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第6話

「お疲れ」  鍵が開く音がして玄関のドアが開く音閉まる音に続いて廊下を早足で歩いてきたのは当然那月さん。 「どうしたんですか、それ」  態度を決めかねていた僕が迎えるより早くリビングにやってきた那月さんは、持っていた荷物をソファーに置いてセッティングを始めた。  いつもより少し大きめのリュックから出てきたのはノートパソコンとヘッドホン。  それをテーブルの上に置くと、今度は早足で僕のもとへやってきた。 「ちょっ、な、なんですか」 「まだフェロモンは出してないな」  首の後ろに手をかけ、引き寄せるようにして距離を近づけ匂いを嗅いでくる。こんな距離にいて普通でいられる時点でそれは言わずもがな。  それを確かめた那月さんは、再びパソコンの前に戻った。 「ちょっと締め切りやばいからここで仕事する」 「いや、だったら自分の家で仕事すれば……」 「いいんだよここで」  言いながらパソコンの下にスタンドを置いて傾斜をつけている辺り、どうやら本気で仕事をするらしい。 「そういうわけで、今日は構ってやれないから」  どういう頑固さなのか、至極真っ当なことを言っているはずの僕の意見はヘッドホンで遮断。  本当にそのまま作業を始めてしまって、またもや家主なのに居場所に困る羽目になった。  自宅にはちゃんと環境が揃っているだろうに、どうしてわざわざ家で作業をするのか。ここまでの移動時間を考えたら、絶対家で作業を続けていた方が効率がいいはずなのに。  ただ那月さんの行動は僕には理解できないものの方が多いから、考えても無駄なんだろうと早めに諦めることにした。  なにより直接話さなくていいのなら気が楽だ。  ひとまずダイニングテーブルの方に位置取ってその作業を眺めてみる。  どうやら那月さんは場所は関係なく没頭できる人らしく、さっそく自分の世界に入っていた。メロディを追っているのか時折指先が動き、リズムを刻む。  ちゃんと機材があった方がやりやすいんじゃないのかな。そういえば楽器とか弾くんだろうか。ギターは弾いているところを見たことがある気がする。それはなくていいのかな?  普段は不真面目の塊みたいな人だけど、こうやって真剣にパソコンに向かい合っている姿は皮肉にもだいぶかっこいい。  僕といえば歌と作詞はしたことがあっても音楽づくり自体はほとんど素人のようなものだから、こうやって作業をしているところを見ると素直に感心してしまう。  那月さんって、本来はちゃんとかっこいいミュージシャンなんだな。  こういう形で知り合わなきゃ友達になれたのかな。……いや、無理か。そもそも接点がないもんな。 「……構ってもらえなくて寂しいのはわかるけど、俺が見るのは良くてもお前が見るのはなし」 「なんですかそれ」 「いいから。気になるんだよ、視線」  パソコンの画面から目を離さないまま、那月さんはひらひらと僕に手を振る。  僕の家なのに僕がやりたいようにしてはダメなのか。  ……そこでふと、自分が那月さんを見ていたかったかのような思考をしていることに気づいて、慌てて席を立った。  僕も仕事をしよう。台本を覚えなきゃ。那月さんみたいなよくわからない人に構っている暇なんてないんだから。ほんと、全然。

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