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第7章:弥生

ポケットにしまっていた携帯電話の バイブレーションで僕は目覚めた。 2時間も起こされずに寝れるなんて、 今日はラッキーデーだ。 ゆっくりと静かに二段ベッドから降りると、 長谷部は 枕を抱きしめながら、 熟睡しているようだった。 先ほど終えた小児の緊急手術にも まだ30前だというのに狼狽えずに処置をこなしたんだ。 そりゃ神経の髄まで疲れているはずだ。 それにしても、 こんな可愛い一面もあるんだな。 医局に戻ると 何やら少し慌ただしかった。 「何かあったのか?」 近くにいた研修医の山田に聞くと、 「あ、はい。 つい先ほど車の衝突事故で3人運ばれてきて、 後、もう一つ別件で、投身自殺を図ったと思われる高校生が もうすぐ運ばれてきます。」 と答えた。 「・・・あぁ。分かった。」 救命医を10年以上やっている僕は どんな状態で患者が運ばれてこようとも 息を引き取るまでは大抵の場合動じないが、 『投身自殺』と言うキーワードにだけは いつもの平常心を保てない。 自分の手が震えそうになっているのをごまかすように 手を背に回し、 少しでも軽い状態で運ばれてほしい・・・ そう願っていた。 数分後、運ばれてきた女子高校生は 幸いなことに意識はあり 飛び降りたのが4階からだったということと、 足から落ち、打ち所が良かったということで、 下半身以外の被害は少なそうだ。 ただ、死ねなかった上に、 意識がある分、 当の本人には辛いこともある。 「どうして、どうして、どうして・・・」 骨が複雑に何箇所も折れていて 全身が痛くて堪らないはずなのに 死ねなかったことへの無念だけを口にしていた。 体よりも、心が苦しいそうだ。 「死にたい・・・」 そう吐いた息のように儚げに呟く彼女の切望とは 逆のことをしようとしている僕。 僕はあくまで救命救急医であり、 精神科医ではないから 彼女の心までも救うことはできない。 僕は僕の仕事をするだけだ。 彼女のレントゲンを取った後、 即オペ室に運んでもらい、 手洗い場に向かった。 「かなめ、 野球が出来なくなった俺って 何のために生きてるんだろうな。」 「愛する僕のためでしょ?」 忘れかけていた過去の会話が 頭の中で回想する。 「俺が、死んだらどうする?」 「僕のゴッドハンドが死なせないよ。」 いつも冗談ばかり言っていた学だから この時も冗談だと思って、 当たり前のように冗談で返していた。 学から送られていた小さなSOSだったのに。 毎日たくさんの患者を目の前にしていながら 一番大事な人の心の病に気づかなかったのが 結果に繋がってしまったのだろう。 「オペ、代わりましょうか?」 僕が必要以上に手を洗っていると 後ろから長谷部が話しかけてきた。 「起きたの?」 「はい。弥生先生が部屋を出た直後くらいですかね。」 「起こしてしまった?」 「いえ。そろそろ起きなくてはならなかった時間でしたし。 それよりも、執刀、大丈夫ですか?」 「え?」 「少し手が震えているように見えたので。」 「そんなはずない。 毎日何回メスを握ってると思ってるんだよ。」 「そうですね。出しゃばった真似をしてすみません。 それでは、助手としてつきます。 開放骨折の手術好きなんで。」 「悪趣味だな・・・まぁ、じゃ、よろしく。」 全身麻酔で深い眠りにつく少女を前にした。 今の状態が死以外では、 彼女が望んでいるものに 一番近いものなのだろうな、と思った。 僕が例え、 ここで処置し回復へ向かったとしても、 彼女はまた自殺を図るかもしれない。 1日でも長く 生きてほしいと願うのは きっと他人の勝手な望みだ。 学をもし 彼女のように助けることが出来たのならば、 今、僕の隣にいてくれたのだろうか。 僕は本当の意味で彼を救えていたのだろうか・・・。 それとも、また自殺を選んでしまっていたのだろうか。 「弥生先生!」 「・・・?」 「大丈夫ですか?」 「え?あぁ 。」 「さっきから何度も呼んでいたのですが・・・ やはり。変わります。」 「いや。」 「・・・弥生先生!変わります。」 こんな心の揺れくらい 経験と技術で 今までもカバーしてきたし 今回だってカバーできる。 でも彼女にとって、今一番いい選択は、 不安定な僕に執刀してもらうことではないだろうと、 僕に技術では全く劣らない 冷静な長谷部を見て思った。 「任せた・・・」 そう僕が折れると、長谷部は 「弥生先生、今医局に医師が少ないので、 そちらの方に回っていただけますか?」 と気を回した。 本当にムカつくくらいできるやつ・・・。 「羽田、長谷部の補助お願い。」 「あ、はい。」

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