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12話  始まりの悲劇

「牛若!」  昼中頃、読経後に寺の外に出た遮那王の前に、もうじき会えるはずだった男が立っていた。 「兄上!」  遮那王は一気に顔を明るくし、頼朝に駆け寄って行った。 「予定では明日に着くはずではなかったのですか?どうして?」 「与吉の道中での商いが一つなくなったのだ。それ故、一日早く着いた。牛若、背が伸びたんじゃないか?以前より大きゅうなった」  頼朝が嬉しそうに遮那王を見つめた。その視線が遮那王の胸を温かくしていく。 「本当ですか?兄上はお元気でしたか?道中何事もありませんでしたか?」  久々に見れた姿を前に、遮那王は矢継ぎ早に、頼朝を質問責めにした。そんな遮那王に頼朝は、声を上げて笑った。 「心配ない。私はとても元気だし、ここに来るまで平穏そのものであった。お前はいつも私の心配ばかりしてくれる。有り難い事だ。牛若は息災であったか?」  頼朝は、背が伸びたとは言え、自分よりまだ下にある小さな頭に手を置いた。 「私はとても元気ですよ。兄上、いつも文と一緒に菓子まで下さって、ありがとうございます。兄上の文がいつも私の支えでした」  屈託のない遮那王を前に、頼朝もまた満たされる思いを噛みしめていた。 「今日はゆっくりできるのかな?」 「はい、私がやるべき事はそんなにありません」 「では、少しゆっくりしよう。与吉は潰れた商いの代わりに都で仕入れをすると言っていたのでな、一人で来たのだ。数日は都に留まるそうだ」  二人の兄弟は微笑み合いながら、並んで歩いた。いづるが薬草を摘んでいたので、遮那王は声をかけると、いづるは笑顔で走って来た。 「いづる、前に話しただろう?この方が私の兄上だ」  そう言うといづるは、頼朝に向き直って、丁寧な挨拶をした。 「いづると申します。遮那王様には以前助けて頂いて、それ以来お世話になってます」 「そうか、そなたがいづるか。弟から文でよく聞いていた。可愛らしい友人ができたと。この子の遊び相手となってくれているんだろう?礼を言う」  言いながら頼朝は、懐から包みを取り出し、いづるに手渡した。 「唐菓子だ。そなたにやろうと思ってな」  いづるは驚いたように菓子と頼朝の顔を交互に見た。遮那王も、貰いなさいと頷いて見せた。 「ありがとうございます!遮那王様の言う通りの、優しく方なんだね」 「そうなのだ。兄上はとてもお優しいのだ。いづる、少し頼まれてくれるか?」  いづるは、何?と言うように、遮那王を見た。 「麓に下りて行って、弁慶を連れて来てほしい」     「明日でも良かったのだぞ?本来は明日の予定だったのだ」  いづるが駆けて行った後、頼朝が申し訳無さそうに言った。 「いえ、弁慶も待ち望んでおられました。兄上、弁慶はとても武勇に優れているのです。それでいて忠義に厚い。きっと兄上の力になって下さいます」 「お前はまた私の事ばかり···その弁慶が忠義に厚いのなら、自分に忠誠を誓わせるのだ。私にも信頼を置ける側近がいる」 「弁慶はなぜ私などに従いたいと思うのでしょうか?彼ならば、もっと良い仕官先があるのではないかといつも思うのです」 「それがな牛若。人の思いとは単純な事ばかりではないのだ。むしろ何より複雑で、自分でも気づかぬくらい深いものなのだ。弁慶も地位や名誉ではなく、己の心のままに、お前を慕っているのだ」  遮那王は、子供と言える自分が、弁慶のような大人に慕われているのが何か、おかしな事のように思えて仕方がなかった。 家来になる事を了承し、弁慶と言う男の人隣も自分にとっては心地良く、今では何の問題もなく受け入れている。しかし、今の自分に弁慶などと言う傑物を率いるだけの力も、それこそ地位すらも与えられない。それを与えられるのは名のある者だけ。 「兄上···伊豆にも叔父上は行かれましたか?」  頼朝は少し驚いた顔をして、遮那王を見た。 「鞍馬へも参ったのか?」 「はい。ですが、私の元にではなく僧正坊様の元へ来たそうです。私にも会うことを望んでおられたようですが···」 「僧正坊···」 「あの···平家討伐とは、本当なのですか?また戦をするのですか?」  遮那王は頼朝に詰め寄った。武術を会得している癖に、いざ戦と言う現実を前にすれば、武士となる事に恐れを感じる。その度に、自分は武士になりたい訳でも、戦をしたい訳でもないと、自分で自分の答えから逃げる。 遮那王はそんな弱い自分をわかっていた。そしてそれを自覚し、嫌悪する。  遮那王は、いつの間にか自分の顔が歪んでいるのを気づかなかった。そんな遮那王の前に頼朝は膝をつき、遮那王の両手を取った。 「すぐにはならない。まだ時期尚早だ。今はまだ、行家殿の言葉に素直に従う源氏もおらぬだろう」 「でも今後はなるのですか?挙兵となれば兄上もまた戦へ出られるのですか?」 「そうなればな。私は源氏の嫡男だ」  遮那王はひゅっと息を飲んだ。目の前の兄が戦をに出る。そうなれば、兄を失ってしまうかもしれない。父のように。遮那王はそれが堪らなく恐ろしく感じた。そんな遮那王の気持ちを汲んだ頼朝が、優しく諭す。 「牛若、言ったであろう?まだわからぬのだ、先の事は何もな。この先何十年と平家の世が続く。そこで我ら兄弟、安穏と暮らす。それでも良いかもしれん。だがな、民はどうだ?」  遮那王は頼朝の言わんとしている事を理解しようとする。必死で。 「民は、力を持つ者の前では圧倒的に弱者だ。虐げられ、奪われる。今、都には浮浪者や孤児が溢れ返っている。それに沿うように盗賊や人殺しも増えていく。平家とそれに与する者のみが栄華を誇る。甘い汁を啜る。そしてその国では、我ら源氏も民の一人だ」    都で見た人々。平家。吉次や弁慶、いづる。記憶の中の母。反逆者として殺された父。そして頼朝。色々な人間が遮那王の中に浮かんでは消えていく。 そして頼朝の見ている未来(さき)が遮那王にははっきりとわかった。 「兄上の作ろうとしてる国は、皆が平和に安穏と暮らせる国」  頼朝は遮那王の目を見て、はっきりと答えた。 「そうだ。親兄弟離れることなく、国は栄え、民は戦に怯える事なく暮らせる。そんな国だ。そして遮那王、お前も私と共にそこにいる」 「私も?」 「ああ。兄弟共に暮らそうと誓ったではないか。遮那王、武士になりたくなくば、ならずとも良いぞ。無論、戦に出る事もない。お前はお前の道を行けば良い」  ただ、自分の近くにさえ居てくれれば―― 頼朝は、この言葉を飲み込んだ。自分はすでに目の前の子供に、依存し始めているのではないかと、自覚があったのだ。戦場に出せば、どんなに剣が立とうとも、常に死と隣り合わせなのは免れない。  遮那王は目に涙が浮かぶのを抑えられなかった。頼朝と自分の見ている世界が、寸分のずれもなく、ぴたりと重なったのだ。確かに遮那王は武士になる事にためらいはある。が、それ以上に兄の力になりたいと言う思いの方が強いのだ。 「兄上···確かに今の私は、武士になる覚悟はできておりません。ですが、私は兄上のお力にッ···」  遮那王はそこまで喋った所で、背中に衝撃を感じた。そして直後、鋭い痛みが遮那王の体を襲った。自分の意思とは関係なく、体が前へ倒れていき、気がついたら頼朝の腕の中で、頼朝が自分を名を叫ぶ声が聞こえた。 「牛若ッ!聞こえるか、おい!誰か!誰か居ないかァ!」 「···ッう···ぐ」    遮那王は激痛で答えられかった。背中から体全体に焼け付くような痛みが広がり、指すらも動かせなかった。次第に呼吸が苦しくなってきた遮那王は、頼朝の必死の形相をただ見つめる事しかできない。 「牛若、わかるか!?しっかりしろ、大丈夫だ!絶対助けてやるからなッ···」  その頼朝の声を最後に、遮那王の意識は闇に飲まれた。

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