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溢水⑶
「あの日僕が一緒に居たのは真白ではなくキキです」
「キキは真白だろう。調べて裏もとってある」
「いえ、そういう意味ではなくて」
「どういう意味だ」
「僕の口からはなんとも。それはキキの口から聞いてください。もっとも、キキはあなたに会いたくはないと思いますけど」
佐伯は苦い顔をしている。…避けられているという自覚はあるみたいだ。
「残念ながら僕はキキとは友人関係です。佐伯さんが思っているような間柄ではありません。あの時はただのナンパだと思って、守るために嘘をついただけなんですよ」
「だからどうぞ、ご安心を」と付け加えると、相模の言葉の含みに気づいたのか、佐伯の眉がピクリと上がる。
「……何を真白から聞いたんだ」
「いえ、キキはなんとも。貴方とのかつての関係について少し教えてくれただけです。……貴方のことを、冷徹で自分を捨てたようなひどい男だとは、一言も詰ったりしませんでしたよ」
相模は佐伯にどう思われてもよかった。仕事がなくなっても、それが後々尾を引くようなことになっても。佐伯の鼻をただ明かしてやりたかった。
「それは俺に対する嫌味か?」
「俺は正直、貴方のことを人として信用できない。貴方に『番』がいることは知っている。運命だからって、なぜ真白のことを切り捨てたのか俺にはわかりません」
「君もアルファならわかるはずだ」
「わかりません。運命は、好きだと思う感情よりも大事なんですか」
「それは…、」
「キキは今もあなたのせいで苦しんでる。ずっと一人で戦っている」
身体が不完全なキキは投薬治療をしている。以前薬が合わずに体調を崩していることがあった。過去の自分と決別したくて、顔まで変えたキキの辛さを、この男は何も知らない。
「たまたま久しぶりに会って、気まぐれに手折りたいだけならキキから手を引いてください」
その言葉に「わかったような口をきくな!」と佐伯は声を荒げた。
「たまたま再会しただと? 九年間ずっと真白のことを探していた。ずっと真白のことを大事に思っていた。なのに、ある日突然俺のもとから消えてしまった……」
佐伯の表情は本当にわからないんだと、顔に張り付けていた。
「どうして久しぶりにあって、あんなに怯えた顔をするのかわからない」
「あなたは真白とどうなりたいんです? 手元において、幸せそうな姿を見せつけて、そうやってまた昔と同じように、次はキキのことを苦しめたいんですか?」
「苦しめたい?」
「なんで全部言わないと貴方はわからないんだ! 自分がしたことに少しでも後ろめたいと思うことはないのか‼」
「俺はただ、真白とまた一緒に居て、彼を慈しみたい。あんなに恋焦がれるのは真白だけだ」
これ以上この男には何を言っても無駄なように感じた。
高級な品々を身に纏い、存分な自信や権力を持っていても、所詮は飾りだ。相模の目には、目の前の男が虚像に思えて仕方がなかった。この偽りの自分よりも。
剝がされて露呈した本音は、思いやりの欠片もない、ただのエゴだ。
(こんな男に、キキを渡せない)
キキがこんな男のせいでひどい目に会っているのも、一人で我慢しているのも耐えられない。もっといろんな選択肢があったはずなのに、キキは未だに過去に囚われて前に進めない。
そしてこの人も、ずっと昔の幻想に浸っている。
「そんなに好きで、愛していたのであれば、噛んであげればよかったじゃないですか」
喉奥から冷めきった声が出た。
「選ばなかったのは、貴方の意志ですよ、佐伯さん」
_たとえ、『運命の番』に出会っていたとしても。
相模のその言葉に対する、佐伯の返事はなかった。
場もしらけ、食事をする空気でもなくなり、相模はその場を後にする。
「貴方にキキは絶対に渡さない」
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