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充彦と智明の場合 3

薫が異様に隼人に懐いているのは知っていたが、まさかそれが恋愛感情からきているとは気づかなかった。それでも充彦は気がついてくれた。実の兄さえ分からなかったのに。自分の弟がそんな目で見られているのを知ってもなお、応援してやろうと思ったことは、薫の兄として感謝するべきなのだろうか。 「早く僕が、トモトモに連絡しておけばよかったんだろうけど、話聞いてくれないじゃん」 「そりゃ、お前いつも家にいねえからだろ。何だよ俺のせいにしやがって……」 そこまで言いかけたとき、ふと智明は言葉を止めた。 (これじゃ、いままでのままだ) 弟のことを応援してくれた充彦。もし逆に充彦が拒絶していたら薫はきっと悲しんだだろう。本人も不安だったはずだ。それを受け止めてくれた充彦にはやはり、感謝すべきだろう。 「……あ、でもミツ。薫を拒んでくれなくて、ありがとう」 小さな声で、ぽつりと智明がそう言うと、むくれていた充彦は驚いて智明の方を見た。すると少しだけ照れたように笑う。 「薫もハヤも僕にとっては大切な弟だもん」 その笑顔を智明はずいぶん久しぶりに見たなあ、とつられて笑う。 「……この部屋に入ったのも、かなり久しぶりだな」 充彦から目をそらし、部屋を眺める智明。充彦の部屋に入ったのは中学生の頃以来かもしれない。あの頃はまだ、日本地図のポスターが壁に貼ってあって。教科書や漫画が至る所に散乱していた。今はすっかり片付けられていてシンプルな部屋になっている。 「そうだね。そういえば昔、窓開けて部屋で遊んでる時にトンボが入ってきたの覚えてる?」 「ああ、あったな。必死になって捕まえようとしてお前、窓にぶつかって怪我したよなあ」 「うん。未だに額に傷があるんだから」 ほら、と前髪を上げると確かに薄らと傷跡が残っている。二人はその当時のことを語り合いながら笑う。隣の家に住んでいながらまるで何年も会ってなかった幼馴染みのように。喧嘩ばかりしていたのはどこかお互い意地になっていたのかもしれない。 「あ、もう良い時間だな。そろそろ家に戻るわ」 薄らあたりが暗くなってきたことに気づいて智明はベッドから立ち上がった。土曜の晩ご飯は智明が作るからそろそろ準備しなければいけない。 「そう言えばそっちから良い匂いがしてさ、うらやましいねって隼人と話してるんだよ」 「……じゃあ、たまにはうちに食べにきたら。明子さんも忙しいだろうし」 「え?いいの」 数年喧嘩していた相手とは思えないほど、充彦は笑顔を見せる。そういえば根は単純な奴だったなと智明は思い出した。 「そしたら薫も喜ぶだろうし。先に教えてくれてたら、多めに作ってやるよ」 「ありがと!ハヤも喜ぶよ」 その日、薫は少し遅く帰宅した。智明はあえて何も言わず、夕食の準備をした。そして夕食を終えた後に、薫は智明の部屋に来て、すべて打ち明けてきた。隼人が好きなことも、それをたった今告白してきたことも。我が弟ながらまっすぐな奴だなあと思いながら智明は昔、泣きそうになった薫をあやすときと同じように、頭をポンポンと叩く。 「充彦にも応援されてんだろ。ハヤも嫌がらないなら脈ありだろ」 そう言うと薫は頭を上げて大きな笑顔を見せた。 「兄貴、ありがとう。そういえばミツくんと仲直りしたの?」 「仲直りって言うか……」 「え、もしかしてミツくんが言ってたこと、ほんとなの?」 「本気にしてんじゃねえよ!」 そういえばその場の勢いとはいえ、充彦とキスしてしまったことを、今更ながら思い出して智明は赤面した。薫がニマニマしてくるのでさっさと自室から追い出す。 (あいつが変なこと言うから、意識するじゃないか) 久しぶりに間近で見た、モデルではない充彦の顔。一瞬触れた柔らかい唇の感触がふと蘇ってさらに赤面してしまう。もう何年もキスをしていないから余計に思い出してしまうのだ。 (ああ、もう寝よう!) それから数日後。 「三浦さん、三浦さんってば」 佐藤の声に、智明はハッと我に返る。肩を揺さぶりながら佐藤が少し困ったような顔を見せた。あたりには赤ら顔の上司や同僚たち。一瞬、呆けてしまったが課長の送別会だっけ、と思い出した。最近酒に弱くなってしまいこうして途中、寝てしまうようになっていた。 「そろそろ解散しようって。あと少しですからがんばってくださいよう」 佐藤がこそっと言う。きっと寝ていた智明を必死に起こしてくれていたのだろう。智明はすっかり酔ってしまい少し言葉のろれつも怪しい感じだ。 「それじゃあ、皆さん!課長のご多幸を祈ってお手を拝借~~」 一本締めをしてわいわいと解散となった。立ち上がるのも難しくなってしまった智明を佐藤が支えながらどうにか一緒に駅まで歩くことになった。 「もお、三浦さんの方が背が高いから支えるの、大変だ…」 ぶつぶつ言いながらも一生懸命進む佐藤。ふらふらする智明に佐藤はため息をついた。 「えらい今日は深酒になりましたね、何か悩みでもあるんですか?」 「……」 智明は何も言わず、佐藤の腕を振り払って、ふらりと一人で歩こうとした。

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