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第1章:弥生

「もっとぉ、・・・っもッと・・・ 奥まで・・・ァん、・・・ アァ・・・お願い・・・しま、す。」 名前も知らない長身の男は 背後から僕の乳首を尖った爪で千切るように摘み、 ローションでドロドロになった僕に向かって 何度も何度も、激しく腰を振った。 真っ暗な夜空の下、 深く被ったキャップで顔はよく確認できなかったが 正直見た目なんてどうでもいい。 「痛いのが好きなんだろ?」 低くて、治安の悪い声に欲情は高まる。 「ァあああん。・・・ぃいイッで・・・す。」 病院関係者でもほとんど立ち入らない 病院裏の荒れ果てた雑木林でのセックスを 僕、弥生かなめはもっぱら繰り返している。 遠くにある小さな外灯だけが光るこの暗闇の中 微かに見える僕の動作を まるで全てコントロールするように、 無意識に自分のものを握った僕の手を 男は、パチっとはたいた。 「ケツだけで、イけんだろ、ドM野郎。」 男は、僕の首元まで伸びた細い髪の毛を束にして掴み引っ張った。 鋭い痛みが頭皮を伝って、 僕の体の疼きは強くなる。 「・・・ごめンな、さぁい。・・・ァ・・・んんン。」 僕は掠れた声で謝ると、 男は僕の耳下から首にかけてぐいっと爪で掴んだ。 あぁ。 もっと、もっと、痛みつけてほしい。 僕の泣き声のような喘ぎ声は、 野生の動物の鳴き声のように林を木霊する。 痛い。気持ち良い。 苦しい。気持ち悪い。 そんな感覚が繰り返し交互するのに 結局全てが僕のオルガズムへとつながっていく。 出そう・・・。 あぁ・・・出る・・・。 男は更に激しく突いてくる。 「首・・・」 「あ?首絞めて欲しいの?」 「・・・は。。い。」 その瞬間、男はキュッと両手を首に回した。 いっそ、死んでしまいたい。 このまま学の元へ・・・ 毎度思う。 そして、何度そう思っても、 僕は結局射精をして終わるのだ。 男はネチョネチョのコンドームを 無造作に投げ捨てると ズボンのジッパーを締めた。 そしてキャップを上げ、 ギロリとした目で まじまじと僕の顔を見た。 「あんたここの病院で入院してんの? 随分細いけど、末期とか?」 「・・・」 「ま、青姦なんてあんま乗り気じゃなかったけど、 こんな綺麗な顔したドMちゃんとは、 俺としては、ラッキーだったわ。 また会おうぜ。」 「・・・いえ。一回だけと言う約束です。」 「あっそ。まぁ、いいけど。」 後腐れのない関係。 僕にはそれが一番だ。 罪悪感で壊れそうな僕を傷みつけてくれる人であれば 誰でもいい。 いつものように もう二度と会うことのない男が 病院外へ出るのを確認し、 男が放り投げたコンドームを拾い、 ポケットに用意しておいたビニール袋に入れた。 僕は病院の裏口から何食わぬ顔で戻り、 即あるゴミ箱に袋を捨て、 この時間は誰もいないはずの シャワー付きの男性医師専用仮眠室に 忍び込むように入り、 速攻シャワーを浴びた。 体全体にヒリヒリとした痛みを与える熱湯は 汚れすぎたこの体を洗浄するだけではなく、 こみ上げてくる涙すら無いものにしてくれる。 現実逃避にも近い被虐性欲が 麻薬のようにスッと抜けてしまうと、 既成事実だけが残る。 「はぁ・・・また救えなかった。」 8年間、 僕はこの繰り返しだ。 「あれ、弥生先生、帰ったのかと思いましたよ。」 シャワーからバスタオル一枚で出ると、 誰もいないと思っていた仮眠室には、 同じ救命救急医の長谷部晋平が仮眠を取る準備をしていた。 「あぁ。ちょっと。外の空気吸ってきた。」 「へぇ・・・。 先生って時々ふらっといなくなりますよね。」 長谷部は、 最近他院からセンター長が引っ張ってきた若手で、 29歳とは思えないほど判断力に長けている。 賢明で、鋭く、頼りになるが、 勘が良すぎて少し苦手だ。 身体は173cmの僕よりも7、8cmほど高くて 全体的に程よい筋肉がついていて引き締まり、 爽やかなスポーツマンのよう。 インドア派で「ヴァンパイアみたい」と陰で呼ばれているほど 色素が薄く、不健康そうで肉付きが悪い僕とは 全く別の生き物みたいだ。 「なんか、首元が腫れてますけど、大丈夫ですか?」 「あ、ああ。」 長谷部の視線の先にある自分の首の付け根を摩った。 さっき、掴まれた痕か。 「冷やしたほうがいいんじゃないですか。」 「いや、大丈夫。」 「そうですか。なんか痛々しいですけど。」 「・・・」 「ま、俺、仮眠とるんで。」 「ゆっくり休んで。」 「何かあったら呼んでください。」 「うん。」 僕は、医局に戻ると、 死亡診断書と書かれた紙切れを目の前にした。 これを見ると、 いつもアレルギー反応のように手が震えてしまう。 罪悪感と、トラウマで、 心の一部がひどくえぐられていく。 毎日のようにこんなことの繰り返しで 苦しくてたまらないのに、 それでも僕が救命救急医を続けるのは、 学と最後に過ごしたこの場所を 離れられないからなのか。 ただの執着心でしかないけれど、 それだけを糧に生きているんだろう。 「先生、少しお休みになられた方が?」 死亡診断書を書き終え 魂を抜き取られたようにぐったりする僕に、 看護主任の牧田さんが話しかけてきた。 牧田さんは僕がここで働き始めた時からいる ベテラン看護師で 患者だけでなく 僕の心配もしてくれる優しい人だ。 「あぁ、そうですね。 朝まで寝ます。」 「そうしてください。 弥生先生に倒れられたら我々も困りますから。」 「すみません。」 さすがに、39歳にもなると 24時間をすぎる不睡眠はきつくなってきた。 仮眠室に入ると、 長谷部は小さないびきをかきながら ぐっすりと寝ていた。 平和そうな寝顔だな・・・。 彼の顔の作りに 時々無意識に見惚れてしまう時がある。 面長で、男らしい顔立ち。 太い眉に、高い鼻。 少し乾燥した唇の周りは、 チクチクするような髭が数ミリ伸びていた。 小さい頃から女子に間違えられるほどの女顔の自分は、 こういう顔に憧れがあるんだろうな、 と思う。 僕の女顔は完全に母似だ。 シングルマザーだった母は美人な人だったが病弱で 僕が国家試験を合格し 一人で生き抜ける「大人」になったのを 待っていたかのように死んでいった。 自分が医者になることは 母を楽にしてあげられる唯一の方法だと思い 母のために 小さい頃から医者を目指していたのに、 皮肉なものだった。 そんな僕は 小学生の時から所謂ガリ勉認定されるほど 勉強ばかりに打ち込み、 高校生になってもそれは変わらず優等生だった。 先生からの信頼も厚く 何かと面倒くさいことを任されていた。 その中の一つに、 当時クラスメートだった学に 昼休みなど、時間がある時に 勉強を教えることがあった。 学はプロのスカウトが頻繁に練習を見に来るほどの 注目の高校球児で 甲子園にも1年生からレギュラーで出ていた。 野球部特有の坊主が似合う猿顔で、 3年生に引けを取らないほど大柄で筋肉質な体つきだった。 自分がゲイだということを自覚していた僕が そんなまぶしくて、才能のある学に関わって、 惹かれるのは容易かった。 そして小さい頃から野球ばかりに打ち込み うぶだった学も 今覚えば「男子校マジック」にかかり 女顔の僕に惹かれたんだと思う。 「何かありました?」 長谷部の顔を見ながら ボーッとしていた僕に 目を覚ました長谷部は気づいたようだった。 「あ、いや。」 「何かあったら言ってくださいね。」 「今は落ち着いてるみたい。」 「先生のことです。」 「ああ。大丈夫。」 「耳元にも、ミミズ腫れが。綺麗な顔が台無しです。」 綺麗な顔か。 体も心もこんなになっているのに。 僕が困った顔をすると、長谷部は小さく微笑み、また目を閉じた。 久しぶりにゆっくり寝た気がしながら 目を覚ますと、 薄暗い仮眠室に一人だった。 起きたその足で医局へ向かうと 長谷部をはじめとする救命医や 看護師達が普段より慌てた様子で 寝起きの気の緩みを一瞬でかき消すような 緊張感が漂っていた。 「何があった?」 近くにいた手が空いていそうな研修医に話しかけた。 「あ、お目覚めでしたか。 今呼びに行こうと思っていたんです。 実はさっき近くの化学工場で爆発事故があって5名ほど うちに運ばれてくるようです。」 ちょうどそのことに関する速報が医局のテレビで流れた。 10分も満たないうちに 次々とストレッチャーで 工場の作業員達が運ばれてきた。 5人中4人が、全身に重症の火傷を負っていた。 意識がないもの、 過呼吸になっているもの、 「痛い」「苦しい」と叫び続けているもの様々で 救命救急センターが一気に騒がしくなった。 とても言葉では表せないほどグロテスクな見た目に、 研修医達の中には吐くのを抑えようとしている子すらいた。 「君は下がってなさい。」 教育係を任されている長谷部は、 そんな研修医を容赦無く切り捨てた。 センターが落ち着きを見せたのは 12時間後のことだった。 生憎この爆発事故で僕たちが 助けることができたのは3名だった。 切り裂けそうな心臓を抑えつつ 僕は今すぐ誰かにヤられたい衝動を抑えきれず 即座に仮眠室へ向かい、いつものアプリで相手を探した。 引っかかった相手はあと20分で 来られると言う。 誰もいない仮眠室で地味な洋服に着替え、 僕は誰にも気づかれぬよう 裏口付近で相手を待った。 日が既に落ちた秋の夜は 冷えていた。 昨晩のセックスから24時間も経っていない。 セックス依存症なんだろう、と 自分自身でも分かっている。 現れたのはプロレスラーのようなガチムチの男だ。 特に好みでもないが、嫌いでもない。 坊主頭なのが、高校球児だった頃の学と似ていて少し懐かしく、 下半身が疼く。 僕はいつものように雑木林の奥へと男を誘い入れた。 男は 「へぇー、こんなところでヤられるのがいいんだ」と 言いながら、 前戯もなしに挿入を試みた。 僕の体は慣らしもしない直接の挿入でも お構いなしな体になっている。 いつもの大きな木にしがみつきながら 後ろで強く揺れる男を感じる。 はぁはぁと大きな吐息を漏らし男は 背後から平手で肩や頭を叩いたり、 髪の毛を強く引っ張った。 「・・・ぁあア、痛い。」 思ったよりも相手の力が強く、思わず本音が溢れる。 「痛くしてくださいって書いてたのは君だろ?」 そう言い男は僕をそのまま地面に押し倒した。 手付けなど一切されていない雑草が首元に当たり 不快だった。 男は僕に覆いかぶさり正常位でそのまま挿入を続けると、 いきなり僕の顔や頭を何発も殴った。 もうこれはSMよりもただの暴力だと気づいた頃には 僕の意識は朦朧としていた。 「何してるんですか!やめなさい。警察を呼びますよ。」 ふと、最後に聞き慣れた声がした。

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