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第2話

「……黙ってて、もらえ、ますか」 「黙っててほしい?」 「はい」  深く息を吐き、まっすぐに那月さんを見据えてお願いする。すると那月さんは見せつけるように薬の袋を弄び、それから唇の端をにぃっと上げた。 「んじゃ、ヒートの時にヤらせて」 「…………え?」  ヒートノトキニヤラセテ。 「えっと、ごめんなさい。なんですか?」  妙に楽しそうな声音で言われた言葉の意味が脳に届かず、額に手を当てる。さっきから頭が動きすぎてうまく働いてくれない。  その証拠に、那月さんがソファーから腰を浮かし、近づいてくるのがスローモーションに見えて。 「わ……えっ!?」 「これならわかるか?」  ソファーに背中がついてやっと、那月さんが僕の上に覆いかぶさっていると気づく。  撮影の時にかっこいい人だと思ったけれど、同時に真雪さんの忠告もしっかりと理解しておけば良かったと今さら思った。  自分の家のソファーの上なのに、こんなに居心地が悪かったことはない。 「いつもと逆の景色はどんな感じ?」 「……あんまりこういう役やったことないです」 「真面目かよ」  近づく那月さんの体を押し返そうとした手を逆に押し付けられ、耳元に唇が触れた感触に身をすくめる。まるで熊に出会って死んだふりをしている気分だ。 「せっかくのオメガなんだからヒートの時にヤらせろつってんの」 「ふ、あ……!」  直接耳に吹き込まれた吐息がぞくぞくと背筋までくすぐる。  言葉が聞こえなかったわけじゃなくて意味がわからなかっただけなのに、顔を起こした那月さんはやけに満足げだ。 「俺、オメガには会ったことあるけどさすがにヒートの時にヤったことはないんだよね」  さすがにその言葉の意味がわからないわけじゃない。わからないのは、その言葉がどうして自分に向けられているかということ。 「理性ぶっ飛んで本能だけでするセックスとか絶対気持ちいいと思うんだけど、さすがに誰とでもできるわけじゃないし、こっちも危ないからな。うっかりうなじでも噛んだら番になるわけで、ぶっちゃけた話それを狙われても困るし」  もしもこれがドラマでそれがセリフだったら、一発オーケーで終われるほどよどみなく感情のこもった言い方だった。  正直、それがあるから言葉にはされずともオメガは忌避される存在なんだ。  オメガのフェロモンにアルファは逆らえない。  たとえばヒート中のオメガが突然現れたら、そこにいたアルファは理性が飛んですぐに発情してしまう。そしてその時にうなじを噛んで印を刻んでしまったら、初めて会った相手でも番となってしまう。  今までもそういう事件があったし、だからこそ僕は強い薬の副作用を堪えてでもフェロモンを抑えるんだ。 「その点、お前とだったら利害の一致があってちょうどいいわけで」  それを、この人は利用しようとしている。  今まで隠してきたオメガとしてのフェロモンを使って楽しもうとしているんだ。 「お互い目的は明確で自覚してるし、その上したことは絶対黙ってるだろ? そんな都合いい相手なかなかいないからな。特に王子様が耐えられない快感に身をゆだねてる姿とか超見たい」  まるで映画の公開を待つ子供のような表情で、那月さんはとんでもないことを言う。いっそ無邪気とでも言うようなその軽さが恐い。 「趣味悪いですね」 「お互い楽しむだけだって。酒に酔って雰囲気に流されてするよりむしろ健全だろ。別に噛んだりしないし、そっちだってアルファとセックスすりゃヒートも軽くなるっつーんだから案外Win-Winってやつじゃん?」  脅迫なら脅迫らしくすればいいのに、那月さんはまるで両方に利益があるような言い方をするから困る。  そして掴まれた腕が全然外れない。この人が怪力というよりかは俺が非力なだけだろう。こういうところで否が応でもアルファとオメガの違いを突き付けられる。

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