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幻影⑶
相模はすごい形相でキキに近づいてくる。ざわつく周囲には目もくれない。
「キキ!」
何か言いたげなことがある様子で、相模はキキを見つめた。だが、その次をいつまでも相模は言わない。勢いよく入って来たくせに、その威勢はどんどんと失われていく。いつまでたっても何も言わない相模。それに焦れたキキは相模の手を掴んでスタジオを出た。
「相模さん、何、どうしたの。報道が出たのに接触するのはお互いに得策じゃない。こんなに人もいるのに、今だって見られてる」
二人は廊下の隅で邪魔にならないように話しているが、やじ馬たちは撮影そっちのけで観察している。小声で話しているので、さすがに声までは聞こえないだろうが、余計に怪しさが増しているようにも思えた。
「キキ、俺たちが何であんなに噂になってるのかがわからないんだ。俺の側は全面否定しているし、あの後から一回も会っていない。それなのにキキとのことばかり聞かれるんだ。キキの方からあれはれっきとした風邪で介抱されただけだと釈明してくれないかな」
相模のその言葉が、キキを確信させた。
「相模さん、本当にあれが風邪だって、今でも思っていますか?」
「うん。事務所はなんでか、そんな訳ないって聞いてくれないけど」
相模が間髪入れず、正直にそうだと答えたことに、キキは大きなため息をついた。
相模は突然のキキのその態度の意味が分からず、怪訝な顔をしてしまう。
「相模って、今日何時に撮影終わるの」
キキはもう猫かぶりはうんざりだと、相模に対する敬語をやめた。仕事相手には年上年下関係なく敬語で話すが、どうしても会話のテンポが悪くなる。急なキキのタメ口に驚いたのか、相模は裏返った声で「四時」と答えた。
「そのあとは? 別現場?」
「いや今日はこの現場で終わり、そのあとはオフ、です……」
あまりのキキの勢いに相模の言葉尻がしぼむ。すっかり借りてきた猫のようになってしまった。この調子だとこっぴどく事務所に怒られたのだろうなとキキは察した。
「僕ね、相模に確認したいことがあって。できれば人のいないところで話したいんだけど」
「……俺は構わないけど、また誤解されないかな」
「僕のマネージャーにここの会議室を借りてもらうように手配するから心配しないで。今日はそっちのマネージャーさんは?」
「いるけど、たぶんキキと会うって言ったら会わせてくれないと思う」
「じゃあ適当に撒いて、長くは手間かけさせないから。じゃあまた撮影後に」
詳細はマネージャーが伝えに行くから、と言い残してキキはその場を後にする。スタジオに戻ると、すでに撮影は始まっていて、キキはカメラマンに頭を下げた。
先に仕事を終えたキキは、吉沢が手配した会議室に来ていた。
時刻は三時半。あともう少しで相模が来る。吉沢には会議室の前で人払いのために、待機するよう頼んだ。第三者が立ち会うほうがよりいいが、話が話なのでそうもいかない。
コンコンと、ノックの音が聞こえた。入ってきたのは相模だった。
時刻はまだ四時になっていない。
「お疲れさま。予定より早く終わったから、来た、けど」
すっかり元気のない相模に一抹の申し訳の無さを感じる。きっと相模はこの後もっと青ざめるだろう。せめてもの慈悲で、優しく目の前の椅子に腰かけるよう促した。
「待った?」
「ううん。来てっていったのは僕だし気にしないで」
「確認したいことって何? 今回の事と何か関係があるの?」
相模はきょとんとした顔でキキに尋ねる。自分から話を持ち掛けはしたものの、正直どう話を切り出そうかと迷っていたキキは、相手から話題を振ってくれたことに感謝した。
……魔女狩りなど、キキも好んではしたくなかったから。
呼吸を整えて、目の前の男に真剣に向き合う。なるべく、簡潔に尋ねた。
「相模、君って、ベータだよね?」
その言葉にうろたえる様子などなく、相模は返事をする。
「違うよ、何言ってるのキキ。俺はアルファだ」
何を言い出すんだよ、と言いたげな表情で相模は答えた。しかし、「本当のことを言って」と、キキはその否定を退けた。
***
「相模、君って、ベータだよね?」
キキにそう尋ねられ、一瞬で内臓が冷えた。
「違うよ、何言ってるのキキ。俺はアルファだ」
相模は当然のように否定をする。でも、どうしてそう思うのなどとは、怖くて聞けない。
キキからは机で見えないが、すでに足はガタガタと震え始めている。
キキはじっと、相模のことを静観している。深い緑色の瞳が強い力をもってこちらを射抜く。何もかもを見通している目だった。
「相模、本当のことを言って」
キキは優しく言った。
(あぁ……潮時か)
キキの確信を得た表情に、小手先の嘘は何一つ通じないことを相模は悟った。項垂れて、頭を抱える。机の上に身を投げ出しながら力なく、「そうだ」と答えた。
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