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第4章:浮所類 〜安心感〜

水曜日の夜、仕事を早く切り上げた後、 俺は花束を持って新宿二丁目の某コンビニの前にいた。 「類!ごめん、お待たせ。」 裏返った声で話しかけてきたのは ヒデママだ。 いつもバーに立っている時の様な ラフな格好ではなく、 襟付きのシャツに蝶ネクタイをつけて着飾っていた。 今日は三年前まで『パープルラビッツ』で働いていた 元店子のユウリが 新しくバーを開いたと言うことで、 開店祝いに二人で駆けつけることになっていた。 「ユウリに会うの三年ぶりだな。」 「あら、あの子がやめてから一切会ってないっけ? 時々お店に来てたけど。」 「うん。会わなかったな。 ユウリは夜遅くとかに来てたんじゃない?」 「そうねぇ。大学卒業とともに、お店やめてからは 社会人になって狂うように働いてたものねぇ。 深夜に飲みに来て、 さっきまで仕事してたーってのザラにあったわ。 まぁ、頑張ってきたのは全て ゲイバー開店資金だったなんて知らなかったけど。」 「いいとこ勤めてなかったっけ?確か。」 「外資金融で働いてたみたいよ。」 「もったいないなぁ。」 「何よ、ゲイバーのママだってそこそこ安定した生活よ。」 「まぁ、ヒデママのとこはね。 常連さん多いし。」 そんなユウリが開いた新しいゲイバー 『ホワイトリリー』は 白を基調としたとてもモダンな内装で 小洒落たバーだった。 「開店おめでとう。」 俺は店の名前に因んだ 白い百合の花束をユウリに渡した。 他の客も同じようなことを考えていたようで カウンターには 貰い物の白い百合の花束だらけだった。 パープルラビッツで働き始めた当初から、 ユウリは色白で美形で、 ユウリを本気で狙っていた客が あとをたたなかったのを思い出した。 確か父親は白人で 一度も会ったことはないと言っていたが、 その血もあってか、 スラッとしていて、俺よりも高い長身で、 確か雑誌の読者モデルをやっていたって言ってたっけ・・・。 俺のタイプとはまた少し違うが、 その美貌は三年たった今でも全く変わっていなかった。 「お二人とも、本日はお越しくださいまして ありがとうございます。 ヒデママ、胡蝶蘭送っていただきありがとうございます。 お店の前に飾らせていただいています」 「見たわ〜。おめでとう。」 そう言い、ヒデママは、カウンターから出てきたユウリを 抱きしめた。 「これからいいことも悪いこともたくさんあると思うけど、 頑張りなさい。」 「はい。」 今のところそんな心配などいらないように、 小さな店はぎゅうぎゅう詰めになるくらいの人が入っていた。 「やっぱママが若いと、 全体的に年齢層若めだねぇ。 内装もおしゃれだし。」 「そうね。 どうせ私のとこはレトロで 私みたいなおっさんばっかよ。」 「そんなことはないけどね。 おっさん目当ての若い子も多いし。」 「あんた、それっておっさんが売り って言ってるようなもんじゃない」 いつもの調子で、 カウンターから少し離れたソファー席で、 ウーロンハイを片手に二人で話していると、 カウンター席に座っている 3人組がこちらをチラチラ見ているのが分かった。 「あー、あの真ん中の子、類のタイプそうねぇ。」 「んー・・・」 普段の俺なら、 真っ先にヒデママの言う、 いかにも尻軽そうな可愛い男子が目に入るのだが なぜか彼の影に隠れた大人しめの眼鏡の子に目がいった。 3人は俺たちと目が合うと、 こちらの席に寄ってきた。 真ん中の子はいかにも自分に自信があるような はっきりした喋り方で、 「相席いいですか?」 とU字ソファーを陣取っていた俺たちに訊いた。 「いいよ。こんなおじさんたちで良ければ。」 とヒデママは答えた。 「お二人ともかっこいいですねぇ。 特に、お兄さん、俺のタイプだなぁ。」 と俺の方の横を陣取った尻軽君が俺を上目遣いで見た。 「そっか。ありがとう。」 かわいい子からの据え膳はきちんと頂く俺だが 今日はあまり乗り気ではなかった。 「あ兄さんたちお名前はなんですか? 俺は、リュウ。隣はセイジで、奥の眼鏡はワタルです。」 「俺は、類。隣の人は、 パープルラビッツっていうバーでママをやってるヒデ。」 と答えた。 「あー、パープルラビッツって、あの有名な?」 「あら、有名だなんて。」 「俺行ったことないですけど、 行ってみたいって思ってたんですよー。 今度お邪魔しますねぇ。」 そんな感じで、しばらくの間、 コミュ力高めのリュウと 職業柄トーク上手のヒデママが、 交互にずっと喋っていた。 リュウと共に大学生だという リュウの隣に座っていた子と眼鏡君は 楽しそうに相槌を打ちながら聞いていたが、 大きな声を出す二人に挟まれた俺は、 窮屈になっていた。 「明日も早いし、今日は帰るわ。」 ウーロンハイを2杯飲んだ俺は、 最後まで残るというヒデママを置いて席を立った。 帰る前にユウリに挨拶をしようと思ったが、 たくさんの客に囲まれていて、 そんな余裕はなさそうで、 とりあえず、目が合った際に手だけ振って店を出た。 ゲイバーが多数入ったビルから外に出ると、 バーでの滞在時間は2時間ほどだったのに 気温はグッと下がっていた。 ワイシャツの上に トレンチコートを羽織っただけでは 秋の夜風の冷たさが体に染みる。 擦った手をコートのポケットに入れ、 駅の方へと歩こうとすると、 「あ、あの、類さん」 と、後ろから俺を呼び止める声がした。 知り合いだろうか・・・ と振り向くと、眼鏡君だ。 「あー、さっきの。どうかした?」 「・・・類さん、この後・・・お暇ですか?」 「え?」 俺はフッと笑ってしまった。 「君、見かけによらず積極的なんだね。」 「・・・リュウ君の相手をしないで、 俺の方をチラチラ見てたから・・・ チャンスあるかなって思って。」 確かに、普段全く眼中にない容姿なのに 3人の中では なぜだか彼が一番目についた。 「チャンスねぇ・・・」 俺は躊躇なく 俺よりも10cmほど背の低い彼に近づいた。 そして、右手をポケットから出すと、 フレームの太い眼鏡の縁を持ち 少し上にずらしてみる。 彼も彼で慣れた様に まっすぐ俺の目を見た後目を瞑り キスを誘った。 う〜ん・・・ 眼鏡ない方が 可愛い顔をしているけど・・・ なんか・・・そそられないな〜・・・ 俺は眼鏡を元の場所に戻し、 「本当に明日の朝早くてさ。ごめんね。」 と言うと、 眼鏡君は、眼鏡越しにある目を大きくさせ 驚いていた。 最後に 「またね。」 とは言ったが、 連絡先も交換せず、俺は賑わいを見せる新宿二丁目を後にした。 家に帰ると、 時刻はまだ10時で、俺は脱いだコートを 玄関にあるコートフックにかけた後、 ゆっくりとリビングルームのソファーの上に腰を下ろした。 ホワイトリリーでは 何も食べていなかったので、 腹は空いていたが、 今から食べるのもなぁ・・・と思い、 そのままの状態でしばらく座っていると、 小さな生活音と、 微妙に聞き取れない親子の会話が うちと隣の家を隔てる壁の方から聞こえた。 その音になぜか安心感を覚える。 俺は、 しばらく何も考えずに、耳を澄まし、 微かに漏れる音を拾いながら、寝落ちした。

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