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11話 動乱の気配
その後も弁慶は、家来だからと遮那王の前によく姿を現した。遮那王が家来ではなく仲間だ、と何度言っても聞く耳を持たなかった。
弁慶は、元は比叡山の僧であった。ある日同門の僧達が寺院の堂塔 を誤って炎上させてしまった事があった。しかし全く無関係の弁慶が、無実の罪を着せられたのだ。
陥れられたと気づいたのは、寺を追い出された後であった。
元々武芸を好んでいた弁慶であったが、その実比叡山の僧達の中で、弁慶に叶う者は一人も居なかった。それ故に危険視をされたのだろうと、遮那王は言った。
それからの弁慶は腹いせに、都で威張り散らす平家の公達から太刀を取り上げ、憂さを晴らしていたのだ。奪った刀は売り払い、どこぞの商人に売りつけ金に換えようと思っていた。
九九九本まで集め、遮那王の太刀で千本目と言う所であったのだが、その出会いが運命を変える事になろうとは、あの夜の弁慶は知らなかった。
遮那王は言わば、今まで負け知らずであった弁慶を初めて負かした相手なのである。しかし弁慶の中には、こんな子供になどと言う狭量な思いは、微塵も沸き上がって来なかった。
あの夜から弁慶は、都中歩き回って遮那王の姿を探した。
似た姿の者を見れば、追いかけて顔を確認した。しかし遮那王は何処にも居なかった。
そのうち弁慶は、あの夜の出来事は夢なのではと思うようになり、あの少年は幻か何かなのではないかとさえ思うようになっていた。
人に聞き、人伝に聞くを繰り返し、ようやくあの少年が鞍馬寺に居る稚児だと分かった時。そして鞍馬寺の遮那王は、すなわち源氏の御曹司である事も。
常日頃の平家の横暴に、比叡山に居る頃から憤りを感じていた弁慶は、もはや遮那王の側に侍る事は疑いようのない運命にしか思えなかったのだ。
遮那王と言う主を得てようやく、弁慶は魚が陸から水の中に戻ったように呼吸が出来た気がしたのである。
「それでは、遮那王様はいずれは鞍馬寺を出られると?」
「ああ、そのつもりだ。いつになるかはわからぬが」
「その時はこの弁慶、真っ先に馳せ参じる所存に御座います!」
「わかっている」
もう何度目になろうかと言う弁慶とのやり取りに、遮那王は呆れながらも笑って返す。
「そうだ、近々兄上が京へ参るそうだ」
「まことに御座いますか?それは嬉しい知らせでございますな、遮那王様」
「ああ。いつも私の事を気遣って下さる、お優しいお方なのだ。兄上に弁慶の事を紹介したいと思うのだが、会ってくれるか?」
「お断りするはずもありません。遮那王様の兄君様にお会いできるなど、この弁慶、恐悦至極に御座います!」
「大袈裟だな、そなたは」
弁慶の事は、頼朝への文にも書いて知らせてある。頼朝から、この一月 の内に伊豆を出発すると報せがあったのは数日前。
しかし、遮那王には懸念もある。
「それはそうと遮那王様。以前、遮那王様を襲撃した輩達の素性についてですが」
遮那王は顔色が変わり、弁慶を見た。
「何かわかったか?」
「はい。この間から都にてずっと探っておりましたところ、人伝 に、金で情報を売っている烏 と言う老人の男が居ると聞き及びました。その男を見つけ金を掴ませた所、出所が」
「平家か」
「間違いありません。遮那王様が襲われる数日前に、平家方の者が大金を払い、烏の老人が野盗のならず者との仲介をしたそうです」
遮那王の懸念はそこであった。いくら頼朝が隠密に行動していても、どこで素性が知れるかわからないのである。まして今の平家の動きは、源氏の残党に集中している。
今回、遮那王の一件で露呈したのが、平家は一門以外の手の者を差し向けてくる可能性があるのだ。
現に平家は、“禿 ”と呼ばれる童たちを市井の放ち、平家に対する批判の声や、謀りごとを密告させている。
――この一月の間、何もなければよいが
遮那王は静かに、鞍馬から見渡せる京の都を見下ろした。
「暫し静観する事とする。今ことを荒立てては兄上まで危険に晒すやもしれん。すまぬな弁慶。それを聞き出すのに大金を使ったのであろう」
「何、平家の公達から取り上げた太刀を売り付けて作った金にございます。だが実際、自業自得にござろう。奴らはこうも卑怯な手を使ってくる」
弁慶の物言いに、硬くなった体から力が抜けた。暫く弁慶と二人、山々を眺めていると活発な声に二人は呼ばれる。
「遮那王様ー!弁慶様も居たんだね!」
いづるがこっちに向かって小走りでやってきた。
「いづるではないか。息災であったか?」
弁慶がいづるに声をかける。弁慶の事は、いづるや僧正坊も見知った間柄となっていた。
「うん、元気だよ!弁慶様も前より元気に見えるよ」
「それはそうであろう。遮那王様の家来になれたのだからな!」
そう言いながら弁慶はいづるの体を右肩に乗せる。嬉しそうにしているいづるに、遮那王も笑顔で声をかけた。
「所でこんな時分にどうしたのだ?今頃はいつも、僧正坊様に学問を習っている頃だろう?」
そう聞くといづるは目的を思い出したように、あっ、と声をあげた。
「そうだ、僧正坊様が遮那王様連れて来るようにって。弁慶様にも用があるみたいだから丁度良いね」
そう言われ、弁慶は察しがつかない表情をした。
「私にまで用とは、何事でござろうか」
遮那王は弁慶といづるを伴い、僧正坊の元へと向かった。いづるに促され屋敷の中へと上がると、僧正坊が座して待っていた。
「僧正坊様、只今参りました。何用でございますか?」
「遮那王。弁慶もいたか。これは丁度良かった」
そう言うと僧正坊は、遮那王と弁慶に座るよう促す。そして、神妙な面持ちで口を開いた。
「今朝方、私の元に源氏の者が参った」
「源氏の?」
遮那王は反射的に兄の頼朝を思ったが、頼朝はつい先日伊豆を発ったばかりのなのだ。頼朝を除けば、遮那王の知っている身内は誰もいないのだ。
「それはどなたで御座いますか?」
「そなたの叔父の源行家 殿じゃ」
「私の···叔父?」
遮那王は以前、頼朝から見せてもらった源氏の系譜を思い出した。そこには確かに行家 なる人物の名が記されていたのを覚えている。
「そなたに会いたいと申しておったが、一先ず断りを入れておいた」
「叔父上が、私に何用なのでしょうか?」
「行家殿は、各地に散らばる源氏に平家討伐のための決起を促して回っているそうだ」
遮那王は心の臓がビクンと跳ねるのを感じた。各地と言う事は、おそらく頼朝の所へも寄った事であろう。
「だがまだ早い」
逡巡する遮那王をよそに、僧正坊は断言した。
「清盛の力が強すぎる。今の源氏ではまだ太刀打ちできぬであろう」
遮那王もそれは同感であった。おそらく頼朝も同じ考えであろうと思う。
"平家討伐"。各地の源氏一門が一度は胸に思い描いたであろう絵図が、実際に人の口から発せられると言うのは、いかにも重々しく、そして現実味を帯びて遮那王へと降りかかった。
「しかし、まだ機が熟しておらぬとは言え、良い機会ではありませんか遮那王様。近々ご上洛される兄君様とも今後の事をよくご相談されると良いかと存ずる」
弁慶が、気遣うように遮那王に問いかけた。遮那王は沈みかけた気持ちを切り替え、笑顔で答えた。
「そうだな。僧正坊様、実は私の兄上が近々、鞍馬へ参られます。昨年に初めて鞍馬寺へ私を訪ねて来られたのですが、その時は急の訪問で長居できなかった故、僧正坊様に会わせる事が叶いませんでしたが、僧正坊様の事は兄上もご存知でございます」
それを聞いた僧正坊は、驚いたように遮那王を見た。
「兄君···遮那王、そなたの兄君がか?」
「はい。伊豆に居る、源頼朝様にございます」
ガタっと音を立て、僧正坊は立ち上がった。その様子に遮那王はむろん、弁慶やいづるも驚いた。
「本当に···兄君が参られたのか、遮那王?」
僧正坊は遮那王の前に膝をつき、遮那王の両肩に手を置いた。
「はい。前回は伊豆を抜け出して来た事と、平家の目を避ける為に素性を隠しておられた故に、僧正坊様にもすぐにはお伝えできませんでした。しかし此度は文にて、この弁慶と共に、是非紹介して欲しいと言っておられました」
僧正坊は遮那王の肩から手を離し、遮那王から目を逸らした。
「そうか、そうであったか···すまない、まさか京に来ておられたなどとは思いもせず」
そう言いながら、僧正坊はそのまま遮那王の前に腰を下ろした。遮那王はそんな僧正坊を無言で見つめていると、僧正坊が真剣な眼差しで遮那王を見た。
「遮那王、平家には気をつけよ。内密とは言え、兄君様のご上洛がどんな経緯で奴らの耳に入るかわからぬ。その時狙われるは···兄君とそなたじゃ」
わかりきった事であった。叔父の行家が動いた事で、平家に何かしらの動きがあるのは明白であった。市中に密偵を潜り込ませている平家であれば、行家の動きは知る所になっているのは間違いないのだ。
「弁慶。お前の主から目を離すんじゃないぞ」
「承知仕りました!我が主、遮那王様の御身 、この武蔵坊弁慶が必ずやお守りいたします!」
弁慶が頭を下げ、礼を尽くす。僧正坊はその様を見て無言で頷いた。 遮那王はいづると目が合った。いづるが不安そうな顔をしているので、笑ってやると、いづるも笑顔を返した。
僧正坊の屋敷を後にし、弁慶と二人鞍馬寺へと向かう道すがら、遮那王は足元に目を落とし、考え込んでいた。
「さぞかし不安でございましょうが、ご安心召されませ。この弁慶が命にかえても、貴方様をお守りいたします」
「いや、平家の事もそうだがひとつ気になる事が···それよりも、命にかえてなどと言うな。私が生き残っても、そなたが死んでしまっては意味がないだろう。一生付き従うのではなかったのか?」
「それはもちろん、そのつもりに御座います!」
弁慶は嬉しそうに、声をあげた。そんな弁慶を見て遮那王はぽつりと、屋敷にいた時から頭に浮かんでいた疑念を口にした。
「なぜ、叔父上は決起を促しに行ったのだ···僧正坊様の所へ···」
叔父と僧正坊、そして頼朝。遮那王は何か見えたような気がした。
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