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4,幻影
発情期が終わり、キキはかかりつけの産婦人科へ赴いた。受付を済ませ、診察室に通される。一連の事情を話すと、主治医の女医は血相を変え、大声でキキを𠮟りつけた。
『あなた自分が何をしでかしたかわかってるの!』
女医はなかなかに厳しい。長年の付き合いなのでもう慣れてはいるのだが、そんなに強い口調でなくてもいいのでは、とも思う。その日は採決と精密検査を受け、一週間後にまた来るように言われた。
そして一週間後、キキは再び産婦人科へ来ていた。
「あなたほんとに馬鹿なことやったわね」
女医は怒りが冷めやらぬのか、開口一番強い口調で責め立てた。
「だって、そうするしかなかったんです……
「だってじゃありません! あなた何のために毎日発情の誘発剤を飲んでると思うの」
キキが毎日摂取しているのは発情期を誘発するためのホルモン剤だった。ほとんどは低用量で、濃いものが入っているのはたった四日分。キキはホルモン分泌量が乏しく、自力では発情期を迎えることが出来ない体質だった。成人してからの長年の治療の甲斐があって、ここ二年ほどは薬に頼る形ではあるが安定して迎えることが出来ていた。
「血液検査の結果は奇跡的に異常なしだったけど、次はないと思いなさいね」
実際今回の発情期は抑制剤を服用したせいか変に長引いてしまい、周期がずれてしまった。
「でもあの日の周辺は誘発剤を飲んでなかったのに……」
「オメガは常に少量でもフェロモンが出ているので、薬でコントロールしていても多少ズレることもあります。何事もなければ自然に来た、ということで喜びたいところではあるけど。
……抑制剤はあなたにとっては劇薬なのよ。誘発剤との併用は意図的に数値を上昇させたホルモンを、急激に降下させるから身体への負担が大きいの」
来ない発情期をわざわざ薬で誘発することを望むオメガは少ない。ない方がまし、と考えるオメガがほとんどだ。それは、例えば発情期中は働けないだとか、抑制剤が合わなくて苦しい思いをするだとか、そういうことがあるくらいならない方がいい。
発情期がなくても、生殖器さえあれば妊娠はできる。そういうものだ。
でも、生殖器がなければ妊娠もしないし、発情期は来ない。
「エコーの結果だけど。少しは大きくなってるけど、まだまだ小さいわね」
キキは、生殖器である子宮と卵巣がきちんと発育していない。機能不全はホルモン治療により回復したが、まだまだ道のりは遠かった。
キキは子供が欲しかった。子供を授かるためには成るべく自然な状態に身体を近づけなければいけない。薬で無理に発情期を誘発させるのも治療の一環だった。
努力はしているが自分ではどうすることもできない。キキには番やパートナーといった類の人はいない。それでも、将来的に家庭を持つなら、どうしても子供が欲しかった。
いつか、好きな人が出来た時に、「自分」の証が欲しいのだ。
「そうですか……」
残念そうに肩を落とすキキ。成人して治療を始めて、もう七年目になろうとしている。進展があまり見られず、焦れるばかりだ。誘発剤も、本来なら妊活の時期に合わせて短期的に服用することを目的にしているので、長期服用は望ましくない。どこかで、やめなけれないけない薬だった。
(でもまだ、諦めたくない)
キキは膝の上でぎゅっと拳を握る。
「それに比べてフェロモンの濃度は前よりもグンと濃くなってる。何でかしら」
臓器不全が影響してか、キキのフェロモンは一般的なオメガのフェロモンに比べて濃度は薄く、効力も低い。そのためアルファを誘う力も弱い。
普段から甘い匂いを発するオメガ。仕事仲間からはオメガなのに匂いがしない、と言われることがほとんどだ。業界では抑制剤の常用摂取で匂いが薄くなっているオメガやアルファもそう珍しくはないので、特に珍しいことでもないのがせめてもの救いだ。
なのに、今回の発情期では自分でもわかるほど濃いものが出ていた。いつもと違うのは、薬によるものではない、自然な発情期だったからだろうか。
「好きな人でもできたのかしらね」
女医はカルテにいろいろと書き込みながらそう言った。
「そういう相手がいると濃くなったりするんですか?」
思わずキキは尋ねる。
そうねぇ、と女医は足を組み替えながら言う。
「最近はセックスした? そういうのも、人間には大事よ」
「せっ…、」
女医のそのあけすけな物言いに、キキの方が照れてしまう。
今現在恋人はいないし、欲しいとも思わない。
キキの中で、子供が欲しいということと、伴侶を得ることは微妙に認識が違う。子供は愛の結晶だと思うが、セックスは愛がなくてもできてしまうものだ。自分が伴侶に求めるのは絆のようなものであり、肉欲ではない。薬の影響もあって発情期中は性衝動に駆られるが、それ以外ではあまり感じることはない。
「今は好きな人も、そういう相手もいません」
「そう、じゃあ次までのあなたの宿題ね」
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