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15話 闇夜に浮かぶ
日が落ち、辺りは闇に包まれる中、平重盛 は屋敷の庭に一人佇んでいた。灯りが要らない程の月夜だ。
重盛は、月明かりに照らされた桔梗の花を見下ろし、ひたすら待っていた。そこへ、待ちかねていたものが、足音もなく現れた。
「吉報は?」
桔梗に視線を落としたまま、重盛は静かに問うた。
「はっ。遮那王はおそらく死ぬものと」
問われた男が、膝をつき敬服の姿勢のまま答えた。
「ものと言うのは?確定ではないのか?まさか仕損じた訳ではあるまいな」
「人の目がありました故、遺体の確認まではできませんでした」
「人の目だと?」
突如頭上から降りてくる低い声に、男は眉一つこそ動かさなかったが、背に一筋汗が流れるのを感じた。
「何故一人の時を狙わなかった。小僧一人、孤立させる事など容易かろう」
「境内の中で殺生はできません。遮那王が境内から出た所を狙うつもりでしたが、その前に男と落ち合い、長い時間共におりました」
「男だと?何者かそいつは?」
「はっ。商人のような格好をしておりました故、鞍馬寺へ届け物をする者か、奉納者のいずれかと見えまする」
商人と遮那王が何故、と重盛は思った。一介の稚児に会いに来る商人など、特別な理由がない限り居るはずがない。
「商人の顔は見たか?歳は幾つ程だ」
「若い男でした。面立ちは、都に居る男達と何ら変わりはございませんでしたが、目鼻立ちの整った温厚そうな男でした」
「何故殺さなかった」
「清盛様より、無益な殺生は禁じられております。此度のご命令、標的は遮那王一人と言う事でしたので」
父である清盛の名が出た事で、重盛は開きかけた口を閉じた。それを見た男は、続けた。
「近頃、遮那王の周囲には常に人の気配があり、誰かしらと行動を共にしておりました。おそらくは、以前の事があっての事でございましょうが。警戒が強い中にあっては、商人一人の目があったとて、好機と取るより他ありません」
「ふん、奴らめ。野盗風情がこちらの意を組んで、事を為せるはずもなかったと言う事だ」
「遮那王に使ったものは猛毒です。暫くは息をしていても、体を巡る毒は早く、6日の後に心の臓まで届くかと思われます。少なくとも10日を過ぎて生きていた者を、私は知りません」
重盛はそこまで聞くと、手で払うようにして、男を下がらせた。
再び暗い庭に一人になり、重盛は考えた。遮那王を危険視するようになったのはいつ頃であったか。武蔵坊と言う男を侍らせるようになった時、寺に預けられた時、清盛の庇護を受け、市中に暮らしていた時。そのどれもであって、どれでもない。
清盛の嫡男であり、一門からも後継者として認知されて来た重盛は、常に平家の為、清盛の事を第一に考え行動して来た。法皇を始めとする朝廷に対し、圧力をかけ始めた清盛を横から抑えつつ、朝廷との権力を均衡を保つ事に注視する事は、容易ではなかった。重盛は常々、東国一帯に散った源氏の芽を摘むよう、清盛に進言して来た。しかし清盛の目は最早源氏ではなく、国造りへと向いていた。西の福原に港を築き、異国からの使者を迎え貿易を行い、福原に新しい都を造ろうとしていた。
間違いではない。清盛のしている事は、平家の地盤をさらに盤石にする為に必要不可欠な事であると、重盛も思う。しかし、後顧の憂いを取り除かなければならないのも、また必要不可欠な事であると、再三重盛は清盛に説いてきた。
清盛は、義朝の愛妾であった常盤と言う女を寵愛していた。そして常盤の連れ子であった牛若と言う子供の事も慈しんでいるように思えた。何故、敵の女と子供などをと思ったりもしたが、苛烈な中に慈愛があるのもまた、清盛の長所であると認めていた。
その清盛が、遮那王討伐の進言を聞き入れようとしなかったのだ。理由は述べなかったが、明白であった。だから重盛が動いた。
荒くれ者の野盗を使い襲わせ、物取りの犯行として片付けようとしたが、仕損じた。返り討ちに合った連中がおめおめと戻って来たので、全員首を刎 ね、四条河原に打ち捨てた。忠誠心のない盗人共を使ったばかりにしくじった。だからこそ、清盛直下の刺客集団を内密に動かし、影で遮那王を消し去る事にしたのだ。確実に命を奪うために。
何故、遮那王は危険なのか。答えは重盛の中に明確にあった。人を惹きつけるのだ。そういう人間は得てして、渦の中心になり得る。清盛がそうであるように。小さい渦がやがて大きな渦となった時、果たして源氏は今のままであろうか。
重盛はこの晩、初めて夜空を見上げた。何とも美しい月ではないかと、幾つか詩を読んでみるも、どれも全て闇夜に消えた。
遮那王は数日もせずに消える。いや、もう死んだかもしれない。次は伊豆に流した頼朝だ。重盛は闇夜に浮かぶ月を、暫く眺め続けた。
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