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身罷り装ふ

「あ、あきしろ」  震える手で畳んだ紙と十円玉を取り出し、床に広げた。が、烏丸が無慈悲に踏みにじり、紙はあっけなく破れた。新美が悲鳴をあげる。 「何をするつもりだったのですか?」 「決まってるだろ、秋白(あきしろ)と話を」 「さっきから仰っている『あきしろ』とはどなたのことですか」 「お前が殺した奴のことだよ!」 「なるほど」  何がなるほどだ。烏丸は得心いったような顔をしていた。ふう、とため息をつきながら片方ずつ、粉をはたき落としていく。その冷静で何の感慨もなさそうな仕草にさえ、怒りが募っていく。  片時も離れたことのない友人の消失に、今はただ嘆くことしか出来なかった。 「今撒いたのはオガラの灰です。オガラというのは盂蘭盆会(うらぼんえ)の迎え火、送り火で使う麻の茎の一部を乾燥させたもので、灰塵を大量に吸いでもしない限りは人間に対して無害です」 「だから何なんだよ」 「麻は神事にも使われる神聖な植物ですし、灰は場を(きよ)めます。オガラの灰を嫌う妖怪もいるようなので使ってみたのですが悪くないですね。悪魔祓いの儀式では最初に聖水をまきますが、キリスト教圏でのメソッドは日本ではあまり効果がなくて」 「だから……分かるように話せよ」  必死で察しの悪い馬鹿な大学生を演じるが、烏丸は全てを説明する気でいるのだろう。  今時学校でも社会でもハラスメントには敏感だ。相手を激昂させて平手の一つでも食らえば、「カウンセリング」なんてお流れになるんじゃないかという期待はあったが、するだけ無駄だとすぐに悟った。  若い神父はまた一つ、静かにため息をついただけだった。無感動で非情であることがエクソシストに必要な資質の一つとでも言うのだろうか。教育が行き届いているようで結構なことだ。 「……この大学の学生からの報告が相次いでいるのです。新美南兎(にいみみなと)という学生が不審な行動をしていると。私はその調査のために来ました」 「それってカンニング疑惑のこと……?」 「それもありますが、主に普段の生活のことです。あなたが文字盤のようなものを使って目に見えない何者かと会話しているという内容です」  そんなはずはない。  秋白がふらりといなくなる時以外は常に一緒にいるのに、秋白の姿だけが見えないなんてことがあるだろうか。 「何かの間違いじゃないか」  疑義を投げかけたが、途端に自信がなくなってきた。目撃されているのは自分と秋白が「会話」している時なのだ。 「あなたはこの部屋に入ってきた時から現時点までずっと一人でした」 「は……?」 「私には秋白という人物を視認することが出来ませんでした」  重く硬い靴音がゆっくりと近づく。  本能的な恐怖で、狭い部屋の中を後ずさる。本来自分は被害者の立場のはずで、そんな必要はまったくないのに。 「いや……あんたも声聞いただろ。秋白が『こいつ殺そう』って」 「ふむ。確かに聞きました。あなたがそのように発言しているのを」 「は?」  先ほどから会話が微妙に噛み合わない。  試験の不正を疑われ、カウンセリングにエクソシストがやってきて、秋白が殺されて、その上殺人犯にはすっとぼけられて、キャパシティはもうとっくに限界を迎えていた。  いっそのこと愉快犯だとか、人が苦しむのを見て楽しむクソ野郎だったなら、まだ理解の余地がある。だがこの烏丸という男の表情は依然として厳格さを保ったままなのだ。こちらの言うことを否定はしないが、こちらの知覚した光景を細かく訂正してくる。まるで、幻覚に苦しむ病人に接するかのように。  ここまでくれば、どんなに察しの悪い人間でも何を言われているか分かるだろう。受け入れられるかは別にして。 「あなたの仰っている『秋白』を見極めなければなりません。現代のエクソシスムは医療との二本柱ですから」 「見極めるって……」 「妄想か、悪霊かを」  最悪のタイミングで告げられる。  どちらにせよ、数年来の大事な友人は、この世のものではないのだと。 「秋白は人間だ。適当なこと言うな」  驚くほど自分の言葉が空虚に響いた。北鹿渡秋白が人間だと、この世で一番信じたいのは自分のはずなのに、烏丸の胸ぐらを掴む手にも力が入らない。  自分の中に秋白が存在する根拠を見つけるのを諦めかけて、縋るように烏丸を見つめた。せめて奴が動揺していれば、秋白が幻覚でも悪霊でもないと信じることができる。  烏丸は相変わらずの鉄面皮だったが、微かに寄せた眉根と結んだ口元に、わずかな悲哀が混じっているような気がした。少なくとも新美の愚かさを責めるような表情はない。  そんな優しさはずるいだろう。誤作動かもしれないが、新美の感性は烏丸に確かに反応した。女のように細くも艶やかでもない、無骨で寡黙な男の一瞬の表情を、少なくとも好ましいと思ってしまった。 (俺、頭おかしくなったのかな……)  いや、ずっと前からおかしくなっていたのかもしれない。何せ存在しない友人の姿を幻視し、ずっと話しかけていたのだから。  思い返せば先程の行動も常軌を逸していた。秋白が「殺された」と認識していたのに、話をしようとしていたのだ。十円玉と五十音の書かれた紙で。  背筋が一気に冷たくなった。   ぶるりと悪寒に震えながら出口へと向かう。 「俺、もう帰る……」 「待ってください、まだ終わっていません」 「うるさい、もう嫌だ」  苛立ち任せに突き飛ばそうとしたが烏丸の胸は新美の細腕ではびくともしない。力がそのまま跳ね返ってきて、新実は大きくバランスを崩し無様によたついた。即座に烏丸が新美の腰を支え、不安定な姿勢のまま抱きすくめられる。  驚きと羞恥でもがくと、耳の後ろでため息をつかれ、意図しない刺激に声が漏れそうになる。なんて厄日だ。 「困りますよ」 「……困るって、俺の方が困ってるよ。秋白をどこへやったんだよ。もう訳わかんねえよ」  虚勢を張れる元気はもう残っていなかった。涙が溢れるのを止めようという気すら起こらない。  そういえば、秋白以外の奴と必要以上に会話をしたのは久しぶりだ。久々に声を張ったので喉が痛くて、疲労と混乱で、烏丸の胸に顔を埋めて泣いた。  神聖な黒い服が汚れるのも気に留めず烏丸は新美のしたいようにさせた。今くらい構わないだろう。彼にはこれから、もっと恐ろしいことに耐えてもらわねばならないのだ。

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