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第652話
あのあと、どうやって帰ったかは覚えていない。
ただ、心にぽっかりと穴が空いたような感覚で、虚しくて何も考えたくなくて、家の中から必要なものだけキャリーバックに詰めて家を出た。
城崎との思い出は、全部置いてきた。
城崎がそばにいたから大切なものだった。
城崎に捨てられた俺にとって、持っていてもただ辛い思いをするだけだから。
必要なものだけまとめると、俺のものは意外と少なくて、この家にあるのは城崎との思い出ばかりだったんだと涙が溢れた。
鍵は閉めてポストに入れた。
思い返すと、この家で一緒に過ごした時間も、長いようで短かったな。
思い出はたくさんあるけど、数字にすると約8ヶ月。
一年も経ってないんだもんな。
好きだったなぁ、この家。
この家というか、城崎といたから好きだったんだよな、きっと。
帰ったら城崎がいて、逆に俺が城崎を出迎えたりして。
起きた時も、家を出る時も、帰った時も、寝る前も、キスするのが楽しみだったし、幸せだった。
一緒にお風呂に入って、何度も愛し合った。
もうここには帰ってくることないのかな。
「ありがとう。」
振り返って、部屋の方に会釈した。
たくさんの思い出が詰まった部屋。
解約するのかな。それとも、あの子と住むのかな。
あの子と住むくらいなら、解約してほしいな…。
行くあてもなく、何となく昔通って場所を覚えている涼真の家に辿り着いた。
アポなし訪問、迷惑かな。
あいつ彼女できたって言ってたし。
なんて思いながら、インターホンを押す。
「は?え?綾人??」
「悪い。しばらく泊めて。」
ずぶ濡れのまま大荷物を持った俺を見て、涼真は困惑していたけど、何も聞かずに部屋に入れてくれた。
「いきなりごめん。彼女、約束あった?」
「いや、ないよ。大丈夫。」
「そっか。悪いな。」
涼真の家、久しぶりだ…。
城崎にダメって言われてたもんなぁ。
親友なのに、何かあったらダメだからって。
あるわけないじゃん、涼真と俺が。
でももういいか。城崎は俺じゃない、あの子と寝てるんだから…。
あー…、ダメだ。また泣きそう。
「綾人、風呂沸いてるから。入りな。」
「……ん。」
込み上げてくる嗚咽を我慢して、何とか相槌だけ打つ。
シャワーを浴びて、風呂にまで浸からせてもらって、借りた服を着てリビングに顔を出す。
「綾人、スマホずっと鳴ってるぞ。」
「うん。」
「いいのか?」
「うん。」
スマホがずっとバイブレーションで通知を知らせている。
きっと、いや間違いなく城崎だと思う。
今はあの大好きな声すら聞きたくない。
言い訳されたら、余計惨めだ。
そっとスマホの電源を落とし、布団にもぐる。
「もう寝んの?飯は?」
「いらない…。」
「……ちゃんと聞くから。話したくなったら話せよ?」
「うん。ありがとう。」
今は何も喉を通る気がしない。
何も聞いてこない涼真の優しさに甘えて、俺は静かに目を閉じた。
昨日も眠れず、今日は朝から散々で、身体的にも精神的にもボロボロな俺は泥のように眠った。
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