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恋ひ死ぬ

 “報告書 No.■■■■  N氏、19歳男子大学生。  11歳の時に両親の離婚で母親の故郷に移り住み、転校先の小学校で友人らに誘われこっくりさんを行う。  降霊により種別:その他Aの標的となりその後約8年にわたり共生状態にあった。  20■■年■月■日■■時■■分憑依の徴候を確認、祓魔式を執り行い、最終的にAの除霊に成功。  以下、N氏の関係者の使用した呼称にならい、Aを「サードマン」と記載——”  難解な内容だったが「カウンセリング」の結果は上々ということらしい。  オカルティックな症例報告とでもいうべきそれを、新美(にいみ)は行きつ戻りつしながらようやく読み終えた。 「……これマジのやつ?」 「ええ」  最初はクライアント用のさらっとしたレポートだけを読んだのだが、それだけでは満足できず、烏丸(からすま)にせがんで支部提出用のものを読ませてもらったのだ。  自分が気絶している間に起こった出来事を詳細にまとめたものだというが、にわかには信じがたい。  意識がなかったとはいえ烏丸に暴力を振るったり、自分が考えたこともないような猥雑な言葉を喋ったり……  正直受け入れがたい記述が多かったのも要因の一つだ。 「……ごめんなさい、とり憑かれてたとはいえ。体、大丈夫……?」 「新美さんの意思でやったことではないのですから、気にする必要はないですよ。それより、言われたことはきちんと守っていますか?」 「うん。危ない場所や遊びには近づいてないし、勿論こっくりさんもやってない」 「学生生活はどうですか」 「あー、うん……実は、友達できた」 「それはすごい」 「でもたまに、本当に生きてる友達かどうか心配になる……この写真、映ってるよね?」 「ええ。ちゃんと見えますよ。大きく前進ですね」  スマートフォンを覗き込んだ烏丸の口角がわずかに上がったのが見えた。顔をあげた烏丸と視線がかち合い、そこで初めて自分が写真の感想ではなく彼の反応を心待ちにしていたことに気づく。わずかな表情の変化すら感じ取れるほどに。  心臓の拍動が全身を揺らしてしまうかのように思えた。  人間関係の経験値が少なすぎるせいもあるが、自分はかなり惚れっぽい質だと認めざるを得ない。 「……烏丸さん、今日は神父服じゃないんだね」 「ええ、まあ」  烏丸に勘づかれるのは恥ずかしいので、話題を逸らした。  悪魔祓いが終わったら、経過観察のために何度か烏丸と会うことになっていた。今日はその1回目。  見慣れた神父服ではなくシャツにスラックスという出で立ちが新鮮で、せっかく赤面が治まってきたというのに、ついじっと見てしまう。 「洗濯中?」 「いえ、実は……破門されまして」 「え!?」 「だから今日で私の仕事は終わりです。次回からは新しい担当者が引き継ぎますので」 「な、なんで? 俺のせい……?」 「違いますよ」  青ざめる新美を見て烏丸が苦笑する。  神父の職を外れることになったせいなのか、出会った頃のような厳めしさは大分薄らいだように思える。  それとも、もし烏丸が自分に、少なくとも友人くらいの好意を抱いてくれているのだとしたら……いや、そんな想像すること自体図々しい。 「悪魔祓いに準ずる行為は世界各地、多様な民族や信仰の中に存在しますが、神やキリストの御名の元に行われる悪魔祓い以外の行為は呪術や迷信に過ぎないのです。要は、私はカトリックの司祭としてやってはいけないことをやったので破門、ということです」 「でも、烏丸さんが対処方法をすぐに切り替えてくれなかったら、俺死んでたよ。結果的に“サードマン”は祓えたんだから……それじゃだめなわけ?」 「ええ」  国際エクソシスト聯盟としては、あくまでキリスト教の祈りに依拠した悪魔祓いでなければいけないということらしい。  それ以外の行為によって悪霊を祓ったとなれば、エクソシストの名折れである。  そこにはおそらく宗教組織としての矜持や面子という事情も多分に含まれているのだろう。  結果はどうであれ、新美の命を救ったことで烏丸は神父の職を降ろされたのだ。自分に関わったばかりに。  久々に死にたい気持ちになった。 「後悔はしていません」  俯いて黙りこくってしまった新美の手に、烏丸が手を重ねた。 「新美さんも私も生きて戻ってこれて、こうして新しいご友人の話を聞くこともできて……これ以上ない最良の結果です」 「でも」  数年にわたり、自分が何かを願ったばかりに不幸になった人間を見てきた。この人もまた例外ではない。  あの時も、「願い」を叶える者の正体を知っていたはずなのに、自分の弱さと幼稚な性格のせいでうまく対処出来なくて、烏丸をあんなに傷つけてしまった。  それなのに烏丸がよこした答えは「最良の結果」なのだ。  信仰する教えや神父という立場から、努めて寛大であろうとしているのもあるだろうが……それを差し引いても簡単に言える言葉ではない。 「好き」 「え?」 「烏丸さんが好き」  ああ、何もかもが子どもじみている。  烏丸を困らせることしか出来ない自分が恥ずかしくて、涙が出てきた。 「……出会ってから日も浅いし、出会った時にあんな失礼な態度とってたのに、何言ってんだって思うだろうけど」 「いえ。自分の窮地を救ってくれた人間にそういう感情を抱くのは、珍しくありませんよ。よくあることです」  元からいい返事は期待していなかったが、優しく突き放されているのは分かった。嫌悪されるより、傷つけないような配慮の方がよほどきつい。 「そういう、一時的なものじゃなくてっ……」 「ご友人と過ごしていればその内、そんな感情は忘れます」 「俺、本気だよ」 「悪魔祓いも無事終わったのですから、あなたにはこれからいくらでも出会いがありますよ」 「だから、その中に烏丸さんも入ってるんだって!」 「すみません。でも本当にそう思っているんです。私のことなど忘れてくれた方が嬉しいです。あなたが日常を取り戻せた証だから」  晴れやかな微笑みを見られたことが嬉しいのに、これが最後だなんて考えたくない。  こんな時に流れる涙は相手の罪悪感を重くするだけで、何の効果もないと分かっている。それなのに目から次々と溢れるのを止められなかった。  実ることは期待しない。  けれど、この気持ちまで無かったことにされるのは辛すぎる。  そんな自分の未練がましさも嫌で仕方ない。  秋白が消えてしまったことで、空っぽになった頭と心が、どうしようもなく烏丸を求めている——そんな空想がやけにしっくりきてしまう。  そんなの虫がよすぎる。ハタチという年齢は、考え方も感情ももっと大人だと思っていたのに。  折り合いを付けるのに必死で、その他の体裁を保っていられない。 「わかった」  カフェの客の視線が自分たちに集まり始めたのを感じた。  烏丸も気付いているだろうが、それでも目を逸らさないでいてくれる。  涙で滲んだ視界の中心に烏丸を据える。 「忘れるよ、烏丸さんのこと」  だから、せめて、気持ちを受け取った上で終わらせてほしい。

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