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☆二章三話
「大丈夫です。私は毎日蔵之介様の体を見ていますから」
ゼノスは蔵之介の布団を引っ張り引き剥がそうとする。
「まって、心の準備が出来てないから!」
「心の準備はいりません。体の準備をしておかないと医者にそのままの体を見せることになりますよ」
ゼノスに言われ「うーん」と蔵之介は唸った。事後の体をそのまま赤の他人に見られる。それはゼノスに見られるより恥かしいのは確かだ。
蔵之介はしぶしぶ布団をどけた。
体を拭いてもらい新しい寝間着と下着を着せてもらった。
シワだらけにベッドのシーツも、新しいものにゼノスがかえていた。
ビアンカは数分も経たぬうちに寝間着姿で戻ってきた。
「蔵之介、横になってて良いよ」
「うん」
蔵之介は横になると、部屋のドアがノックされた。
ピーの声が聞こえ、ゼノスがドア開くとピーと医師が入ってきた。
「ビアンカ王、医師をお連れしました」
「夜遅くにすまない、蔵之介が股関節に違和感があると言っているんだ。バードイートに強く足を開かれたらしい。ズレていないか見てやってくれ」
医師は黙って頷き、横になっている蔵之介のを頭から足の先まで見た。
「服を脱いでもらってもよろしでしょうか?」
医師は、ビアンカに確認してビアンカは頷いた。
「蔵之介、脱いでもらってもいいか?」
蔵之介は頷き起き上がった。寝間着を取りパンツ一枚の姿になる。
医師の指示で立ったり座ったり、寝転がって足を動かされ確認された。
「大きな問題はありません、少し骨盤が左右ズレているのでそこを調整いたします」
医師が言って蔵之介の骨盤をゆすったり押したりして調整していた。
再び寝転がったまま足を動かされる。
「あ、治ったかも」
蔵之介が思わず言った。
「左右とも違和感はありませんか?」
「うん、大丈夫」
蔵之介はやっと違和感から解放され、心から安心したように言う。
「骨盤の方に治癒糸を巻いても大丈夫か?」
「はい、問題ありません。蔵之介様、他に体に違和感がある場所はありませんか? よろしければ他も見てみますが」
「違和感はないけど、見てもらうことってできる?」
「はい」
一通り見てもらいマッサージもうけると、体の血流が全体的によくなり体がほてっていた。
「全身の関節の動きがスムーズになった気がする」
蔵之介は言いながら肩をまわした。
「あまり体を動かされていませんか? 筋力も少し衰えているように感じます。お気を付けください」
医師に言われ返す言葉もなかった。ここに来てから、運動なんてほぼしていない。この前のヴィンター師の家へ向かう道もキーパーに助けてもらい、お腹も太ももも軽くつまめる。
「明日から運動頑張ります……」
蔵之介は落ち込み気味に言った。
医師が出て行ってからビアンカに治癒糸を巻いてもらう。丁寧にまかれ両足を固定された。
「運動をするなら、海に頼んでおこう三十分くらい海に付き合えばそれなりに体力づくりはできるはずだ。その間はキーパーとしても働いてくれるし、蔵之介も頼りやすいだろう」
ビアンカは下半身の身動きの取れない蔵之介の体をベッドに寝かせ布団をかけた
「そうする。やっぱ運動しないと衰えるよね」
蔵之介はため息をついた。もともと運動もしてなかったし、
「安心していい、蔵之介が寝たきりになっても僕は面倒をみるよ」
ビアンカは笑顔で言った。
「寝たきりにはなりたくないかな。ビアンカと一緒に歩きたいし」
バードイートの件もあり、やろうとは思っていたけどなんだかんだ自分の中で理由をつけて実際は何もしていなかった。蔵之介は頑張ろうと心に決めた。
次の日、朝食を終えるとビアンカに実践場に行くよう言われ、授業の前に向かった。そこには海が待っていた。
「見てくれ蔵之介!」
と海は嬉しそうに言って、蔵之介から少し距離をとり足元から糸をだした。すると体が持ち上がり、糸を足場に海は上へと登っていく。
「すごい、もうできるようになったの!?」
蔵之介が言うと、海は自慢げに「にしし」と笑った。
「いいだろう!」
そういって糸から飛び降りる。
「あれ」
蔵之介の隣で見ていたゼノスが声を出した。海が乗っていた糸がそのままそこに残っている。
「なんでこの糸が崩れないんですか?」
「え、ああ、師匠にも聞かれたけど、どうやったら崩れるんだ?」
逆に聞き返されゼノスは混乱していた。本来の糸の乗り方は、糸に強度を保ってバランスよく乗ることで糸がしっかり張り、上から降りるとそのバランスが取れ糸が崩れる仕組みだ。そのため、再び登りたい時は足場を再度作る必要があった。
「もしかして伸ばしながら、糸を固めてるんですか?」
「ああ、俺はそうしてるけど」
海が言うと、通りがかった者やまわりにいた者たちも残った糸が気になるのか寄ってきていた。
「違う種類の糸を混ぜて何本も出すなんて、どうやるんだ?」
「そんなこと出来たら、なんでも自分で作り放題だろ。交互に出してるんじゃないのか?」
「どっちにしてもそんなこと簡単にできることじゃない」
海は質問責めに合い、人々に囲まれていた。
蔵之介たちはそこから少し離れ、それをしばらく見ていた。
「海は何しに来たんだろう?」
蔵之介はつぶやくように言った。
前々から海はまわりとは少しズレているところがあった。けどそれは悪い意味ではなく、やり方がここでのやり方に囚われたものではなく、一人の人として存在している感じがしていた。そしてそれを周りが咎めることもなかった。それは海ができることをしっかり見ていることを意味していた。
できないことがあっても、そこはおおめに見てもらえたり、手伝ってもらえたり。ここではそれが普通だった。そこから学ぼうとする者もいる。それが今目の前で繰り広げられている騒ぎがその一つだった。
それは見ていて、心温まるものだった。
数分後、どうにか人を追い払い海は蔵之介たちのもとへ寄ってきた。
「ごめんごめん、ビアンカ王に頼まれて蔵之介の体力作りと筋力づくりの手伝いをしてほしいって言われたんだ。要望はそれで大丈夫か?」
「うん」
蔵之介が頷く。ビアンカが頼んでくれていたんだと思ったら蔵之介は嬉しくなった。
「まああんまり気張らず軽く走ろう」
海に言われるまま、準備運動をしてから一緒に城の中を走った。
五分も経たないうちに蔵之介は息を切らしてのろのろと走り出す。ゼノスも後についてきていてスピードはそれほど速くなかったが、体力があり蔵之介は途中で抜かされて、ゼノスは少し前を走っていた。
「ま、待って」
蔵之介はその場に膝をつき、手をついた。
「蔵之介、まだ一キロも走ってないぞ」
海が言って蔵之介の顔をのぞき込む。
「五百mも走ったら十分だよ……」
蔵之介はぺたんとその場に座った。
「蔵之介様、でしたら歩きましょう」
ゼノスは蔵之介に手を差し出す。すると海はすぐに切り出す。
「歩いたんじゃ体力つかないだろ」
「でも走れないなら体力つかないですよ。私も体力がないときは走る距離の倍歩かされてました」
「走るときの倍……?」
蔵之介はつぶやきがっくりと肩を落とした。そんなに歩くなんてできない。
「考えるだけで挫折しそう……」
「大丈夫です、私が一緒に歩きますから。とりあえず三十分歩きましょう」
蔵之介はゼノスに手を引かれとぼとぼと歩いた。
「これじゃあ散歩と変わらないだろ」
海が言って、なにかを思い付き蔵之介の方に歩み寄った。
そして、ゼノスの肩に手を置いた。ゼノスは何かと海を見上げる。
「タッチ、お前が鬼な」
「え」
ゼノスが何かと声を漏らす。
「鬼ごっこだよ、誰かにタッチすれば鬼が移る。ほら、蔵之介逃げるぞ」
海は蔵之介の腕を引き走り出した。
「ま、待ってください!」
ゼノスは慌てて後を追って走り出した。
海は途中で蔵之介の手を離して別の方向へ走り出した。
「範囲はここの一角な。それより外に出たら強制的に鬼だ!」
海が叫びながら通路に囲まれたスペースを示した。蔵之介は頷く。
「鬼なんて嫌です!!」
ゼノスは必死に走って蔵之介に追いつき、背中に手を触れる。
「あっ」
蔵之介はすぐに振り返るが、ゼノスはさっさと逆方向に走り出していた。
「待ってよ!」
ゼノスの方に走り出そうとするが、別の方向で海が突っ立っていた。
蔵之介はそっちに走り、海に手を伸ばすが、海はそれをかわし走り出した。
「あ、ずるい!」
「なにがずるいんだよ」
海は笑いながら余裕そうに振り返って走り、ぎりぎりまで蔵之介をひきつけ、かわす。それを五回ほど繰り返し、六度目で蔵之介に触れさせた。
「よし、じゃあ俺が鬼な」
とゼノスの元に全速力で走って行った。
蔵之介は息を切らしてその場でしばらく動けなかった。
遠くでゼノスの悲鳴が聞こえ、顔を向けると海はこちらに走って戻ってきた。
「ゼノスが鬼だから逃げろよ」
と海は蔵之介の傍を少し離れた。
「もう、海がこっちに来るとゼノスもくるだろ!」
蔵之介はゆっくりと走り出した。
その後も鬼ごっこはしばらく続いた。
三人のはしゃぐ声に通りかかるものは目を向けては、笑う者、気にしない者、呆れ見なかったことにする者。それぞれが通り過ぎていった。
ビアンカはそれを三階の一角から眺めていた。
「楽しそうだな」
「海に任せて正解でしたね。ゼノスにもいい運動になってそうですし」
「……」
ビアンカは黙って何も言わなかった。
「ビアンカ王、妬いてますか?」
ビアンカはピーを見て、おでこを指ではじいた。
「痛っ」
ピーはおでこを手で押さえる。
「妬いてるに決まってるだろ」
ビアンカは言って会議室へと歩き出した。
会議さえなければビアンカも混ざりに行っていたのだろうか? とピーは考えたが、そんな遊びに付き合うビアンカの姿は想像できなかった。
ピーは思わず笑った。
「どうした?」
「いえ、ビアンカ王が鬼ごっこをするのを想像してました」
「想像力が豊かだな」
ビアンカは気にせず歩き出すが、立ち止まりもう一度ピーのおでこを指ではじいた。
それから一週間が過ぎた晴天の日。
天気はいいが風が強い日だった。蔵之介はぎゅっと目を閉じ、ぎゅっとビアンカを抱きしめ、小さく身を縮めていた。
「蔵之介、熱烈に抱きしめてくれるのは嬉しいけど、ちょっと痛いよ。足場は広げたから目を開けてみて」
「無理ぃ」
二人は上空五百メートルにいた。蔵之介は強い風が吹き付ける度に体を震わせて、ビアンカを抱きしめる手が強まる。
「五百メートルって東京タワーよりも高いんだよ! 知ってる!?」
「そうらしいね」
ビアンカはほほ笑みながら答える。東京タワー自体は知らないが先ほどから蔵之介はその言葉を繰り返している。
なかなか落ち着かない蔵之介の背中を軽くなでた。
「大丈夫だから一度目を開けてみて。少しでもいい」
蔵之介はぎゅっと瞑っていた目をそっと開けた。その隙間からぼんやり見える青空。それが見えただけで蔵之介は再び目を閉じた。
「高い無理!!!!」
蔵之介は叫ぶ。
ビアンカは蔵之介をしっかり立たせて、自分の体と蔵之介の体が離れないよう、糸で巻きつないだ。
「大丈夫下を見て。絶対に落ちないから」
「下なんて見れないよ!」
なかなか落ち着かない蔵之介をビアンカは抱きしめ、一緒に座った。落ち着くまで時間がかかりそうだった。一度蔵之介が落ち着くまで待とうと高い空から景色を眺めていた。
「あ、ほら、飛行機が上を飛んでる」
ビアンカの言葉に蔵之介は上を向いてからゆっくり目を開けた。
「ほんとだ」
やっとのことで飛行機だけ見て、目を閉じてビアンカに再び抱きついた。
「あの飛行機より地面は近いよ」
「あの飛行機、すっごく遠くを飛んでるよ! あれより近くたって高いのは分かり切ってるんだから」
蔵之介はだんだん弱気に話して、ビアンカの服に顔をこすりつける。
「蔵之介が好きな食べ物は?」
ビアンカは蔵之介を落ち着かせようと別の話を振った。
「カレーライス」
「好きな色は?」
「緑」
「好きな人は?」
「……ビアンカ」
蔵之介は聞こえるか聞こえないかのわずかな声でつぶやいた。
「ごめん風の音で聞こえなかった。誰が好きなんだ?」
ビアンカは顔を近付け聞く。
「聞こえてたでしょ?」
蔵之介がうっすら目を開けると、ビアンカの顔が目の前にあり、他は見えなかった。
「うん、もう一度聞きたい」
ビアンカは言ってほほ笑んだ。蔵之介は頬を赤くする。
「なら言わない」
蔵之介はビアンカの胸に顔をうずめる。
数分経っても蔵之介は恐がったままだった。途中何度も落ち着いて目を開き、目を開けば恐がりビアンカに縋りつくを繰り返していた。
「蔵之介、そろそろ降りようか?」
座って蔵之介は落ち着いた時にビアンカは聞く。
このままではらちが明かなそうだとビアンカは切り出した。
「うん」
蔵之介も同じくこのままではどうにもらないと感じ頷いた。ビアンカは立ち上がり蔵之介の体を糸でつなげたまま持ち上げる。糸でつながっているので落ちる心配はないが、蔵之介は目を閉じたままビアンカに抱きついていた。
「飛ぶよ」
「あ、待って!」
と蔵之介がいうが、それと同時にビアンカは気にせず飛んだ。
「待ってって言ったのに!」
「ごめん、蔵之介もう飛んでしまった」
目を閉じているので目では見えないが、体が落ちて加速して行ってるのが分かる。
「こわいこわいこわい!」
蔵之介は叫びながら落ちていく。
ビアンカはしっかり蔵之介を抱きしめた。
残り百mの高さで、ビアンカは糸を浮遊させ、そこに着地した。
糸は膜のように広がりただよい、ゆっくり地面へと降りていく。
「もう降りた?」
蔵之介が見るとまだ地面は遠かった。
「なんで降りてないの!?」
「いい景色だよ」
「景色なんてどうでもいいよ」
蔵之介は泣きながら叫んだ。子供の為だと分かっているが恐いものは恐い。でもビアンカが居なければこんなことをしようなんて思うこともなかっただろう。
地面に降りると蔵之介は足の力が入らずそのまま膝をつく。
ビアンカも一緒に座り、体をつないでいた糸を外した。
「お疲れ様です。よかったですね、降りれて!」
地上で待っていたゼノスが駆け寄ってきた。嬉しそうに言っているが、蔵之介が安心して降りたわけじゃない。
「恐かった……」
蔵之介は泣きながら言った。
「もうやだ、帰る」
ビアンカは上空を見上げた。
「もう少し上から飛んで見てもいいと思うが」
「やだ! 帰る!」
蔵之介は怒って、ゼノスに抱きついた。その姿を見て、ビアンカは難しそうだと察し蔵之介の横に膝をついた。
「分かった今日はここまでだ。蔵之介、よく頑張ったな。好きな食べ物を準備させるよ」
ビアンカに頭を撫でられほっとして、ゼノスから離れた。ビアンカは腰の抜けた蔵之介を抱きかかえ、城へと向かった。途中海の元にも立ち寄った。
「おお、来たか。どうだった?」
「ちゃんと飛び降りられましたよ」
「それは素晴らしい」
縁側に座るヴィンター師は頷いた。
蔵之介はビアンカを見る。けしてちゃんと降りれた分けじゃない。ずっと目を瞑っていたし、その行為に効果があったのかは全く分からない。けどビアンカは「できたと」言ってくれて、ヴィンター師も褒めてくれている。
蔵之介はそれが嬉しくもあり、少し後悔があった。少しくらい目を開けていてもよかったかもしれない。
海は糸を出す練習をしたあとで、糸を出しすぎて室内で倒れていた。
「海、大丈夫?」
「ああ、大丈夫少し休めば元気になる」
そういいながら海はバナナを食べていた。
糸を出すには栄養が必要らしい。
「それよりどうだった? 飛び降りた感想は」
「ずっと目を瞑ってたから一瞬だった」
蔵之介が言うと海は笑った。
「それで意味があるのか?」
「わかんないけど、ビアンカも褒めてくれたし次は少し目を開けてみる」
蔵之介が言うと海は身を起こした。
「もう一回やるのか?」
「うん、来月もう一回やるんだって。どうしても嫌なら良いってビアンカは言ってるけど。やった方がいいならやりたいし。でも恐いから……」
蔵之介はしょぼんと膝を抱えて座った。
「偉い偉い、挑戦は大事だぞ。ビアンカ王もいるから落ちることはなかっただろ」
「うん、それは平気だった」
それを聞いて海は少し考えた。
「そうだ、飛び降り記念パーティしよう」
海は急に元気になり立ち上がった。ネーミングが少し危うく聞こえ、何をするか分からなかったが、蔵之介は笑って頷いた。
ビアンカと蔵之介とピーとゼノス、ヴィンター師も加えて海は鍋を振る舞った。
「なんですかこれは」
ピーが聞く
「鍋パーティーだよ。蔵之介、そっちの鍋は虫しか入ってないから気をつけろよ」
鍋は二つ用意され、一つには人間用の食材、もう一つには蜘蛛の世界での食材が入っていた。海は言われれば大体のことをこなしていた。料理も特別というわけではなさそうだったが、いつもおいしい。
そして、海がいると明るく楽しくなる。ゼノスもそれを感じてか、海がいるときはいつも楽しそうだった。
「蔵之介これはんだ?」
「それは豆腐だよ」
ビアンカは「とうふ」とつぶやき、箸で取ろうとしたが崩れて鍋に落ちた。
「俺が取るよ」
と蔵之介は自分の箸で落ちた豆腐を取り、ビアンカの器に入れた。
「せっかくだからこれも。これはマイタケで、これはしめじ」
蔵之介が取り揃えた器を渡すと、ビアンカはそれを見つめていた。
「どうしたの?」
蔵之介が首をかしげる。ビアンカは「なんでもない、頂くよ」とほほ笑み言った。
蔵之介はビアンカが食べるのを眺め、ビアンカがそれを口に入れてハッとして顔を赤くした。
考えてなかった。これって関節キス……
顔を赤くしている蔵之介を見て、ビアンカは蔵之介の頭を撫でた。
まるで子供扱いをしている。その手に蔵之介は思い付き、ビアンカの器を取った。
「じゃ、じゃあこれ。あーんしてあげる」
しめじを箸で一つとり、蔵之介はビアンカに差し出した。
ビアンカは訳が分からず、少し固まった。しかし、差し出された蔵之介の箸を拒否する理由もない。
ビアンカはそれを口に含み、箸に唇を滑らせ口に取った。
蔵之介はビアンカの唇のふれた箸を見て、体を熱くさせ耳まで赤くなった。
こんなつもりじゃ……。俺この後、この箸で食べるんだよね?
蔵之介は心の中で自問自答して恥ずかしさに肩を震わせた。
「ありがとう、ちょっと変わった味だけどすごく美味しかった」
ビアンカが耳元でささやき、蔵之介はぞくぞくと背中を震わせた。恥ずかしさでそれ以降顔を上げることが出来ず蔵之介はうつむいていた。
ビアンカに勝てる気がしない。
次の日からまた教育の生活が始まった。毎朝海と何かしらで走り回って、蔵之介は人間の世界にいた時よりも活発になり走り回れるようになっていた。
体力もつくとできることも増えるという話はよく聞くが本当だったんだなと実感した。
その日はゼノスに糸を持ってきてもらい、ソファで編み物をしていた。体力とは関係なかったが、やりたいことにすぐに手を出せるようになっている。以前は、難しそう、失敗しそうと手を出すのを渋っていたがそれがなくなり編むことは出来ていた。
ゼノスはビアンカの出した治癒糸を絡ませて編み、毛糸ほどの太さにして蔵之介に渡した。
「やっぱ所々穴空いちゃう気がする」
編んだ場所を広げてみると何箇所か糸が緩んでいた。編むことは出来ても上手くいくわけではない。
「大丈夫です。あとで調整すれば穴は目立たなくなるようです」
ゼノスは編み物の本を見ながら言う。
外は最近昼夜問わず寒くなっていた。ビアンカの作ってくれた服は暖かく防寒具は必要ないが、自分の着ている服はビアンカが作ってくれている。それなら返したいと蔵之介は編み物をしようと以前から計画を立てていた。
蔵之介が懸命に編んでいると、ドアがノックされた。ビアンカの声がして、ゼノスはドアを開ける。
蔵之介は慌てて編んでいたマフラーをクッションの下に隠した
「蔵之介、なにかを作っているようだけど順調か?」
ビアンカは部屋に入るとすぐに蔵之介を見つけ歩み寄ってきた。
「うん、順調だよ」
蔵之介は笑顔で言う。
ビアンカは、蔵之介が後ろに隠すクッションをのぞき込んだ。
「だ、だめ。今は見ないで!」
蔵之介は体を返してクッションを抱え込んだ。
「蔵之介、僕は王だ」
子供のようにいうビアンカだが、蔵之介は頭だけ振り返る。
「そんなこと言ったって見せないよ」
「ゼノス」
ビアンカはゼノスに目を向ける。ゼノスは体をびくりとさせ、蔵之介を見た。
「あの……」
「何を作ってるのか見たい」
ビアンカが言うとゼノスは困ったようにもじもじしていた。
「だめ、後で見せるから!」
蔵之介がかわりに言う。
「僕の糸で編んでるんだろ?」
「そうだけど今はまだ駄目なの、下手だし完成したらちゃんと見せるから」
ビアンカは不機嫌そうに眉を寄せた。ビアンカのこんな表情はなかなか見ることはない。蔵之介は悪いことをしてるような気分になり心が揺らいだ。
「ビアンカ王、後でにしましょう。見せてくれると仰ってるのですから」
ピーがフォローに入り、ビアンカはしぶしぶ納得して頷き部屋を出ていこうと立ち上がった。こういう時のピーのフォローはとても助かる。しかし、その後ろ姿は完全に元気を無くしていた。
「あの、ビアンカ?」
「蔵之介、完成を楽しみにしているよ」
ビアンカは悲しそうな笑顔を見せる。背中は寂しそうにも見えた。
そんな姿見せられたら、折れざる負えない。ビアンカはいつも俺のこと考えてくれてるのに悲しい思いはさせたくない。
「ビアンカ、わかったよ。見て良いよ」
蔵之介は恥ずかしそうに編み途中のものを取り出した。
「でも上手じゃないし、笑わないでね」
ビアンカは振り返り、嬉しそうにほほ笑み「うん」と頷き蔵之介の横に座り直した。
「何を作っているんだ?」
「マフラーだよ」
ビアンカは編み物を知らないようだった。ここでは布を織る技術はあるけど、編み物というものがないらしい。服だけでこれだけ暖かいから、それ以上のものは必要ないとのことだった。
ある日の朝、それは特別な日。目を覚ますとベッドになにかの包みが置かれていた。それは赤と白のストライプ模様の柄でつつまれ、赤いリボンで止められ、リボンの結び目にはベルの形の飾りがついていた。
「これって……」
そう、今日はクリスマス。蔵之介は嬉しくなり、顔を赤くした。クリスマスプレゼントなんて何年ぶりだろう。小さいころに数回貰った記憶はあった。しかし七歳のクリスマスの日、目を覚ましてもプレゼントは届いていなかった。母親に聞くと、「あんたの生活態度が悪いからじゃない?」と鼻で笑って言われた。それ以来クリスマスにプレゼントをもらえることはなかった。
華やかな包みに心がときめき、蔵之介は思わずその箱を抱きしめた。
ゼノスが蔵之介が起きたのに気付きベッドのカーテンを開ける。
「おはようございます」
「ビアンカが来たの?」
蔵之介は置かれていた箱を膝に乗せた。
「はい、明け方頃来て置いて行かれました」
蔵之介はそれを聞くと、リボンを解いて包装紙を剥がした。
中の箱を開けると白い帽子と、マフラー、そして手袋が入っていた。
蔵之介はそれを身に着けベッドから降りて鏡の前に立った。
寝間着に、防寒着を着るのはちょっと不釣り合いだったが、とても暖かくて、心まで満たされた。
「ビアンカに見せよう」
蔵之介は嬉しくなっていうと、ゼノスは着替えを持ってきた。
「その前に着替えましょう」
ゼノスが襦袢を着せてくれて、上から着物を羽織る。この手順はいつもと一緒だが、ビアンカの所に早くいきたい蔵之介にはいつもより行程が長く感じた。帯の紐を結び終えるのを待ちきれずうずうずしていると「じっとしてください」とゼノスに咎められた。嬉しさに体がうずいてしまう。こんな感覚も何年ぶりか分からなかった。ゼノスをせかして着替え終え、蔵之介もビアンカへのプレゼントの袋を抱え部屋を出た。冷たい空気が蔵之介の息を白くさせた。
ゼノスも後から慌ててついてきた。蔵之介はビアンカの部屋の前につくとノックを二回した。
するとドアがすぐに開いた。ピーは何も言わずに頭を下げて蔵之介を部屋の中に通す。
「おはよう蔵之介」
ビアンカは部屋で書類を見ていたが、蔵之介を見ると体を向け手を広げた。蔵之介はその広げられた手の間に飛びついた。
「おはよう!」
蔵之介はビアンカの胸に一度顔をこすりつけてから離れた。
「クリスマスプレゼントありがとう! すごく嬉しい」
蔵之介は興奮気味で頬は火照りいつもより赤い。それが白い帽子と、マフラーに挟まれいつもより際立っている。
蔵之介は持っていたプレゼントの包みをビアンカに差し出す。
「これ、俺からのプレゼント。中身は知ってると思うけど」
「ありがとう嬉しいよ。サイズはぴったりだったな、すごく似合ってるよ」
ビアンカは包みを受け取り、蔵之介のしているマフラーに手を触れさせ唇にキスをした。
そしてプレゼントの袋を開けると蔵之介の編んでいた白いマフラーが入っていた。いま蔵之介がしているマフラーとはまた違うもの。糸が太めで、存在感がある。ビアンカはそれを取り出し口元に寄せ、それを肌で堪能し、目を閉じた。
「あったかい」
ビアンカが満足そうに言って、蔵之介は照れながら言う。
「首に巻いてあげる」
蔵之介はビアンカからマフラーを受け取り、ビアンカの首に巻いた。長めに作ったそれの端を持ちながら蔵之介はつけていたマフラーを取る。
ビアンカは何かと驚いたが、蔵之介はビアンカの首に繋がったマフラーを自分の首に巻きつけた。
「この長さにしたのは、これをしてみたかったからなんだ」
お互い首に巻かれたマフラーで繋がっていた。
「蔵之介はすごいことを考えるな」
「ビアンカってあまり照れてるの見ないからこういうの照れるのかなと思ったんだけど、これも照れないね」
蔵之介が言うとビアンカは蔵之介を抱き寄せた。
「このまま散歩に行こうか」
巻かれたマフラーの端をゆらし、蔵之介の肩を抱いてビアンカは部屋の外へ出た。
「え、そんな。外に出るためにやったんじゃないのに」
「マフラーは外に出るときの防寒着だろ。つけたら外に出なくては」
ビアンカが嬉しそうに言ってほほ笑んだ。
ビアンカを照れさせようとしたのに逆手に取られ、こんな仲良さそうな姿で城の中を歩くことになるのは蔵之介には想定外だった。
蔵之介はビアンカに貰った帽子を深めにかぶって、マフラーで口元を隠した。その行動が蔵之介の赤い顔を際立たせているなんて考えもしなかった。
ビアンカと城の中を進むとどこからか聞き慣れた曲が聞こえてくる。聞き間違えることはない。それはジングルベル。
「この曲……」
「行ってみようか」
ビアンカは蔵之介の背中を押した。
通路を進むと、そこには大きなモミの木が立っていた。それにはカラフルな飾りと、ジンジャーマンの飾りに白い綿の代わりの蜘蛛の巣が綺麗に飾られていた。三階の通路だというのに木のてっぺんは見上げるほどもあり、上には星が飾られている。
「すごい、クリスマスツリーだ!」
ツリーの下では子供たちが集まり、そこに準備されたステージで曲が演奏されていた。
「昨日までなかったよね?」
蔵之介が振り返り聞くとビアンカは頷く。
「クリスマスは特別だからね。その日にしか飾り付けはしないことになってるんだ」
「まさかここでもクリスマスをするとは思わなかったよ」
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