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第4章:長谷部

俺の奨めを無視し 弥生先生が いつものように白衣を纏い医局に入ってきたときは 正直びっくりした。 何食わぬ顔の腫れは引いているはずもない。 そこまでの強い意志は どこから来るのだろうか。 俺には弥生先生の考えることも 痛みへの鈍感さも、 どうも理解に苦しむ。 弥生先生は いつもと変わらない様子で 少し前に運び込まれた外傷が激しい患者の処置を 違う医者と共に始めた。 俺もいつまでも医者の言うことを聞かない 「一人の患者」に構ってられないと、 女性研修医の羽田に任せていた急性アルコール中毒の男性の 様子を診る為に 医局を離れた。 2時間ほど前救急車で運び込まれたときは 聞き取れない唸り声を上げて 発汗が激しい状態だった患者は 吐物が喉に詰まって窒息死しない為に 横に寝かせ、 吐くものを吐いたようで、 今はだいぶ落ち着いてきたよう。 「どう?」 ちょうど彼のバイタルを見ていた羽田に聞くと 「とりあえずは大丈夫そうです。」 と答えた。 「そう、 では引き続きよろしく。」 「はい。」 羽田は小柄で 常にバッチリメイクをしていて 女子力が高いせいで、 医者としては若干頼りなく見えるが 今いる研修医の中では特に優秀で、 信頼を置いている。 「弥生先生、大丈夫でしょうか?」 医局に戻った俺に 看護主任の牧田さんが俺に尋ねた。 50歳前後で貫禄のある牧田さんは みんなのお母さんのような存在だ。 「まぁ、とりあえずは、大丈夫そうですね。」 「あの人、無理するでしょう、 昔から私が言っても全然聞いてくれないので、 長谷部先生頼みますよ。」 「いや、俺が言っても全然聞いてくれてないですよ。 今だって、ほら。」 そう言い、ガラス越しから見える処置中の弥生先生を指差した。 半日前に雑木林で倒れていた人だとは思えないくらいの テキパキとした動きを 俺と同じくらい、 いや俺以上に心配そうな目で牧田さんは見ていた。 「弥生先生が、この病院に来た当初はね あんな感じじゃなかったんだけどね。」 「へぇ、そうなんですね。」 「だけど、 ある日を境に機械のように 働くようになっちゃって。」 「そうなんですか?」 「ほら、なんだったっけかな、名前。 8年前くらいに プロ野球選手が自殺したの覚えてない?」 「・・・んー・・・」 「とにかく、その選手を担当したのが弥生先生だったの。 病院に運ばれた時点で 心肺停止状態だったんだけど・・・」 「はあ。」 「マスコミとかもちょこちょこ来たりして・・・ それがストレスになっちゃったのかしら。 その後くらいから人が変わったように こんな風になっちゃって。 すごく一生懸命だからありがたいのだけど、 なんか見ているのが痛々しくて。 だから、さっきあなたたちが言い合っているのを見たら 久々に弥生先生の人間らしいところを見た気がして 少し嬉しかったの。」 「そうですか。」 「ね、だから、お願いね。」 そう何かを託すように牧田さんは、 俺の肩をポンと優しく触れた。 俺は彼女のシワに囲まれた目を見て、 彼女の要望に応えるように、にこりと笑い、頷いた。 「何か出来ることがあれば。」 牧田さんにお願いされなくても、 俺はなぜか弥生先生が気になってしょうがない。 俺は牧田さんと話した後カルテをまとめ、 長かった1日を終え 病院から徒歩10分の場所にあるマンションに帰ることにした。 帰り際医局に寄ると、 ガラス越しに見る処置室には また新しく運ばれたであろう患者を 治療する弥生先生がいた。 なぜここまで頑張れるのだろうか。 どうして自分の痛みを差し置いてまで 他人に尽くそうとするのか。 この人は一体なんの呪縛に囚われているのだろうか。 家に帰ると 即パソコンのスイッチを入れ 「プロ野球選手、自殺」と調べた。 すると 『元プロ野球選手・北原学、投身自殺か』 と書いてある8年前の記事を見つけた。 元プロ野球選手の北原学が 10階のビルの屋上から飛び降り自殺を図り 運ばれた病院で死亡が確認されたと 記事には書いてあった。 北原学のことを調べるていくと 弥生先生と同い年で、同郷だと言うことを知った。 静岡の強豪、谷田部高校を卒業後、 育成選手枠でのドラフト入団したらしい。 入団後は徐々に結果を出していき 支配下登録選手になり、 結果1軍選手にまで上り詰め、 入団6年目の25歳で年俸3000万に。 しかし これからと言うその年に大きな腕の怪我をしてしまい 半年間のリハビリの末復帰するが、 思うように体が動かず二軍落ち。 2年間二軍でプレーをしてきたが、 腕の痛みは取れず 28歳の時戦力外通告を言い渡され、 引退したようだ。 それから2年後の自殺、 今の俺とほとんど変わらない年齢だ。 弥生先生と彼に 繋がりがあるかどうかは 本人に聞かないと分からないが、 人格が変わってしまうほどの衝撃を この事件で与えられてしまったのなら、 何か関係があったのだろうと推測する。 弥生先生の知らないところで 弥生先生の過去を探ることに 後ろめたさを感じながらも 俺から行動に出ない限りは 彼の堅く閉ざされた心の門は絶対に開かないだろう。 北原学のことを調べ尽くした俺は パソコンを閉じ、ベッドで横になった。 弥生先生はまだ病院にいるのだろうか。 眠りに着く前に ふと、そう思った。

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