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幻影⑷

「なんで、わかったの」 (俺がベータだって……)  拗ねた子供のような口ぶりで、相模は尋ねた。 「君が疑問に思ってることと、関係してるんだけど。……あの日、僕発情期だったんだ」  キキは躊躇いがちにそう答えた。 「発情期……」 「相模はアルファなのに僕の匂いに反応しなかったでしょ? 最初はその、フェロモンを感じにくい体質とかなのかなって思ってたんだけど。ずっと風邪だと勘違いしてるみたいだし、今もなんで囃し立てられてるかわかってなかったみたいだから……。相模がベータなら、すべて合点がいくんだ」 「本当に、発情期だったなんて……」  事務所の人間はキキがあの時発情期だったと言っていたが、相模はただの風邪だと否定していた。 廊下に倒れていたキキ。妙に身体が熱を帯びているとは感じたが、まさか発情期だとは思わなかった。相模がオメガの発情期に遭遇するのはこれが初めてだった。  ベータの自分はオメガのフェロモンの匂いはわからない。段々とその時対応してくれた現場スタッフの困惑した態度も、納得がいった。 『あの、それキキさんですよね。相模さん平気なんですか?』 『俺は大丈夫だけど? さっきそこで倒れてたんだけど、身体が妙に熱い。風邪かな』 『はぁ……?』 もしかしたら、あのスタッフはベータだが敏感にフェロモンを感受する体質なのかもしれない。いや実はアルファだった? どのみち嗅ぎ分けることのできない自分にはわからない。ただ、あのスタッフにはキキが発情していることがわかったのだろう。 「顔が赤かったけど、熱が出て動けないだけだと思った……」  あの時のキキは本当に苦しそうで、相模は放っておくことが出来なかった。普段なら冷静になって考えられることも、咄嗟のことで身体が先に動いてしまった。自分が助けなければ、今にもキキが死んでしまいそうで、手を伸ばしてしまった。 (助けなければこんなことには……)  一瞬、卑しいことを考えた。  ブンブンと頭を振り、そんな自身の弱い部分を払拭する。そんなことを考えてしまう自分が惨めでたまらない。 「……僕の事、助けなきゃよかったって思った?」  キキのどこか悲しそうな声が降って来た。顔を上げると、キキは涙を浮かべていた。 「キキ、そんなこと……」  心情を言い当てられて、返答に困る。……思ってないよとは、言えなかった。 本当の自分は嘘をつくことが、嫌いでたまらない。きっとキキは自分の気持ちに気づいている。否定しても、嘘だとばれてしまう。だったら、嘘などつかない方がましだった。 「ごめんなさい」  キキの口から出たのは罵倒ではなく、謝罪だった。 「僕がちゃんとしていれば防げたんだ。抑制剤の注意書きも読まずに使って、相模に迷惑かけて。携帯だって持って出ていれば何か変わってたかもしれない」  涙声で言い募るキキ。 「僕あのまま放置されてたら、どうなっていたかわからない。連れ込まれて無理やり犯されててもおかしくないんだ。相模が助けてくれたから、無事だったんだよ」  「だから、相模には感謝してる。迷惑かけてごめんなさい」と、キキは頭を下げた。  その言葉に相模は唖然とする。もし、俺がキキを助けなかったら……、考えるだけで恐ろしい。オメガが性被害にあっても、フェロモンレイプと貶され矢面に立たされるのはいつもオメガだ。被害者なのに、加害者の扱いを受けることは知ってる。 「キキが無事で、良かった……」  素直な言葉が漏れた。自分のおかげでキキが苦しまなくて済んだのであれば、良かったのかもしれない。自然と口元が緩んだ。 「僕の事、怒ってないの?」 「なんで怒るの? キキは、悪くない」 「だって、あれがなければこうはならなかったし。それに……、僕にベータだってバレなかった。もちろん誰にも、言っていないから安心して」  そう言われても、長年の癖で疑心暗鬼にならずにはいられない。キキとはただの仕事仲間で、信頼関係なんてみじんもないように思う。そんな相模を案じたのか、キキが優しく言う。 「相模の事、僕も守りたい」  キキは相模の震える手にそっと触れてきた。そこで初めて、相模は自身の手が震えていたことに気が付いた。初めて触れたキキの手は、見た目の冷たさに反してとても暖かかった。 「……いいんだ、それは。いずれはバレることだし」  アルファを装っていても、綻びはいつか必ず出ることは相模もわかっていた。……その時がついに来ただけだ。週刊誌にすっぱ抜かれたり、ほかの同業者に見抜かれて噂を流されるより随分ましだ。

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