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10話  再会の忠義

 五条の大橋での出来事から時が経ち、季節は春から初夏へと移り変わろうとしていた。 そんな折、与吉が兄頼朝からの文を携え鞍馬寺へとやって来た。見ればまた近々、内密に遮那王へ会いに京へ出てくると書いてあった。 遮那王は嬉しさのあまり、誰から見ても舞い上がっているように見えただろう。  遮那王は与吉から文と共に貰った干菓子を、いづるに分け与え、少しの間共にぶらぶら歩き、話をした。そうして寺へと戻ると、本殿使いの僧に呼び止められた。 「遮那王、昼間そなたを訪ねてきた者があったぞ。男だった」 「与吉殿でしょうか?」 「いや違う。もっと大柄な男だった。名前は何と言ったかな、とにかくそなたに会いたいとしつこいものだから追い払っておいたぞ」 「かたじけない。今後も素性のわからぬ者が訪ねて来た際には、そうしていただけると助かります」 「そうしよう。あと、遮那王。あまり抜け出して遊び歩くんじゃないぞ?私だから見逃してやるが」  遮那王は、わかったと意思表示をし、すぐに掃除へと取り掛かった。 一体誰が自分などを訪ねてきたのであろうか。与吉やいづると言った一部の者に関しては、鞍馬寺の者は周知している。 平家方の者であれば厄介な事この上ないので、そこは寺の僧たちに盾になってもらうより他はない。      翌日、遮那王は日暮れ近くに、以前頼朝と語らい合った川で、僧正坊から貰った兵法書を読みふけっていた。孫子(そんし)呉子(ごし)六韜(りくとう)など、今、遮那王が生きているこの時代よりさらに古代の中華にて、このような先進的な兵法がもうすでに確立されていた事に、遮那王は驚きを隠せなかった。 「この日の本(ひのもと)は、案外狭いのかも知れぬな···」  事実、騎馬を駆使した野戦、そして今の日の本にはおそらく無いであろう城を砦として戦う攻城戦。その全てが遮那王を熱くさせ、そして未知の世界へと誘うものであった。 それと同時にそんな自分に、失望にも似た思いが込み上げてくるのを遮那王は感じた。 「戦を求めているのか···私は···?」  父を奪った戦を、親子兄弟が離ればなれになってしまう戦を――  暫しの後、遮那王は頭を振り立ち上がった。今そのような事を考えても詮無い事だ。 兄と共に暮らす。それはおそらく生半可に叶うものではない。そしてそれが叶えるには、おそらく平家を――    そこまで考えた時に、周りの茂みから一斉に物音を立て、数人の人間が飛び出して来た。 遮那王は身構える。なぜならば、全員帯刀していたのだ。 五人、六人、全部で七人。遮那王は冷静に相手の人数を数えた。 丸腰の子供に大の大人が七人とは、と遮那王は珍しく苛ついた。   「遮那王、命をもらう」  三人が一斉に遮那王に太刀を構え、斬りかかってくる。遮那王は体術で受け、(かわ)す。三人は体制を崩され地面に転がる。その間にもまた一人、二人と挑んでくるのを、遮那王は相手の懐に飛び込んで、足を取りそれも地面へ叩き付けた。 「お前達は兵士ではないな。どこぞの傭兵か」  遮那王が問えば、頭のような顔に傷のある男が下卑たようにニヤけて答える。 「違わねーよ。俺たちゃ金で雇われた」 「誰に?」 「答えられねぇな。守秘義務って奴だ。だがまあ、関係ねぇか。お前は死ぬんだからよぉ」  遮那王の眉間にしわが寄る。そこに傷の男がさらに口を開く。 「だがなぁ、しかし。聞いてはいたがこれは中々だな」  遮那王は要領を得ない言葉に、思考を巡らす。そんな遮那王を見て、男の眼が細くなる。 「さすがは都で並ぶ者がいない程の上玉と言われた、常盤御前の血を引くだけある。ただ殺すのは惜しいねぇ。ガキだが、黙ってりゃそこらの女よりよっぽど良い相手になりそうだ」  遮那王は心底ゾッとした。要は、遮那王を慰み者にするという事と言うだ。 「稚児育ちなんだ。寺じゃあ、毎晩坊主達のモノを咥え込んでるんだろうが。女にも飽きた所だ。よがらせてから殺してやる」  そう言いながら、間合いを詰められる。この人数で無理矢理抑えつけられれば、さすがの遮那王すら振り解く事は出来ない。 「おい、抑えろ」  男の声と同時に、全員が一斉に遮那王を掴もうと手を伸ばした、その時。遮那王の目の前が何かに遮られた。次の瞬間、遮那王目がけて襲いかかってきた連中が皆、地面に倒れているではないか。 遮那王の視界を遮ったのは、広く大きな背中であった。 「何じゃ貴様ハァア!!」  首領の男は叫び、小刀を抜きさりこちらに向かって来たのを、遮那王の前の大男は持っていた薙刀で払い落とし、首に手刀を叩き込んで沈めた。 それを見て、先程弁慶にねじ伏せられた輩達が次々と悲鳴をあげながら逃げて行き、仲間に引きづられるようにして、首領の男も姿を消した。  静けさを取り戻した所で、遮那王は目の前の男にようやく意識が向き、じっと背中を見つめた。 そしてその背中が振り返り、遮那王の前に突然膝まづいた。 「御曹司、ご無事で御座いますか!」  遮那王は、その顔に見覚えがあった。 「そなた···五条の大橋の」 「左様にございます。存ぜぬ事であったとは言え、貴方様に刃を向けてしまった愚行、何卒お許しいただきたい!」 「寺に私を訪ねて来たのはそなたであったか」  男は遮那王を見上げ、力強く告げた。 「御目通(おめどお)りしたく。不肖、武蔵坊弁慶。源氏の御曹司であらせられる遮那王様の家来になりたく、参上仕りましてこざいます!」  そう言うと、弁慶と名乗った男は深々と頭を垂れた。遮那王は動揺しているせいか、何が起こったのか暫く理解が出来なかった。そして最初に出てきた言葉は、思った以上に情けない声になってしまったと思う。 「いや、その···助けてくれた事、本当に感謝をしている。助かった···」 「いえ、この弁慶。貴方様の御為ならば、たとえ火の中に入る事さえ、厭わぬ所存にて」 「ああ···しかし、家来とは?確かに私は源氏の血筋ですが、今はただの寺の稚児で、家来など召し抱えられるような身ではありません。またそのつもりもない。そなたも知っての通り、源氏一門このような有り様。仕官をお望みならば他を当たられた方が良い」 「他の誰でもない!源氏だからではなく、私は貴方様にお仕えいたしたいのです!」  遮那王は困り果てた。今さっき野蛮な輩に命を狙われたかと思えば、今度は以前絡まれた男に家来になりたいと言われ、いくら物分りの良い頭を持つ遮那王でも混乱の極みに達していた。  ふいに出そうになる溜息を押し殺し、遮那王は頭を下げ続ける弁慶を見た。  「顔をお上げに」  顔を上げた弁慶と目があった。その瞳は、燃えたぎる炎の如く、熱を帯びていた。  ――何と力強い  思ったよりも若く、そして精悍な顔つきをしている。そして何より、目に嘘が無い事を遮那王は感じ取った。それも直感で。もしかすればこの男は自分や源氏の、そして行く行くは頼朝の力にもなってくれるやもしれぬ。 遮那王は弁慶と目線を合わせるように膝をつく。 「私についてきても、苦労が多いだろう。今の私はそなたに何も与える事ができぬ。そなた程の武勇があれば、こんな若輩者の私などよりもっと良い人間に仕える事ができる」  力強い瞳を一度も閉じる事なく、遮那王の言葉を聞き続けている弁慶に、さらに遮那王は続ける。 「それでも、私に着いてくるか?荒れ果てた荒野かも知れぬが、共に行ってくれるか?」  弁慶の瞳の炎が、一層激しく燃え盛った。 「命尽きるまで、共に行かせていただきまする!」  遮那王は少年らしい笑みを浮かべながら答えた。 「弁慶。今日から我らは運命を共にする仲間だ」

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