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幻影⑵

 翌日、キキは事務所に呼び出されていた。 「社長、どうしたんですか」  社長室に来るように指示され、中に入ると吉沢の姿があった。重々しい雰囲気が漂う。 「キキ、どういうことか説明してくれるかな」  にっこりとした笑顔で、社長が差し出してきたのは週刊誌。見るとそこにはデカデカとした見出しで『超人気俳優・相模圭一熱愛報道♡相手は美人カリスマモデル』の文字。相模がキキを横抱きにしている写真が一緒に掲載されていた。相模の首にはキキの手が回されている。 (多分、あの日だ)  直感的に、キキはそう思った。第一、それ以外に心当たりもない。 記事では『スタジオからホテルに直行』『三時間の密室デート』など面白おかしく書き立てられている。キキの顔は意図的にモザイクがかけられており、表情はわからない。多分、副作用のせいで青ざめた顔をしていたに違いない。週刊誌側の不都合なことを隠すためのモザイク処理だった。 「えと……、その……僕です」 「そんなのわかっているよ。どういうことかと聞いてるんだ」  社長の顔は笑っているが、声は全く笑っていない。傍に立つ吉沢の顔がどんどんと青ざめていく。事の顛末は吉沢にも詳しくは説明していなかった。 「この日、撮影先で発情期が来てしまって、相模が助けてくれたんです。ホテルで介抱してくれて。それだけです。恋人とか、そういうのじゃありません」 「キキ、僕は君の身体のこともちゃんと知ってる。相模君はアルファだろう? 発情期のオメガと一緒に居て、何もないわけがないというのが一般的な考えだよ」  社長の言うことは尤もだった。当事者のキキでさえ、そう思う。でも本当に、何もない。 「信じてもらえないかもしれないですけど、本当に何もないんです。もしかしたら相模は…」  そこまで言い及んでから、キキは口を噤んだ。 (憶測で話しちゃだめだ)  キキは相模についていくつかの仮説を立てていた。相模がキキを抱かなかった理由を。 「僕は君のことを信じている。ただ状況証拠が揃いすぎていて、向こうの事務所も火消作業に邁進しているよ。発情期のことまでは書いてないけど、現場にいた人にはキキがそういう状態だったと気づいている人もいる」 「キキ……、私があの時帰らなければ」  吉沢は悲しそうな声で言う。 「吉沢さんのせいじゃないよ。帰っていいって言ったのは僕だし。あの日誘発剤は飲まなかったから来ないと高を括っていた僕が悪いんだ。結果的に相模にも社長にも迷惑をかけて、ごめんなさい」  キキは頭を深々と下げた。 「顔をあげなさい、キキ」 「社長……」 「君に何もなくてよかった。僕も吉沢も君を心配していたんだ」  社長の言葉にキキは少し泣きそうになる。 「相模君の事務所は全面否定してますけど、こちら側はどうしますか?」  すでに発売されてから二日経っていた。あまりの反響に無言を貫いていた相模の事務所は、否定のコメントを出さざるを得なかった。吉沢は不安そうな顔で社長に尋ねる。 「幸いキキの名前も顔も出ていないし、敢えてこちら側からは発信しないでおこうと思う。問い合わせは何件か来ているが、幸いキキは相模君と違ってメディアの露出がないし、ファンじゃないと判らない」  モデルはイメージがつくと仕事に影響が出る。結婚すれば幸せそうなイメージ、不倫すれば汚らしいイメージ。そのイメージは、作品を作り上げるには邪魔なものでしかない。 この件については申し立てせず、何を聞かれても答えないように言われた。  メディアは世間的な知名度のある相模ばかり追いかけているので、キキに直接インタビューをしてくる記者は幸いにもいなかった。たまにカメラマンにつけられているようなことはあったが、仕事先と安全のため一時身を置いているホテルの往復だけだ。特に撮って面白いものはない。  むしろ、ずけずけと踏み込んでくるのは現場の人間だった。モデル仲間や、カメラマンなど、噂は一気に広まっていたようだった。  スタジオに入るなり、タイチが面白そうな顔をしてキキに近づいてくる。 「相模さんの熱愛報道の相手ってキキなんでしょ?」 「知らない」 「みんなキキだって言ってるよ、発情期でお持ち帰りされて何もないわけないじゃん」  周囲のモデルたちはタイチの言葉にくすくすと笑いをこぼす。居心地が悪い。キキは知らぬ存ぜぬを突き通さなければいけない。「何もない」と否定すれば、相手が自分だと認めることになってしまう。タイチはそれがわかっていて、キキをからかっている節があった。 「知らない」  キキは俳優ではないから演じることは得意ではない。平静を保つ努力はできても、一度頭に血が上ってしまえばそれを抑えられる自信はなかった。頭の中で気持ちが萎えることを考える。昔に見たスプラッタの映画のワンシーンをふいに思い出し、気分が萎えるどころか悪くなってしまい、吐きそうになる。手を当てて何とか凌いだものの、その様を見て今度は「キキ妊娠したんじゃない?」と面白おかしく囃し立てられる。 (人の気も知らないで……!)  怒りが頂点に達しようとしたその時、スタジオに相模が入って来た。

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