14 / 47
5,流星
相模圭一、二十三歳、アルファ性。それが、相模が芸能界で生きていくための肩書だった。
本名は芸名と同じく、相模圭一。年齢は一緒、違うのは「バース性」だけ。
たった一つの嘘が、いつまでも後ろめたさとなって自分に附いて回る。
テレビを点ければ、嫌でも自分の顔が目に入る。テレビだけじゃない、街中はどこもかしこも偽りの「自分」で溢れていた。
高校卒業と同時に、スカウトされ今のプロダクションに入った。最初は研究生として、下積みをした。デビューは大学在学中。芸の活動と学業の両立は忙しく、最後の方は何とか単位をかき集めて卒業だけはちゃんとした。今はありがたいことにより仕事も増え、芸能活動に専念することが出来ている。だが、学生らしいことはあまりできなかったし、大学でもアルファとして振舞っていた。学友も少しはできたが、腹を割って話せる人は誰一人としていなかった。周囲にも芸能人だということはバレていたし、どこか特別扱いをされていたように思う。
今だって、順風満帆なように見えて、その実は空虚な毎日だ。
仕事を終えて、自宅でシャワーを浴びる。染み付いた香水の匂いが洗い流され、やっと素の自分に戻った感覚になる。一般にはあまり出回っていない、アルファのフェロモンを模した香水。ベータの自身にも付けたかどうかわかるように、フレグランスも一緒に混ぜられてはいるが、どれだけ嗅いでもそのフェロモン自体の匂いはわからない。だが、この匂いがなければ、自分は「アルファ」にはなれなかった。
濡れた髪を乱雑にタオルで拭きながら、マネージャーの神崎から渡された原稿に目を通す。明後日は雑誌のインタビューの仕事が入っていた。事前に提示されている質問に対しての、決められた答えを暗記していく。そこに何一つとして、自分の言葉はない。話す際は自然に見せるために、逸脱しない程度にアレンジを加える。事務所側も無理に嘘を強要してくるわけではない。例えば『好きな食べ物は?』という質問に対して、『家庭的な料理全般』という答えが用意されていたとする。自身としても、それは好きな食べ物だ。でも、一番ではない。そういう些細なことが、どんどんと不誠実なように思えてきて、自分に対してうんざりするのだ。
一通り覚えたのを確認し終えて、携帯を開けると新規メッセージが入っていた。
差出人はキキ。
〈お疲れさま。明日は十時に集合でよかった?〉
絵文字も何もない、簡素なメッセージ。だが相模にはそれがとても嬉しい。
自分から気になる相手に連絡先を渡したのは初めてだった、それも同業者のオメガ。
先月、初めて自分がベータ性だとバレた。キキがオメガだということは知っていたのに、自分から手を差し伸べてしまった。自分の意志で何かをすると、ろくなことがない。
キキは相模がベータだと判っても、誰にも言わず秘密にしてくれていた。多くは語らなかった自身の苦しみを察し、優しい言葉を掛けてくれたのだった。
『僕の前ではありのままでいいよ』
別れ際に言われたその言葉が、ずっと頭から離れなかった。
キキとは一回食事を共にしただけで、仕事先でしか会わない。キキは雑誌の専属モデルだから、ほかの現場で会うこともない。自分からは誘うことはできないし、あちらも気は使ってくれているようだが接触はしてこない。
日ごとにキキが気になる、その気になるという感情をずっと持て余していた。
いつまでも考えているのが嫌になって、思い切って連絡先を渡した。
ダメもとで渡した連絡先。まさか本当に連絡が来るとは思ってもいなかった。
〈お疲れさま。これ、僕の番号です〉
見知らぬ番号から届いた一件のメッセージ。
最後の署名を見るまでもなく、ぶっきらぼうな文面はキキらしかった。
それから相模は毎日のようにキキにメッセージを送るようになった。
現場では顔を突き合わせても、挨拶をして、世間話を少しする程度。キキはにはキキなりの体面があるのかいつもよそよそしい。だがメッセージになると、丁寧に相模の話に返してくれる。どこか不器用なその優しさが、相模の心を癒す。
連日のやり取りから、明日がお互いにオフの日だということが分かった。よかったら一緒に出掛けないか、そう誘うとキキは断らなかった。
〈うん。〇〇駅の時計台に十時に集合で〉
キキの確認のメールに、待ち合わせ場所を添えて返す。すぐに既読がついた。
〈わかった、おやすみ〉
時刻はもうすぐ零時を回ろうとしている。キキがメッセージをくれたのは十時ごろ、この時間までずっと起きていたのだろうか。
相模がキキに抱く感情は、恋愛感情ではない。……はずだ。キキがオメガだから、どこか同性としてではなく異性として視ている節もある。
だけど、キキのことが気になるのは、もっとキキのことが知りたいという好奇心のようなものだと思う。それと同時に、もっと「自分」を知ってほしいのだ。
ともだちにシェアしよう!