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第3章:弥生

顔面と頭部がジンジンと痛い。 腫れ上がっているのだろう。 行為の途中、 エスカレートされることは 今までもよくあったが、 あのように意識が無くなることは 今まで無かった。 長谷部がなぜかその場にいたことが 不幸だったのか 幸いだったのか・・・。 もしいなかったら、 どうなっていたのだろうか。 長谷部がいなくなった仮眠室で 僕はやっと気が緩み、 真っ白な天井をボーッと見ながら そんなことを考えていた。 ついむきになり長谷部に ゲイだと口走ってしまった。 特に隠しているわけではないが 偏見を持たれながらの仕事はしたくなく 自分のセクシャリティは明かしてはいなかった。 絶対ストレートであろう長谷部は 男からキスされて 驚いただろう。 もうこれで僕のプライベートに 踏み入ることはない。 それからの僕は疲れきっていたらしく 眠りについていたらしい。 ふと目が覚めると 研修医たちが着替えているのが 半開きした寝起きの目で見えた。 研修医の一人が起き上がった僕に気づくと 「お疲れ様です。」 と言い 「長谷部先生に聞いたんですが、 昨夜外で不良に絡まれたらしいですね。 大丈夫ですか?」 と心配した。 わざわざ余計なことを・・・と思いつつ、 その場を凌ぎたい僕には ありたがい他なかった。 適当な返事を返す僕に 「お疲れ様でした。」 と帰っていく研修医たち。 すれ違うように、 長谷部が仮眠室へと戻ってきた。 「体のほうはどうですか?」 研修医たちが ドアを閉めるのを確認し、 長谷部は僕に聞いた。 「まぁ。だいぶマシ。 少し休みすぎたし もう少ししたら出るよ。」 「いえ。今日は休んでください。 俺がみてるんで、 研修医も後二人残ってますし、 家に帰っていただいてもいいですよ。」 「・・・いや。大丈夫。」 「弥生先生は典型的な医者ですね。 他人の体は診れるのに 自分の体のことは一切分かってない。」 こうやって的確な真実を突きつけられるのが 本当に、苦手だ。 「一生懸命なことはいいですけど、 ちゃんと休んでください。」 そういい、僕に近づき 子供にするように 僕の頭をポンポンと軽く撫でた。 長谷部と話していると、 なんだかいつも調子が狂う気がする。 「先生の分まで働いておきますから、ね?」 先ほど僕のしたキスなどなかったかの様に 落ち着いたその声は、 10歳も年下のくせに とても頼もしく感じる。 僕は、彼に言いくるめらるように コクリと頷いた。 今日は少しぬるいシャワーを浴びよう。 冷えた心の温度までもを上げてくれるような熱湯は 今日はいらないような気がする。 そう思いシャワー室に入った。 しかし蛇口を開いて出てくる 本来気持ちが良いはずの水温に 体がどうも慣れない。 僕は調節レバーを捻り いつもの温度をに戻した。 ヒリヒリする熱さが やはり僕にとっては気持ちが良い。 本来冷さなければいけない腫れた顔にさえも 無意識に湯を当ててしまう。 もう自分は 生温い場所には 戻れないのだと思い知らされるほど それはすごく痛くて、心地が良い。 熱湯シャワーを浴び終えた僕は 新しいスクラブに着替え、白衣を羽織った。 鏡で自分の顔と向き合うと 想像よりも、ひどい顔をしていた。 でも患者を救うのに 見た目なんて関係ない。 変わらず動く指先で 僕はギュッと拳を作った。 医局に入る僕に気づいた長谷部は 僕に近寄り、 「休んでるって言ったじゃないですか。」 と言った。 「どうせ休んでたって もう目が覚めているし、ぼっとしてるだけだし。」 「そのぼっとする時間が大事なの 一番知っているではないですか。」 「大丈夫って言っているだろう。」 普段あまり言い争ったりしない僕に 看護師たちは うっかり珍しいものを見つけてしまったように チラチラとこちらを見ていた。 やがて長谷部は 僕に何を言っても無駄なことを察し 諦めたように 自分の業務に戻っていった。 次々と運ばれてくる 患者たちへの対応で 身体中の痛みは案の定遠のいていく。 僕にとってこれが日常で、 ただ単に昨夜は いつもよりも少し酷かっただけ。 麻痺にも近い自分への催眠が 救急医としての僕を作り上げているのだ。 もう誰も踏み込めないほどに。

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