなんて、 考えるだけで胸も目も熱くなった。 この瞬間で、 時間が止まってしまえば良いのに。 そう思ったのが悪かったのか、 一階からの物音と共に いとも簡単に この幸せな「瞬間」は終わってしまった。 「尚、いる?」 慌てたような母の声が微かに聞こえ、 上に向かってくる足音がバタバタと近いた。 俺たちは一瞬頭の中が真っ白になりながらも ベッドから離れ 乱れた服を整えた。 ノックもせずにドアを開けた母は 来客があることに気づき、 驚いた顔をしていた。 「あら、やだ。お友達? もう尚ったら、こんな汚い部屋に・・・。 ごめんなさいね。」 「お邪魔しています。」 「ちょっと、尚、いいかしら?」 「あ、うん。あ、先輩ちょっと待ってて下さい。」 「うん。」 部屋から離れ廊下にでた。 目の前の母は少し動転しているように見えた。 「あなた携帯の電源切ってるの? 全然出ないじゃない。」 急いで階段を登ってきたせいなのか 早口のせいなのか 所々荒い吐息をはいていた。 俺はポケットに入っていた携帯電話を取り出した。 「あ・・・」 サイレントモードになっていた携帯には 母からの着信が何度もあった。 「お父さんがさっきクリニックで倒れたのよ。 ちょうど救急車が来てたから そのまま市立病院まで運んでもらったんだけど。」 「え?どうかしたの?」 「お母さんはその場にいなくてよく分からなかったんだけど・・・ とにかく 今日患者さん多くて お母さん、クリニックから抜け出せなくて お父さんのそばいいてあげられないから、 あなたに行ってもらいたくって。」 母はクリニックの助産師長なので、 プライベートなことでなかなか抜け出せないのだ。 「あぁ、分かった。」 「お友達がいらしてたみたいだけど・・・」 「あ、うん。それは大丈夫。 お母さん仕事戻っていいよ。」 「じゃ、お願いね。」 安堵の顔を見せた母は、 急ぎ足で階段を降りて行った。 俺が部屋に戻ると先輩はコートを着ようとしていた。 「・・・話聞こえて。」 「あ、はい。」 「・・・一緒に行こうか。」 「え?」 「なんか不安そうな顔してるから。」 「あ・・・あの・・・。」 俺の動揺を感じ取ったのか、 先輩は俺の手を引いた。 俺たちは少し大通りに出てタクシーを拾うと 車で10分ほどの市立病院へと向かった。 タクシーの中で先輩は肩を抱き寄せ 「きっと大丈夫だよ。」と何度も励ましてくれた。

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