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22話 偽りの縁

 遮那王には武蔵坊弁慶と言う、家来が居る。そう聞いたのは、鞍馬へ来て幾日も経たたない頃だった。 (…家来ねえ。流石は源氏のご嫡男の弟君だ。こんな山寺に押しやられているとは言え、流石の血筋って所か) 「遮那王、最近滅法見かけなくなったな、あの大柄の僧兵。以前は毎日のようにお前を訪ねて来ておったであろう」  本堂の床を磨けと坊主が言うので、言う通りにしていた所、幾分若い僧侶が声を掛けてきた。 「ええ、忙しいのではないでしょうか。私も彼がここに来ない時は、何をしているのかさっぱりわかりません」 「そうか、そんなものか」  その若い僧侶は、特段気にしている様子はなかった。まあいいや、と踵を返し行ってしまいそうになったので、その背に声を投げた。 「そんなに仲睦まじく見えましたでしょうか?私と、その…武蔵坊弁慶は」  「ん?ああ、そりゃまあな。と言うか、お前に懐いているように見えたな。でかい大男が、小っさいお前の後をちょろちょろ着いて回る様は、あれは中々面白かったぞ。ははは」    笑いながら僧侶は行ってしまった。      “遮那王”は自分の口が、自然と孤を描くのを感じた。 「へえ…面白い…」  “遮那王”は水桶に布を投げ入れ、床に寝そべった。薄暗い本堂から陽の光が指す外へと、手を差し出すと、指先からじわりと暖かくなる。が、反対に心は冷えて行く。 「奪ってやろうか。手始めに、そのとやらを」   “遮那王”は楽しみを覚えた子供のように、一人くすくす笑った。 「。目覚めた時には、全てを失っているかもしれないよ」    想像よりも大柄な若い大人の男が、そこに立っていた。大きな目をひん剝き、信じられないと言った顔で“遮那王”を見ていた。案の定の反応に“遮那王“は、もう何度目だろうなどと考えながらも、自分もまた弁慶の顔をまじまじと見つめた。  精悍な顔つきで、よく見れば中々に整った顔立ちだ。浅黒い肌が屈強な武士を思わせ、“遮那王”は眩しい物を見るように、美しい色の目を細めた。  鞍馬の僧正坊の住まいに、弁慶を呼び寄せて貰ったのだ。 「弁慶。事情は以前にも申した通りだ。頼朝様の命により、今日よりこの子を側でお守りするように」  僧正坊が、“遮那王”の隣に立ち、弁慶へと命じた。実際には“遮那王”がそれを望み、“遮那王”を(ぎょ)すために頼朝がそれに応じた形だ。  それを聞いた弁慶は憤りの表情を見せた。 「お待ち下さい!私は遮那王様の家来にございます!たとえ遮那王様がどのような事に相成ろうとも、この弁慶の忠誠は、生涯遮那王様にしか誓わん!」 「今はこの子が“遮那王”だ」 「納得できぬ!弟君だ、あの方ではない!あなたはどうかしてしまったのだ僧正坊殿…!頼朝様も!身代わりなど、正気の沙汰ではない!」  顔をくしゃくしゃに歪め、無造作になってる己の髪の毛を弁慶は掴み、その場に座り込む。そんな弁慶を、“遮那王”は無表情のまま見つめ続け、観察していた。 (悪くない…。これだけの忠誠心、稀に見る事は叶わないだろうな)  有能なだけの人間と、粗はあるが忠誠心の高い人間。傍に置くなら確実に後者だ。頼朝を始めとする他の人間達はどうか知らないが、自分ならば確実に忠誠心を取るだろう。例えば戦にでもなった時、刺客に襲われた時、どれだけ“遮那王”が勇猛果敢でも、多勢に無勢ならば勝機は極めて低い。その時、己の周りに理の人間しか居ないとあらば、いくら“遮那王”が天才でも敵わなずして負けると言う事もあり得ない話ではない。    そう、弁慶は忠誠を誓っている。“遮那王”にではなく、屋敷の中で眠りにつく遮那王に。   「僧正坊、弁慶と二人きりで話がしたい」 「わかった。任せよう」    “遮那王”に促され、僧正坊は屋敷の中へと消えていった。文字通り二人きりとなった所で、“遮那王”は座り込む弁慶に近づき、話し始めた。 「ここへは頻繁に出入りしていると聞いていた。あの子の事が心配かい?」  問いかければ、弁慶は睨め付けるように“遮那王”を見上げてきた。吸い込まれるような強い瞳。この瞳が熱を持って見返してきた時、一体どんな心地がするのだろうか。そしてそれを唯一向けられる人間は、今ここに居ない。 「なるほどね。一筋縄では行かないって事か。別にいいよ、俺もあの眠り姫と同列に扱われるのは、癪だしね。何せ、出来損ないなんだから」  言いながら意地悪く笑うと同時に、腕を強く掴まれ、がくんと引き寄せられた。一瞬の事に目を見開けば、立ち上がった弁慶が憤怒の表情で“遮那王”を見下ろしていた。歯を食いしばり、怒りでなのか食いしばった歯の隙間から強い息が漏れている。 (ああ…たまらないな…)    怒りの矛先を向けられているにも関わらず、“遮那王”の胸の内には、恍惚にも似た感情が湧いていた。 (これを奪われたと知ったら、あのお姫様はどんな顔をするだろうな…こいつを奪えたら…)  仄暗い感情が、身体の奥底から生まれていく。眠りにつく姿しか知らない自分の分身が、目覚めて全てを知った時…。  弁慶の頬を“遮那王”の白い手が、するりと撫でる。びくっと弁慶の身体が跳ね、憤った表情が怪訝な表情へと変わる。 「俺では、兄様の代わりにはならないかい?」  カッとなった弁慶は、頬を撫でる手を掴んだ。 「代わりなどおらん!私はあのお方に忠誠を捧げた。元来の遮那王様だ!そなたではない!」 「酷い事を言うね、俺だって被害者なんだ。突然日常を奪われた上、身代わりにされた。存在すら知らなかった人間のね」  “遮那王”は力まかせに掴まれた手をそっと引き抜き、弁慶から身体を離し蝶のようにひらひらと距離を取った。そのまま舞うように続けた。   「今俺が何を思い、何を考えているかわかるかい?」  弁慶は押し黙る事で、否と示した。 「遮那王は随分と、頼朝に愛されていたみたいじゃない?頼朝はねえこの先、挙兵に向けて動き出すんだってさ。でも愛おしい遮那王を戦場に出したくはないんだって。でも本音は武力に優れた身内が欲しい。そんな時、愛してやまない遮那王が目の前で討たれてしまった。悲嘆に暮れる頼朝はとんでもない隠されてきた秘密を聞いてしまう」  突然つらつらと言葉を流し始める“遮那王”を、弁慶は恐ろしい物を見るような目で見ていた。“遮那王”の発する言葉の数々が恐ろしかった。知ってか知らずか、“遮那王”は再び弁慶との距離を詰める。 「どうやら遮那王と同じ肉体をもった双子が居る…ってね。遮那王と遜色ない才能。存在を抹消され、身内からも歴史からも廃除された子供。…もうわかっただろ?」    秋の初めの心地良い風が吹き抜け、二人の間をすり抜けて行く。木々のざわめき。木の葉の擦れ合う音。目を閉じれば、何とも穏やかな日常であろうか。しかし弁慶は目を閉じる事は出来なかった。目の前の美しい少年が恐ろしく、目を離せなかった。 「憎いと…?恨んでいるのか?…頼朝様や、僧正坊殿を」 「ああ、憎いねえ。癪に障って仕方がない。遮那王の身代わりに、俺を遮那王の盾として矢面に立たせようって言うんだから、何ともお優しい方々じゃないか」  先程まで飄々として、蝶のように捉えどころのなかった“遮那王”が雰囲気を一変させた事に、弁慶は身体が金縛りにあったかのように動かせなくなってしまった。 「たった一人…あのお姫様一人のためだけにね…」  何とも言えない威圧感に弁慶は、背中まで汗でびっしょりになっていた。遮那王への敵意を感じ取った事で、目の前の少年への警戒心が最高度まで高まり、弁慶の中で“遮那王”は敵同様、危険視しなくてはならない人物へと分類された。 「ふふふ…そうだよ弁慶。俺に対して警戒を怠るな。僅かでも気を緩めれば…俺はお前達の大事なあの子を…殺してしまうよ…?」  だから常に俺を監視しないとね―― そう言って、“遮那王”は鞍馬寺の方へと、歩いて行ってしまった。残された弁慶はすでに、どうやって昏睡状態の遮那王を守るか――それだけが頭を支配していた。    憎い。心底憎らしい。双子の兄と言うだけで認められ、慈しまれ、慕われ、大事にされる。 今日弁慶と言う男に会って、確信した。腹の底から沸々と湧いて止まる事が無かった黒い感情が何なのか。遮那王に対する嫉妬、憎悪。 何もかも傷付けてやらなければ気が済まないとさえ思う。 (絶望を味わわせてやるよ…遮那王も頼朝も…。この俺を利用しようって言うんだ。それ相応の対価は払ってもらうぞ…)        

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