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泡沫⑶
「佐伯さんとはうまく話せた?」
「うん」
駐車場に向かいながら連れ立って歩く。
「納得してくれた?」
「納得って?」
「そのキキがもう真白じゃないこととか、その他諸々」
相模はどこかそわそわとしている。気が気でないと言った様子だ。
「うん、ちゃんと僕のことわかってくれた。もう会うこともないんじゃないかな」
「佐伯さんがそう言ったの?」
「明言されたわけじゃないけど、また会おうとは言わなかったから」
「キキは会いたいの?」
「会いたくはないけど、やっぱり少しくらいは寂しいかな。なんだかんだずっといっしょに居たしね」
「そういうものなのかな」
どこか腑に落ちない様子の相模。
相模からすればあんなに熱心だった男があっさり身を引くのは想像がつかないのだろう。
恋愛は一人じゃできない。片思いはいくらでもできるけど、それは恋心でしかない。
愛を語ることはできないけれど、佐伯は彼を今でも愛しているとキキは思う。彼は大切に思う以上の感情は注げなかったと言っていたが、それで十分ではないだろうか。
好意や慈しみは気さえ向けば誰にでも与えられるものだ。でも、大切にしたいと思う気持ちは、やはり自分が認めた相手にしかあげられないものだと思う。
「相模、ありがとう」
「どうしたの急に」
「佐伯と話したときに、ちゃんと僕のこと言っておいてくれてたんだね。嬉しかった」
「あの人全然伝わってなかったみたいだけどね」
「でも、そのおかげで今日はすんなりわかってくれたよ。相模のおかげだ」
あの日、相模がキキに向き合ってくれたから、今こうして迷わずにいられる。
今の自分にとって誰よりも、何よりも、大切なのは相模だった。
「相模と出会えてよかった」
キキは満面の笑みで、そう伝えた。
「俺も、キキに出会えてよかった」
相模もキキと同じくらいの笑顔で返してくれる。
(この人を好きになれてよかった)
心の底からキキはそう思った。
「ねえキキ、寄り道していい?」
運転する相模がそう尋ねる。
「ダメじゃないけど、どこに行くの?」
「海」
しばらくして二人を乗せた車は目的地に着いた。以前来た場所と同じ。
日は傾き、周りはオレンジ色に染められ始めていた。
「寒いけどちょっと我慢してね」
二人で車外に出て、海を見る。
「サンセットを見に来たの?」
「ううん」
「じゃあどうして海に、」
キキがそう問いかけた時、突然相模がキキのことを抱きしめた。
力強い抱擁に、息が止まるかと思う程だ。
だがキキの肩口に振ってくる声は、酷く臆病で弱々しい。
「ずっと、考えてた。キキがどこかに行ってしまうんじゃないかって。今もこうしてここに一緒に居るのが、夢みたいなんだ」
「どうして、そう思うの?」
「……キキが真白のことを大切に思っているのは知ってる。キキが真白のことを幸せにするために生まれたなら、佐伯とヨリを戻せば、キキがいなくなると思った」
(相模……)
名前を呼べないことにもどかしさを感じる。
呼べない代わりに、キキはぎゅっと相模を抱き返した。背中に腕を回す。
「僕はここにいる。君がずっと、一緒に居てくれたから」
相模と親密になる以前に、佐伯と再会していたら。
きっと自分は佐伯の手を取ってしまっていたと思う。
そうなれば相模が言うように「自分」は消え果てるだろう。
真白に戻るのか、はたまた新しい自分になるのかわからない。でもそこに僕はいない。
ずっと空虚な身体の中に、自分の居場所を探していたのかもしれない。今の身体の持ち主は自分だと言っておいて、本当は真白が羨ましかった。
声を上げなくても、真白はずっと存在していたのだから。
「もう、真白はいないよ。僕は、キキだ」
佐伯と握手をした時、暖かな気持ちに包まれるとともに、身体が軽くなる感覚を覚えた。
あれは、キキにとっても真白との別れでもあった。
「ありがとう。……だから泣かないで」
自分を抱きしめて、自分のために涙を流してくれる相模。そんな男を愛おしいと、思わないわけがない。
「キキ、情けない男でごめん」
「情けなくなんかないよ、君はいつでも優しい男だよ」
キキは相模の涙を拭う。相模の涙は、とても熱かった。
相模はおもむろにキキのその手を取り、自身の頬にあてがう。
熱い目で見つめられた。あの、目で。逸らすことはしなかった。
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