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21話 月は嘲笑う

 太刀は初めて握った。振った瞬間、身体に馴染んだ。どうすれば良いか、どう腕を振り抜くか、筋肉の使い方から身体の重心の運び方まで、不思議とすぐに理解できてしまう。  まただ――。“遮那王”は思う。またすぐに。いつもそうだった。昔から。  年端も行かない自分の身体を貪りに来る貴族達が持ち込んで置いて行った囲碁盤や将棋盤。教えてくれたのも彼らだった。それすら一度目にすれば会得してしまった。何でもすぐに覚えるものだから、学問や読み書きすらも教えてくれた。  与えた身体の見返りに、豪華とは言えないが満足の行く食事や、綺麗な着物、そしてを貰った。  兄である遮那王と同じ事をする。それが頼朝が出した要求だった。剣、兵法、政治。とりわけ兵法に関して言えば、理解出来た分だけ奥があり、無限の可能性すら感じる。夢中で読み漁った。剣術も無心になれる時間であった。の悦び、苦悩を知る事の出来ない自分を一時の間、退屈から解き放ってくれる。これから何十年と続くであろう人生の中の、ほんの一瞬の間だけであろうとも。    能面のような頼朝の顔を思い出す。初めて対面した時に悟った。おそらくお互いに。  ――相容れない人間――だと…。 「本当に生きているのか?ぴくりとも動かないな」    兄の遮那王の色の無い白い顔を見つめながら、僧正坊に問うた。 「滅多な事を言うな。しっかり息をしている。確認してみなさい」 「ふふ…本当だ。産まれたての子犬くらい微かにだけどね。これだけ飲まず食わずで、よく命を保てるな」  “遮那王”が、昏睡状態の兄の髪の毛を一束掬い取り、指でもて遊ぶ。そのまま香りを楽しむように鼻に近づけ、そのまま唇を落とす。その一連の動作を見た僧正坊が、気まずそうに目を逸らした。そんな僧正坊を目に留め、“遮那王”は、楽しそうにくすくすと微笑った。 「今は薬湯(やくとう)でどうにか命を繋いでいる。意識のない今は、身体が何も受け付けない。薬も慎重に飲ませなければ、気管に入って死んでしまう」  言いながら僧正坊は、物言わない遮那王の額を掌で撫でる。その仕草を“遮那王”は、冷めた気分で見つめた。 「ふぅーん…何でも良いけれど、早くどうにかしてくれ。自分が死にかけているようで、気分が悪い」 「同じ顔だからな。そう思っても仕方がないだろうな。薬を飲ませたい。兄さんの頭を抱えて起こしてくれるか?」    “遮那王”は兄の頭を抱え、起こした。体つきまで自分と同じなのが、本当に双子なのだと実感させる。椀を兄の口元へと持っていく僧正坊の手を、“遮那王”が止める。 「どうしたのだ?」 「俺が飲ませよう。大切な兄様が死んだら困るからね」  “遮那王”は椀を奪い取り、おもむろに薬を自分の口に含んだ。 「…おい、何を…」    僧正坊が問いかけると同時に、“遮那王”は兄の唇に自分のそれを重ねた。舌を差し入れ薬を流し込むと、こくりと遮那王の喉が動く。さらに数回それを繰り返した。 「んん…うん、飲めたな。案外簡単じゃないか」  “遮那王”がぺろりと、舌で自分の唇を舐めると、僧正坊は暫し赤い顔をして呆けていたが、次の瞬間溜め息をついた。 「お前な…心の臓に悪い事をするな」 「ふふ、うぶな事言うね。簡単な事じゃないか。意識のない人間相手には口移しをすれば確実に飲ませられる。あなたもやってみれば?」  僧正坊は“遮那王”が時折見せる、性への奔放さをどうとらえれば良いか、測りかねていた。ここ最近、鞍馬寺付近で耳にする事が増えた噂話の真相も事実である事は明白で、ここへ来るずっと前から、“遮那王”は男を知っている。そして女の身体も。それがわからない僧正坊ではない。しかし、この奔放さがこの先、どう災いしてくるか分かったものではない。 「“遮那王”。お前にはこの先、源氏最強の武士(もののふ)になって欲しい。いや、なるべきだ。その為にその才能も身体も、天が与え給うたのだ。お前が居れば、源氏はまた再興できる。それを第一に考えなさい。お前は源氏の棟梁の血が流れている、尊い身分なのだ。一時の瑣末(さまつ)な感情で、自分の身を貶めてはいけない」      本音だった。元の主である義朝の、そして現主である頼朝と同じ血が流れている双子の兄弟だ。そして源氏最高の能力を持つであろう、その弟。 「本来、お前は源氏として生きる事はなかった。だがこうしてここに居る。これは宿命なのだ“遮那王”。どうか頼朝様と力を携えてくれ。世の為に!」  “遮那王”は黙って僧正坊を見ていた。何かを見透かすように。そして測り終えた“遮那王”は、くすくす笑いながら、長く細い指で自身の唇をなぞり答えた。 「世の為ねえ…の為であろうが、僧正坊」    急に雰囲気の変わった“遮那王”に、僧正坊はぞくりと泡立った。“遮那王”は何がおかしいのか、まだくすくすと笑っている。 「平家の世を終わらせ、源氏の世を創る事こそが、安寧の世を築く絶対的な条件とでも言わんばかりだ。自惚れも甚だしい。誰が執政しようと、民にとっちゃ関係ないんだよ。その日食って行けるかどうか。それだけ。平家から源氏、頭がすげ変わるだけだ。それをようもまあ、正義感気取って世の大義かのように言えるね。あはは!おかしい!」  “遮那王”はついには声をあげて笑いだした。僧正坊はそんな少年を見る事しか出来ない。言い返す事も出来なかった。 「ははは!良いよ、面白かったし、俺を退屈から救ってくれたしね。ひとまず付き合ってあげるよ。その大きな大義とやらに。ただし、一つ条件がある」  “遮那王”は僧正坊に顔を近づけ、続けた。 「武蔵坊弁慶を俺にちょうだい」

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