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第2章:長谷部

4ヶ月前初めて弥生先生を見た時から 危なっかしい人だと思っていた。 葉をなくした枝のようにか弱く細い身体に すぐ溶けてしまう粉雪のように白く冷たそうな肌。 どこをとってもとても脆い印象だった。 二重瞼の奥にあるベージュにも近い茶色の瞳は 表情を変えることは無く 口角を上げたところなど見たこともない。 それでも命を救うことに関しては 毎日一生懸命で、 処置中はとても頼もしい。 こんなに患者一人一人の命を まるで身内のもののように扱う医者は 今まで見たことないほどだ。 そんな尊敬するに値する医者の奇妙な行動に 俺は薄々気づいていた。 弥生先生は 患者が惜しくも亡くなると、 30分から1時間ほど姿を晦ます。 俺たち救急医は死などに立ち会うと 次への切り替えが必要なため、 人によってシャワーを浴びたり、 わざと食事をとったりしたりする。 俺の場合も、一旦好物のチョコレートを食べて、 リセットをする。 なので、 最初の方は、弥生先生の消息理由は 外の空気を吸いに行ったり 散歩にでも行っているものだろう、と思っていた。 初めて不審に思ったのは、 華奢な腕に鮮やかな痣を数カ所見た時だった。 処置中以外は白衣を身にまとっているため隠れていて、 処置中は患者に集中しているため 目につくことは今までなかったが ある日長い処置が終わり一緒に仮眠室へ戻ったときに ふと、強い握力で掴まれたような青痣が腕にあることに気づいた。 「ここ、大丈夫ですか?」 と聞くと、咄嗟に隠し 「ああ。」 と説明など一切なしに一言答えたのに とてつもない違和感を感じた。 その日から弥生先生が付ける 新しい痣やかすり傷などが 無意識にでも目に入るようになっていった。 DVでもされているのか、と思い 家族や恋人の有無を聞くと、 一人暮らしの独り身だと答える。 謎はただ深まるばかりだったが、 まさかこんな形で 知ることになるなんて。 工場の爆発事故の患者の処置がひと段落終え 切り替えのために院内にある売店で チョコレートを買いに行こうとしたところ 偶然弥生先生が周りを警戒しながら 裏口から出ていく場面に出くわした。 俺は自分自身の目的を終えた後一旦、 仮眠室へ戻ったものの、 どうしても先程の挙動不審な弥生先生の動向が気になり 裏口に出た。 ここは外灯も少なく真っ暗で、 ほとんどの人は利用しない。 俺も実際ここから外へ出るのは初めてだった。 スクラブの上から白衣を羽織った状態でも 身震いするほどの寒さと 気味の悪さだった。 「弥生先生?」 呼んでみたものの 隠れんぼのように出てきてくれるわけでもない。 諦めて戻ろうとしたときに 雑木林の奥の方で 人の叫び声が微かに聞こえた。 なんだ?と思い 足場のないほど雑草が繁り放題の 道なき道を駆けて行った。 遠くに大柄の男が何かに覆いかぶさっているシルエットが見えた。 少しずつ近づくと、 男は下半身が裸で、 下にいるであろう他の誰かに、 暴行を加えながらレイプをしているように見えた。 「何してるんですか!やめなさい。警察を呼びますよ。」 俺は持っていたスマートフォンのフラッシュを灯しながら 大声で怒鳴り近づいた。 男の下には ほぼ全裸の弥生先生が 腫れ上がった顔をして 仰向けになっていた。 真っ白な身体には複数の青や赤の痣があるように見えた。 男は素早く弥生先生から遠ざかり、 服を着て、逃げ出した。 俺はそいつを追いかけるよりも 意識を失いかけている弥生先生を救出することを優先した。 精液と血の匂いが混ざる弥生先生に なんとか服を着せ、担いだ。 背に感じる 弥生先生は子供のように軽く、 肩からぶら下がる傷だらけの腕の細さは 見ているだけで痛々しかった。 誰にも気づかれることなく 弥生先生を仮眠室へと運ぶことに成功した俺は 気を少しずつ取り戻してきた弥生先生を ベッドに仰向けに寝かせ応急処置を行った。 先ほどのフラッシュだけでは暗く見え難かったが、 服を脱がせると、案の定あざや古傷は身体中に多々あった。 「なんでこんなに・・・」 つい漏れてしまった言葉は 弥生先生には届いていないようだった。 うつ伏せに寝返りさせて、 臀部を確認すると、 裂けていると思っていた部分は 裂けてはいなかった。 レイプかと思っていたが、 ・・・合意だったのか? ぐったりとした身体を 手の指先から、足の指先まで お湯で湿らせたタオルで丁寧に拭いていった。 同じ男とは思えないようなやわさに 本能的に胸をグッと掴まれるような 不思議な感覚に陥る。 自分はストレートで 尚且つ仕事現場では全くと言うほど人間の肉体を 性的な視線で見ることはないのに この哀れな肉体は保護欲を掻き立てるような 色気を醸し出していた。 一通り拭き終えた頃には 弥生先生は曖昧な記憶を辿っているようだった。 「あれ・・・ここ。」 「仮眠室です。」 「・・・あぁ・・・え。あれ・・・。」 「・・・病院裏で、あの・・・出会して。」 「・・・」 「・・・強姦されたんですか?」 「・・・いや。」 「・・・ではあの方はお知り合いで?」 「・・・いや。」 「そうですか・・・。」 「・・・」 「この傷も痣も、全部ああ言うことをしていて出来たんですか。」 俺は先生の腕中にある古傷を指した。 すると先生は俺の手を払い除け 質問攻めに 嫌気が差すように答えた。 「君に関係ある?」 「関係ないですけど、 医者なんですから、 自分が治療されるようなことに ならないでください。」 「・・・まぁ、もっともだな。」 「じゃぁ、止め」 「ゲイの上、マゾってやつなんだ。」 「・・・もうこれはプレイの範囲を超えています。」 「性癖に線引きなんて、難しいだろう?」 「加減があります。」 「別に死んでもいいって思ってやってるんだ。」 「一人でも多くの患者を救いたいと思っている弥生先生にしては とても矛盾した発言ですね。」 「君に何がわかる。」 普段冷静な弥生先生だが 自己防衛なのかムキになり声を荒げた。 これ以上何を言っても この人からはネガティブな言葉しか出てこないだろうと思い 俺は言い争うのをやめ、 震える弥生先生をつい抱きしめた。 自分よりも10歳以上も年上のこの男の 抱えているものなんて 俺には全く分からない。 だけど俺の中には この人に対して、尊敬ではない 何か新しい感情が芽生えていた。 それが 正義感なのか、庇護欲なのか、 名前をつけるのは難しいが、 この人がいるだろう闇に 少しでも光を見出したいと思った。 抱きしめた身体を少し離し 顔を近距離で見つめると 長い睫毛が湿っていて、 頬には涙がつたった跡が残っていた。 俺はそれを人差し指でゆっくりと辿った。 唇の近くに触れた瞬間に、 弥生先生は勢い良く俺にキスをした。 「え!」 驚く俺に呆れたように 「ストレートのくせに そう軽々しくゲイの性事情に突っ込むと ろくなことないよ。」 そう言い捨て弥生先生は俺の腕を払い 俺に背を向けた。 ちょうどそのタイミングで仮眠室のドアのノック音がし、 俺は看護師に呼ばれた。

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