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こっくりさんVSエクソシスト

 “サードマン”の横をすり抜け、扉と反対側の壁に向かう。  たどり着くと、先程と同じように血を指にとり、大きく「はい」と書いた。 「はあ? お前、キリシタンではなかったのか」 「私は今までもこれからもそのつもりだ」 「祈祷で調伏(ちょうぶく)するのをあっさり諦めるとは、徳川の世でもお前より気合のない者はそうおらなんだぞ」  “サードマン”が拘束されたタイケーブルを引きちぎり、両手首をぶるぶると振る。新美(にいみ)の親指は多少血色が悪くなってはいたが、問題なく動くようだ。  部屋の中心に立ち血液で床に鳥居を描く。 「私がお前に要求することは一つ。『お帰りください』だ」 「呆れた奴」  袖を捲り、出口へ向かおうとする“サードマン”の身体を抱き止める。  “サードマン”が上半身をひねり腕の拘束から抜け出すと、そのまま床に手をついて烏丸(からすま)の顎目がけて蹴りを見舞う。上体を逸らして避けた烏丸は足を掴んで転倒を狙うが、“サードマン”はその手を蹴り壁際へ飛んだ。 「おっと」  出口と反対側の壁には「はい」が書いてあるのを見て、即座に勢いを殺し手前のソファに乗り上げる。  「はい」に触れるのを明らかに避けているのが分かった。  先程の人を食ったような態度はなりを潜め、烏丸への敵愾心(てきがいしん)が強く滲む。狩る者と狩られる者とに分かれたことを理解し、殺意が肌で感じ取れるような気さえしてくる。  相手へのプレッシャーになればいいと思って書いたものだが、“サードマン”がこっくりさんのルールに反応したのは少々意外だった。  数年来こっくりさんと同じ手段で新美と会話をしてきた影響か、“サードマン”にとっては身に染みついたルールなのかもしれない。加えて日本の妖物には日本仏教的な因果応報の思想がしばしば行動原理に垣間見える。ルールを守ることにある程度従順なのはそのせいだろう。 「少なくとも聖書の朗読よりは話を聞いてくれそうだ」 「生臭坊主が」  “サードマン”が壁に足をかける。2歩、3歩、スニーカーのグリップだけで重力を振り払うように壁を駆け上り、天井を蹴って顔めがけて飛びかかる。目を潰そうとする手をがっぷり四つに組んで食い止めると、“サードマン”が凄絶な笑みを浮かべた。  烏丸の上体に飛び乗り全体重をかけ床に沈めると、そこから額に渾身の頭突きを食らわせる。烏丸の頭部はバウンドし、全身の力が抜けた。  呼吸さえ止まったのかと思うほどの静寂が個室を満たす。  部屋はひどい有り様だが、人外の者である“サードマン”にはさしたる支障もない。聖画や祭壇は無残な姿を晒している。CDプレイヤーはいつの間にか破壊されており、砕けたCDが露出していた。  足元の烏丸を軽く爪先で小突く。  何の反応も示さない彼を見下ろし、“サードマン”の顔は喜悦に歪んだ。  精神と新美の肉体を同期させていた影響で、流石に疲労を感じ、「はい」と書かれていない壁についたソファへ腰掛ける。  男子大学生とはいえ新美の身体は運動習慣に乏しく筋肉量もあまりない。関節や筋肉の可動域も狭い。数時間もすれば節々の痛みで歩くこともままならなくなるだろう。 「動けなくなる前に、さっさと出るか……」  重い腰を上げ、出口へ向かう。  ドアに手をかけようとした時、この上なく嫌な感覚を覚え、一歩下がった。  ドアの前に何かがある。  砂。いや、それよりも粒子の細かい何かが、ドアを囲むようにコの字型にまかれている。  胸のむかつくような不快感に眉をひそませながら、それに触れないよう床に伏せた。注意深く目を凝らす。  その物質が何であるか気づくと同時に、怒りと恐怖が込み上げる。 「烏丸、この……」  憎悪と憤懣が言葉にならないほどの咆哮となる。醜悪な叫び声が耳に届き烏丸は短い眠りから覚めた。そして、仕込みの成果に微笑む。  ドアの前にはオガラの灰がまいてあった。 「許さん、このわたしを(たばか)りおって、お前だけは」 「人間に化かされる気分はどうだ」  “サードマン”がオガラの灰を嫌うのは既に実証済みである。  北部九州の「野狐(やこ)」という妖怪は疱瘡や火傷の傷跡を舐めることを好み、舐められた者は死ぬと言われていた。オガラの灰を家の周囲に撒いてそれを防いだという伝承が残っている。  新美が火傷の傷跡を舐められたエピソードから、“サードマン”は野狐に近い存在であると、烏丸は見当をつけたのだ。  であれば、“サードマン”はオガラの灰で作った線を決して超えられない。  一度倒れたとはいえ烏丸にはまだ余力があった。疲労した”サードマン“を持ち運ぶことは容易い。  新美の身体を軽々と抱き上げ、烏丸はゆっくりとドアと反対側の壁へ向かう。 「お前は(きも)()に“いわ”が出来て死ぬ。お前の父も母も同じ病で死ぬ。“いわ”が血に乗って首と顎と骨に移り地獄の針山に身を投げた方が良しとさえ思えるほどの疼痛にもがき苦しんで死ぬ。お前の骸は鳥に啄まれて……」 「ほら、お前の指は“はい”を差したぞ」  “サードマン”は、力を使おうとも新美の「願い」がなければならないが、新美の意識をのっとっているためそれも叶わない。  烏丸の足が鳥居のマークへ到達するまでの間、「詰み」を悟った“サードマン”の呪詛が空しく響いた。

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