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流星⑸

 日は傾き始め、カーテンの隙間から夕陽が差し込む。やがてあたりは薄暗くなり始めた。  無しの礫で、相模も困り果てた。明日もオフだが、ずっとここに居られるわけではない。 諦めて帰ろうかと、重い腰を上げた。「今日はもう帰るよ」と言うと、キキが口を開く。 「…あれは真白がずっと好きだった男だよ」 (やっぱり)  予想していた答えが返ってきた。だが、どこか他人事な言い方に、相模は違和感を覚えた。 「真白は、……キキだろう?」  相模がそう言うと、キキは相模をじっと見つめた。深い緑色の瞳が、一段と濃い色をしている。陰を宿したもの特有の、生気の感じられない目。  キキは首を横に振った。 「僕は、キキだよ。僕の本名は『真白』だけど、僕は『真白』じゃない」 「どういうこと…、」  相模はキキの言うことが何一つとして理解できない。キキは真白だけど、真白じゃないとは、一体どういうことなのか。 「キキは二重人格ってこと?」 「違う……。でも、そうかもしれないね。僕は『真白』じゃないけど、『真白』は僕だから」  ますますキキの言葉に混乱する。なんと聞き返していいのかわからない。 「僕の話、聞いてくれる?」  キキの目は、覚悟があるのかと問いかけているようだった。 「俺に聞かせて、キキの本当のこと」  相模はキキの視線を外さずにそう返した。この機会を逃せば、二度とキキについて知ることはできないと思った。相模は部屋の明かりをつけ、そのままキキの隣へ腰かけた。 「真白はね、あの男のことが好きだったんだ。ベータだったころから」  キキは訥々と話し始める。やっとキキについての話が聞けると思っていたのに、話し始めたのは真白についての話だった。 だが、キキの言葉に相模は高揚を抑えられない。 (変異種……!)  バース性が変化する人間がいることも、それが珍しいことであることを相模はよく知っていた。一時期、どうにかアルファになれないだろうかと、図書館に籠り文献を読み漁った。成長過程で確立されていくパターンと、細胞が退化または進化して変化するパターン。  前者は先天的、後者は後天的な要因だと言われている。後天的な要因としては、「運命の番」と巡り合うことでその種が発芽することも書かれていたが、本当かどうかはわからない眉唾ものだ。  店で会ったあの男は、どこからどう見てもアルファにしか見えなかった。見る人が見れば普通のアルファとは違って見えるのだろうか。 「あの男が昔はベータだったなんて信じられない。どう見てもアルファだった」 「そうだよ。中学生の頃はベータ性、高校生からはアルファ性」 「話では知っていたけど、実際にバース性が変化する人間がいたなんて」  特に第二次成長期に見られる兆候だと書いていた気がする。成人してからも稀に突然変異する人間もいるらしいが、ほとんど報告されていない。 「彼もだけど、」  感心する相模にキキが言った。 「『彼も』って……、まさか」 「そう、そのまさか。真白もバース性が変化した人間。真白はベータ性からオメガ性だけど」  その言葉に相模は目を見開く。 「じゃあ二人は、『運命の番』……」  相模は思ったことをそのまま口にした。そう言ってから、キキの首元に噛み跡がないことに気づいた。そういえばキキは首輪もせずにいつも首を晒している。 『あの男が好きだったんだ』  綺麗な首筋には番を解除した後もない。だが、後天的なバース性の変化の要因として一番有力なのは「運命の番」の存在だ。惹かれ合うために、本性が変化する。 「そうだと良かったんだけど、……違うんだ」  キキは話し始めるうちに吹っ切れたのか、先ほどに比べて声色は明るかった。  首に手を当てながら淡々と相模に告げる。 「あの男…佐伯結城っていう名前なんだけど、佐伯が噛んだのは真白のじゃなくて、彼の『運命の番』の首だった」  キキが悲しそうな顔をするものの、しかし、どこか他人事のようだった。 「真白はその、佐伯っていう人とどういう関係? 付き合ってはいたの?」 「……同級生。付き合ってはいない」 「同級生……」 (って、キキまさかの年上……⁉)  男の見た目は自分より幾分年上だったように思う。若く見繕っても、三十歳前後。  驚く相模を尻目に、キキは続ける。 「真白も佐伯も、中学生の時の第二次バース検査で変化したことが分かった。その前からお互いに好きあってはいたんだけど、ベータの同性カップルはなかなか肩身が狭いでしょ。だから気持ちを伝えることはなかった。真白はオメガになれたことをすごく喜んでた。そこに佐伯がアルファになったことを知って、『運命』だと疑わなかった。でも……」  『運命』は、真白じゃないほかの誰かだった。

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