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祓魔師きたる

「話が違うじゃないですか」 「まあまあ、新美(にいみ)くん、落ち着いて……」 「はあ? じゃあ、これが学生に対する正当な行いだとでもいうんですか」  優しそうな事務員のおじさんに八つ当たりしても仕方ないことは分かっていたが、苛立ちが抑えきれない。  新美は右頬を覆い隠すほど大きい火傷の跡を無意識に指で撫でた。気をつけないと掻きむしってしまうので、そのように癖をつけたのだ。  目鼻立ちは整っている方だが、それより大きく根深い火傷の跡が見た者に鮮烈な印象を残す。新美にとって両者の重要度は常にトントンくらいで、何を言われようと別段喜びも悲しみもしない。  よほどしつこく「火傷の跡さえなければね」なんて言われない限りは。  そんな時はただ相手をじっと見つめるのだ。痩せ型で周囲が落ち窪んでいるために余計に大きく見える目。少し眉根に力を入れて見つめれば、大抵の人間は目線を外す。  自分でもそんな行いのせいで友達がいないというのは分かっていたが、辞めろと言われて辞められるものではない。  ただ、やはりもう少しだけ、大人たちに対しては愛想良くしてもいいのではないかという打算が首をもたげる。  いま自分がこんな目に遭っているのは、もしかしたらその無愛想な行いのせいかもしれないのだから。  不正を疑われて、追試を受ける羽目になったのは、この際いい。他の試験ではあるがカンニングまがいのことを行ったのは事実だし、うっかり秋白(あきしろ)に声をかけてしまったことが他の学生への妨害ととられるのも仕方ない。  そのせいでカウンセリングまで受けることになってしまったのは少々面倒だったが、学生に対する指導や相談の名目であれば、まあ理解はできる。だが、その相手が臨床心理士やカウンセラーなどではなくエクソシストだと紹介されては、抗議せずにはおれなかった。  なんだ、エクソシストって。  いや、意味は知っている。カトリック教の神父が悪魔祓いをする映画なら一度観たことはあるからだ。もっとも、それ以上の知識はないのだが。  あれは確か、ウィジャボードとかいう遊びで悪魔にとり憑かれた少女を助けるために悪魔祓いの儀式を行うという筋書きだった。当然ながら今回の試験の不正疑惑とはおおよそ結びつかない組み合わせだ。 「とにかく、一度説明させてくれ。ちゃんとした理由があるんだ」 「私からもお願いします」  低く張りのある声が狭い個室に響いた。  ゴツ、と靴が硬い音を立て、事務員のおじさんの背後にいた男が前へ進み出た。低い角度で窓から差してくる陽の光が、彼の左半身の輪郭をぼやけさせる。さながら宗教画か何かのようだ。  ぱっと見の印象は、黒いクリスマスツリー……ゆるく七三に分けられた短い黒髪、前開きの黒いケープと、これまた真っ黒の、足首まで隠れるスカートのような服のせいだ。キャソックとかいう名前だった気がする。立襟で、首元から正中線を貫くように多くのボタンがついており、男の表情もあいまって「堅苦しい」を絵にしたかのような姿だ。映画に出てきた神父も確かこのような服装だった。 「新美南兎(にいみみなと)さん……ですよね。私は国際エクソシスト聯盟日本支部から派遣されました、烏丸東樹(からすまとき)と申します。以後お見知り置きを」  2人が対面したのをを見届けて事務員がそそくさと退室する。いたたまれないのは分かるが、もう少し取り繕えよ、と思わずにはおれない。  目の前に佇む黒ずくめの男に対してもだ。  団体名からほとばしる胡散臭さはともかく、烏丸と名乗る神父の声は悪くないと新美は思った。若いのに随分低く抑揚もあまりないけれど、聞き取りやすい滑舌とふくよかな響きのおかげで不快な感じはしない。厳格さよりも強く色香を感じる。説教をするのなら、きっと皆内容は二の次で、この人の声を聞きに来るだろうとも。  敵対の意思がないのは明らかだが、お追従でにこりと笑うこともない。そのおかげで腹立たしいくらい整った顔面がより際立つ。 「悪魔祓いが俺に何の用?」  自分と同時に同じ言葉を吐き捨てる者に気づいて、左横を振り向いた。北鹿渡秋白(きたかどあきしろ)がいつの間にか隣にいた。神出鬼没なのはいつものことだが、普段と打って変わって雰囲気が刺々しい。  烏丸は厳しい顔を崩さない。顔の作りも年齢も全然違うが、彼は高校の頃のおっかない担任を思い起こさせた。隣に秋白がいなかったらきっと怖じ気付いていただろう。 「あなた、こっくりさんをやったでしょう」 「こっ……?」  だから、次に出てきた言葉の間抜けさに、今まで抱いていた怒りや恐れの感情が全部吹き飛んだ。  なまじ美形なだけに、その迫力との落差が物凄い。  何だ、こっくりさんて。まかり間違ってもエクソシストの口から出ていい言葉ではない。 「ここ数十年で『エンジェル様』だの『キューピッド様』だの、呼び名は色々生まれたようですが、やり方は大体似通っています。『はい・いいえ』と鳥居のマーク、そして五十音が書かれた紙を」 「新美、こいつ殺そう」  烏丸の言葉を遮るように秋白が鋭く叫んだ。  えっ、と躊躇している間に秋白が烏丸との距離を一気に詰めた。  殺意を向けられたばかりだというのに烏丸の目は秋白を見てはいない。その代わり袖か何かに隠していたらしいものを前に掲げて、無造作に投げた。それがタイミングよく、眼前まで迫った秋白に思い切りぶつけられる。何かと思えばくすんだ色の粉のようなものだ。烏丸の手の軌跡に合わせて拡散していく。  ぎゃ、と悲鳴を上げて秋白が倒れた。 「秋白!」  秋白は床にばたりと倒れて動かなくなった。痙攣すらもしない。本当に死んでしまったかのようだ。  まさか、今撒かれたのは毒だったのだろうか。だがそれなら烏丸自身も新美も無事では済まないはずだ。大体、自己紹介までした相手に毒を盛る理由がない。 「離れて」 「何するんだよ」  秋白を助け起こすために近寄ろうとすると、烏丸に肩を掴まれた。抵抗しようとしたが万力に挟まれたかのような手応えで、びくともしない。  観念したのが分かると烏丸はすぐさま手を離した。そのまま、両手のそれぞれの親指と中指薬指を合わせ、キツネの手を作る。そこから複雑に指を絡め合わせ、小さな「窓」が作られた。 「ちょ、こんな時に何ふざけてんの」 「これは『狐の窓』と言って、人に化けている妖怪や悪魔を見破ることができるという一種のまじないです」 「何言ってんだかわかんねえよ……それより秋白が」 「心配しなくても『三盆枝のかみそりぎつね』みたいなものですから」 「はあ!? 意味わかんないって」 「擬死は野生動物にも時折見られる防御行動で」 「頼むから分かるように話してくれ」  烏丸は新美に、手と指で作った「窓」を覗かせた。ぽっかりと空いた空間の先には倒れた秋白が——……いなかった。 「ひっ……」  「窓」の向こうに見えたのは不定形の黒いものがぶるぶると震えている姿。  秋白じゃない。  驚いて「窓」から目を外して、秋白が倒れているであろう場所を見た。だが、そこにはあの(おぞ)ましいものも、秋白も、何もいなかった。 「秋白? どこ? ねえ秋白は……?」 「残念ながら、これくらいで死ぬようなものじゃない」  烏丸は「窓」を解いて言った。  分かるように話してくれと言ったのに。  奴の言葉は何一つ理解できない。

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