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垂水⑵
キキは佐伯を睨みを利かせていった。
佐伯は渋々と言った様子で、スーツの胸ポケットから名刺入れを取り出す。
「連絡先だ。急にきて悪かった。……君の都合のいいときに連絡してほしい」
「そんなもの要らない」
「頼む、受け取ってくれるならもうここには来ない」
佐伯の言葉に信用する余地などない。しかし、受け取らなければ、この男は引かない。
キキはいやいやその名刺を受け取る。
「ありがとう。じゃあ連絡を待ってる」
佐伯は大人しく帰っていった。
静かになった玄関に、パタリと座り込む。
今更になって身体が震え始める。
(怖かった……)
家に来るなど思ってもみなかった。相模に気を付けるよう言われていたのに、忘れていた。
いくら成人男性とはいえ、オメガはアルファには敵わない。押し倒されれば抵抗もできない。
手に持った佐伯の名刺をぼんやりと眺める。
こんな紙切れなど、捨ててしまえばいい。自分にとって意味のあるものではない。
そう思うのに、捨てられなかった。
『君の都合のいいときに連絡してほしい』
佐伯はそう言っていた。
再開してからの佐伯の態度には強引な部分が目立つ。だが、決して手荒なことはしない。今回の事も譲歩、してくれたといってもいいのだろうか、配慮はしてくれている。
(自分が過度に佐伯を敵対視しているだけ……?)
佐伯は再三、話をしたいとキキに伝えてくる。尤も、同じくらい佐伯にはキキも伝えているのだが。
(自分が変に身構えているだけで、純粋に佐伯が話をしたいだけだったら?)
(でも今更、一体何を話すことがあるのか)
(番との惚気話でも聞かせるつもりなのか、あの男は)
ふと、相模の手に指輪がないことが気になった。
相手とは結婚しなかったのだろうか。地元を離れて身元を隠しているキキにはその手の情報は回ってこない。番契約だけを結んで、籍を入れないことはままある。だが、『運命の番』が相手で、他の人を相手にしないくらいに好きなのなら籍は入れているだろう。
結婚しても指輪を付けたがらないアルファは多い。佐伯もその類だろうか。
「惨めたらしい……」
佐伯のことなど微塵も好きではないのに、顔を見る度、思い出すのは彼が幸せそうに番と過ごす姿だ。
高校の卒業式の日、最後に佐伯の顔が見たくて、弱り切った身体をおして学校へ行った。でも面と向かってみる勇気はなくて、木の陰から覗いていた。友人達の輪の中心に、結城と彼がいた。幸せそうな二人は、自分には気付かない。真白はその横顔に、さよならと言った。
もういい加減、終わりにしたい。
いつまでも、お互いにずっとこんなことは続けていられないと思う。
(でもどうすれば終わらせられる?)
そもそも、自分たちにとっての終わりってなんだろうか。
「好き」の一言もない、始まってもいない関係。その関係に終止符を打つというのはなんともおかしなことではないか。
仮に「好き」と一言、自分が言えば何かが変わるのだろうか。はたまた、佐伯に「好き」と言われることを自分は待っているのだろうか。答えは否だろう。
何度でも同じところに戻ってくる。真白はもういないということに。
自分たちにはもう何もかもが遅いのだと、キキは思った。
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