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 烏丸(からすま)を忘れる代わりにキスをしたい。  交換条件にするにはあまりに卑怯な気がしたが、一度死の危機を乗り越えると多少図々しくなるのか、良心の呵責はすぐに潰えた。 「キス、だけですよね?」 「うん」  自宅に連れこみ靴を脱ぐのも待てず、玄関先でそのまま。お互い荒い息をひそめながら事に励む。  烏丸の問いかけはどういう意味なのだろう。1回だけの軽いキスで終わりじゃないのかという怒りなのか、キスだけではすまない懸念からくる確認なのか、それとも。  烏丸の背中を玄関扉に押しつけ、唇だけを重ねているうちに、どちらからともなく舌を絡ませあう。 (怒ってる、かな。怒ってるよな……)  最初から失礼な態度をとっていたくせに、ひとりで死ぬのが怖いからという身勝手な理由で頼り、意識のない内に暴力を振るい、挙げ句の果てには勝手に好意を押し付けられ、決別する代わりにキスをさせろだなんて。  普通の神経をしていれば怒る……と思う。告白など断られて当然だとも。  先程の会話の流れもあって、烏丸が嫌がっているのではないかと心配になってきた。  けれど、それにしては烏丸の態度は積極的に思えた。体重が10kgは違うであろう新美(にいみ)のことなど、その気になれば簡単に押しのけられるはずだ。本気で嫌がっている可能性を考え、唇を離そうとすると、烏丸の舌が追いかけてくる。  そんなわけで、浅ましくもあわよくばこれ以上のことを望んでしまう。治まらない熱をキスでなだめようとするのは堂々巡りのように思えたが、他に方法を知らない。  舌を唇でつかまえて吸ったり扱いたり、裏側を舌でなぞれば面白いほど素直に反応が返ってくる。  これがあの、堅苦しくて真面目一辺倒の烏丸なのか。  快感が背筋からぞわりと這い上がっていく。 (神父は結婚できないと聞いたけど、恋愛はどうなんだろう)  烏丸のこんな姿を、他に知ってる人間がいるかもしれないと考えただけで、新美の胸は締め付けられた。  息もできないほど深く口づけ、耳や首筋を親指の腹で撫でれば烏丸の息が上がる。  唇を離して、酩酊しているような目や口元を見てしまうと、自制心などかき消えた。  衝動的に手を厚い胸板へ這わせ、もどかしくシャツのボタンを外していく。鍛えられて谷間すら見える胸筋の間にきれいなロザリオが揺れ、喉がごくりと鳴った。  烏丸の足の間に自分の足を割り込ませると、太腿に芯を持ったものが当たる。  烏丸も興奮している。疑いようのない事実が情欲を滾らせ、感じるままにぐっと腰を擦り付けると、自分の中から理性のある言葉が消えていった。感情も行動も、原始的な欲求に支配される。 「待って……」  低い声が焦りで上ずっている。  厚みのある手に似合わない弱々しさで肩を押し返され、新美は我に返った。  キス以外はしないのが暗黙の了解だ。慌てて烏丸から手を離した。 「ご、ごめん」 「……約束通り、これで終わりです」  背を向けた烏丸が努力して落ち着いた声を出しているのが分かる。背中を見つめながら、彼の荒い呼吸がいつまでも整わなければいいと思った。  スラックスを押し上げて苦しいだろうに、新美が見ているので対処できない。 「烏丸さん、苦しそう」 「……すぐ治まります」 「俺が手伝っていい?」  耳に唇を寄せて囁くと、烏丸がぶるぶると首を振りながら肩をすくませる。  あと一押しすれば、などと邪なことを考えている自分は、烏丸にしてみれば悪魔とそう変わらないだろう。それでも生理現象を我慢して健康を害すくらいなら教義など無視してもいいのではないかと思う。 「体によくないよ」 「うっ……あ」  ベルトを外して前をくつろげてやると、しっかりと角度のついたペニスが溢れた。  両手で優しく上下に擦るだけで全身が震え、烏丸が形ばかりの抵抗をする。 「だめ、やめなさい……」 「一度出しちゃえば落ち着くよ。ね? 玄関が嫌ならベッド貸すから」  楽になるのがそんなに罪深いのか、烏丸は必死でいやいやと首を振った。  裏筋の部分を指でなぞって、いい反応を引き出す。烏丸の言葉や態度とは裏腹に、すっかりその気になって反り返っている。  腰を突き出して新美の手から逃れようとすると、尻に新美の股間の膨らみを押し付けられる。平坦なドアに体を押し付けても、掴む場所がなく安定しない。 「ね……苦しいだろ」  烏丸は皮膚が白くなるほど強く手を握り、この後に及んでもゆらゆらと首を振って否定した。  国際エクソシスト聯盟の連中は彼を破門にするのをきっと惜しんだろう。  燃えるように赤い耳殻を口全体に含んで蹂躙しても、耐え難い快楽に叫びはすれども首を縦に振らない。これが信仰心でなくて何だろう。 「……ごめんね」  よりによって一番苦しいところで我慢させてしまった。が、烏丸の望みなのだから仕方ない。  痛そうなほどに勃起しているものを、上手いこと下着に収め、スラックスのファスナーを閉じてやる。 「もし烏丸さんが眠ってたら最後までしちゃうのにな……」  ベルトを締めてやり、今度こそ身体を離す。  烏丸はこんな時でも律儀で、焦点の定まらない潤んだ瞳もそのままに、ぺこりと一礼してから玄関のドアを開けた。 「さようなら、新美さん」 「うん……さよなら」  ドアが閉まる。  別れはなんともあっけないものだった。  はあ、とため息をつき脱力した。俯いた先に自分の張り詰めた股間が映る。自分もこれをどうにかしなければ。  靴を脱いで部屋に上がろうとしたその時、外のチャイムが鳴った。 「烏丸さ……じゃない」  ドアスコープから見えたのは、同じフロアの住人の女性だった。  何を期待しているんだと自分に呆れながらドアを開けると、彼女は新美の火傷の跡にギョッとしながらも、丁寧にあいさつしてきた。 「あの、こちら、お宅のお客様みたいで……ドアの前にうずくまってらしたから」  え、と思い足元を見ると、俯いてしゃがみ込んでいる烏丸がいた。  多分、動けなくなったところを住人に見つかったのだろう。彼女は良かれと思って新美に教えに来てくれたのだが、そこにいる男は今しがたこの家から必死の思いで出てきたんですよとは言えなかった。 「あ……ありがとうございます。うちで休ませますので」  頭を下げながら礼を言うと、女性は気遣わしげな微笑みを向けながら去っていった。 「……とりあえず、入って」  もう抵抗する気が失せたのか、烏丸は新美に手を引かれるまま、再び室内に入った。  烏丸の顔は真っ赤で汗もかいている。バツが悪そうにドアにもたれる様が無防備極まりない。 「すみません……ここでしばらく休んだら出て行きます」 「……上がっていけばいいのに」  烏丸は答えなかった。  茶の一つも用意した方が良かろうと思い、廊下に面したキッチンで用意をしていると、烏丸が靴を脱いで上がってきた。 「新美さん」 「なに?」 「眠いです」 「うん……うん? え? ベッド貸そうか……?」  烏丸をベッドまで案内する。  体を横たえた後に去ろうとすると、烏丸が新美の服の袖を掴んで強く引いた。 「え……なに?」 「……」  その顔に浮かぶ表情は、なんというか、「お預けをくらった犬」のように思えた。  弾んだ息のまま、烏丸が言葉を継げる。 「私は……一度眠るとなかなか起きなくて」 「ああ、いいよ。今日は予定もないし、ゆっくり休んで」 「深く深く眠るので……多分、何をされても気づかないと思います」  妙な言い回しに首を傾げる。  なんでわざわざそんな注意を? まるで烏丸が何かしてほしいみたいじゃないか……というところまで考えてようやく、烏丸が何を言おうとしているのか理解した。 「……いいの?」  返事を待たずベッドに上がり、新美を待ち構えている烏丸を組み敷くような格好になった。  両肘をついて体を近づけると、呼吸のたびに筋肉質な胸が自分の上半身に触れる。昂りを逃すための荒い呼吸は、穏やかな寝息にはほど遠い。 「……嫌だったら突き飛ばしてね」  目を瞑った烏丸がゆっくり一度頷いたのを合図に、新美はスラックスのベルトに手をかけた。  下着をずり下げ、先ほどから全く萎えていないペニスを再び露わにする。  先端で玉になっている雫をすすってみる。思ったほど忌避感はなく、思い切って口に含んでしまった。びくりと大げさなほどに烏丸の体が反応する。  舌の触れるところは手当たり次第優しく舐めてやると、烏丸の掠れた声が漏れ聞こえてきた。  両手で口を塞ぎ、快感に耐える表情の妙な初々しさのせいで、変に喉が渇く。 「う、っ…んぅ——ッ! ふっ、う」 「烏丸さん……可愛い」  竿を唇で扱き、鈴口を舌でこじ開ける。経験がないので力加減や技術などあったものではないが、今時うぶな少女でもしないような反応が返ってくることに新美は感動すら覚えた。ひとえに烏丸の感受性の鋭さと禁欲生活からくる不慣れさゆえなのだろう。  口いっぱいに頬張ろうと思ったが、食道まで容易に到達しそうな大きさだったので早々に諦めた。拙い愛撫でも烏丸の腹筋や大腿が震える。 「新美さん……口っ、離して」 「んーん」 「離しっ…でる、から…よごれるからっ……」  寝てるんじゃなかったのか、という意地悪な質問をしてやりたくなったが堪えて口に集中する。  程なくして口の中に苦く塩辛いものが広がり、烏丸が達したのが分かった。のけぞって大きく胸を上下させる様が快感の大きさを表しているようで、新美は奇妙な達成感を覚える。 「次は……こっちね」 「え、えっ? うわっ」  両足をV字に広げて頭側に折りたたむようにすると、あられもない格好になる。  股間に顔を持っていくと、薄目で様子を見守っていた烏丸と目が合ってしまう。視線を逸らす様子がないので、見つめあったまま舌を窄まりに埋めていく。 「ぅあっ……い、いや、やだ……あうぅ…なんで、そこっ」 「こんなもんかな、次は指ね」 「やだ……っ、に、みさ、なんでっ」 「なんでって、いきなり入れたら痛いじゃん」  肉厚ですべすべした烏丸の尻や太腿に頬をすり寄せ、口づけて見せると、烏丸の顔が羞恥でいっそう赤くなる。  こういう雰囲気は苦手なのか、烏丸は顔を背けて固く目を閉じてしまう。 「いたいのが、ふつ……でしょ、こんなの」 「え? 烏丸さん、したことあんの」 「したというか……神学校にいたとき、上級生に腕づくで」 「っ……! ごめん、知らなくて」 「いえ」 「もうやめようか? 辛いんじゃないの?」  引かれるかと思ったが、新美はただただ恐縮していた。一歩下がって痩せた体をさらにちぢこませている。  報告書では“サードマン”の発言の詳細を省いたため、烏丸の過去のことは当然新美が知る由もない。  新美の反応を見るに、もし彼と“サードマン”の意識が共有されていたら、きっと今頃こんなことになっていなかっただろうと思う。 「新美さんこそ……やけに詳しいですね」 「えっ、あー……実を言うと、秋白といつかこういう場面になった時のためにと思って、いろいろと、事前学習を……」  今度は新美が赤面する番だった。  適当なことを言って誤魔化せばいいのに、恥ずかしそうに説明しているところを見ると本当のことなのだろう。  出会った時からの印象だが新美は実際の年齢よりも精神的に幼い部分がある。本人もそれは自覚しているだろう。それでも年相応に振る舞おうとする努力がいじらしくて、烏丸は新美の頬をそっと撫でた。 「ていうか烏丸さん……痛いのが分かってるのに、俺に許してくれたんだ」  子犬みたいに頼りなげな表情でおずおずと近づいてくる新美を抱きしめながら耳元で囁く。 「私は、大丈夫ですから……」  烏丸は痛みや恐怖を耐えるつもりでいるが、そんなことは絶対にさせたくない。  自分の勃起時のものは平均的なサイズだと思うが、とにかく痛くないように……ローションをたっぷりと使い、時間をかけて指が4本容易に入るまで丁寧に、執拗とも言えるくらいに優しく解していく。 「烏丸さん? 今から俺の、入れるからね」 「んっ…」  慣らす段階で既に達していたせいで、烏丸はほとんど前後不覚だった。胸元のロザリオに先走りか精液か分からないものが伝うほど濡れ、もういい頃合いだ。  夢心地でうなずく烏丸の穴に正面からいきり立ったものを突き立てる。 「ひっ……あっ、入って…うあ、ああぁっ……」  泣きそうな声が快感によるものだと分かっていても心配になって、烏丸の頭を撫でてなだめる。  念入りに柔らかくしたためかすんなりと根元まで収まるが、それでも異物感が強いのか呼吸が浅く早い。 「痛い……?」 「っだい、じょうぶ…」  とろとろと涙をこぼしながらひくつくペニスを扱き、腰をゆるゆると動かすだけで、普段の烏丸からは考えられないような甘い声が上がる。  体のどこよりも高い温度と柔らかくきつい圧迫が信じられないくらい心地よくて、ものの数往復で達しそうになる。 「烏丸さんっ、太腿っ…腹筋もバキバキでかっこいいのにっ…声かわいい、好きっ」 「あっ…何を、ばかなことっ…」 「かわいいっ、好きだ、烏丸さん…」  凡そ自分より体格のいい男に対する言葉ではない。鼻をぐすぐす鳴らして泣くほど恥ずかしがっているのに、あらゆる賞賛を口にするたび物欲しげに中がうねる。  ぎりっと音がするほど奥歯を噛んで耐え、角度を変えて突いた。 「あああっ!」  烏丸の反応が変わった。   前戯の時は控えめに触っていた場所に思い切り当たってしまったらしく、我を忘れて高い声をあげている。  根元から絞られるような締め付けが数度、突くたびに襲ってくる。 「烏丸さんっ、ゆるめて……も少しっ」 「ごめ、なさいっ…あっ、で、できな…」  焼き切れそうなほどの快感で、新美も烏丸もほぼ同時に精を吐き出した。  烏丸の意思とは関係なく締まったり緩んだりを繰り返す動きで、管に残った精液すら搾りとられるかのようだ。名残惜しく出し入れを繰り返すと烏丸も同じように最後の数滴を吐き出す。  自重を支える腕が限界で、新美は烏丸の胸に倒れ込んだ。 (これで……終わり)  胸に耳を当てていると、烏丸の心臓の音が伝わってくる。早足だった脈拍が自分のものよりも先に穏やかになっていった。  引き留めたいけど嫌われたくない。  両立できる言葉をついぞ見つけられずに、別れの刻限が迫る。 「帰る時、気をつけて。ここらへん店もあんまりないし夜は暗いから……」 「はい。お気遣いありがとう」  一生懸命口角をあげてはいるがどうしても顔が引きつってしまう。烏丸の目をまともに見られず視線が見知った部屋の中をさ迷って、ひどく不自然に見えているだろう。  鍛え方が違うのか烏丸の歩き方は思ったよりしっかりしていた。衣服も髪も整えられて、いつでもこの部屋を出て行ける。  笑顔になれないならせめて丁寧に礼を添えて別れを言うべきなのはわかっていた。けれど 「烏丸さん、俺……やっぱり、烏丸さんのこと忘れなきゃだめ?」  革靴に足を入れかけたままの背中が動きを止める。  烏丸のため息と、少しの間があって、彼にしては乱暴に靴が脱ぎ捨てられた。  怒らせてしまった。怯えて後退る動きも構わず烏丸がずかずかと迫ってきて、背が壁にぶつかる。  これでは立場がまるで逆だ。 「ご、ごめんなさい、あの」 「新美さん」 「はいっ」  怒気を孕んでより迫力の増した低音が新美を内部から揺さぶる。  小学校でもお目にかかれないような気をつけの姿勢でうわずった返事をすると、烏丸のゴツゴツした手に肩を掴まれた。この時点でもう泣きそうだった。  そろそろと片目だけで烏丸の様子を伺えば当然、頬は興奮で再び赤らみ、眉間に険しいしわが刻まれている。これまで見たどんな表情より鮮烈な怒り。 「こんなことまでしておいて、今更何を言っているんですか……」  今更ながら彼の宗教が禁じているあれやこれやを、この数時間で破りまくっていたことに気付かされる。  それと同時に、歯噛みと共に結ばれた唇が、怒りの涙が滲む(まなじり)が、肩を掴む指の強さが、ようやく自分に向けられたものだと知る。  これからはそういう時代だからという取りなしを、固い信仰心で拒んできた烏丸のことだ。新美を受け入れることにどれほどの勇気が要ったか。 「そ、そうだよね、ごめん……」  夢みたいだ。でも現実なんだ。  呼吸と鼓動、抱擁の暖かさが、彼と自分を人間たらしめているのだと教えてくれる。

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