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第8章:日向彰良 〜一歩〜

僕、日向彰良(ひなたあきら)は 35年生きて来て初めて告白された。 相手は隣に住む小児科医の浮所類(うきしょるい)先生。 ・・・男性。 4ヶ月前に妻と正式に離婚し 5歳の爽太(そうた)を一人で育てている今の僕にとって 僕たち親子と積極的に関わってくれ 頼りになる彼の存在は 大きな心の支えになっている。 それだけではなく、 一緒にいると楽しくて もっと一緒にいたい・・・、 触れ合うと気持ちよくて もっと触れ合いたい・・・、 彼といると自然とそんな気持ちにもなる。 異性だったら、 迷うことなく、 付き合うことができただろう。 けれど同性となると、 今の友情を超えた関係でさえ いっぱいいっぱいなのに 男として、そして父親として、 もう一歩先に 踏み込んでもいいのか分からない。 どんなに相手が魅力的で、 性別を越え惹かれていても、 それはとても覚悟のいることのように思えて、 改めて考えると、少し怖かったりもする。 月曜日の朝、家を出ると、 僕を悩ますその人が ドアの前で待っていた。 「おはようございます。」 こんな朝早くから 耳に通るはっきりとした声で いつもと変わらぬ爽やかな笑顔を振りまけるなんて・・・ 朝が弱い僕には到底真似できない。 テンションと同様に低めの声で挨拶を返すと、 先生は 「そう言えば、俺たちって メッセージのID交換をしていなかったと思って。」 と、C Mの1カットのように コートのポケットからスムーズに取り出した スマホを(かざ)した。 今更ながらID交換をし、 このマンションの唯一の弱点でもある ノロノロとしたエレベーターを待っていると、 「いつもお帰りって8時くらいですか?」 と訊かれた。 「そうですね・・・7時に会社を出て、 爽太を保育園まで迎えに行って、 保育園の先生と少し話したりして 家に帰ると、 それくらいになりますね。」 「そうですか。今日も?」 「え?あ、はい。その予定です。」 「それなら、今夜うちに食べに来ませんか?」 僕が返事をする前に 「オムライスが食べたいな〜!」 と全てを聞いていたであろう爽太が 甘える時に使う得意の上目遣いで先生に訴えた。 「いいねぇ。 じゃ、今夜はオムライスにしようかな。 どうですか?」 先生は楽しげに俺を見た。 「平日なのに、大丈夫でしょうか?」 「平日だからですよ。 日向さん、いつも疲れて ご飯ちゃんと作れてないって言ってたじゃないですか。」 「そんなこと言ったら、先生だって お疲れでしょう。」 「オムライスくらいなら、朝飯前です。 ちょうど、材料も家にあるもので出来そうですし、 米の予約はセットしてきたんで。」 「そうですか・・・。 ・・・いつもいつも申し訳ないです。」 「そんなことを思う必要ないですよ。 二人に美味しいものを 食べさせたいという気持ちもありますが、 もちろん下心もあるんで。」 サラッとそんなことを言われ 胸の辺りがむず痒くて うまく返せずにいると、 「ねー、シタゴコロってなあに?」 と爽太が好奇心旺盛な様子で訊いた。 爽太のそんな無邪気な一言がおかしくって つい笑ってしまうと、 先生も、同じように笑っていた。 「うーん、下心っていうのはねぇ・・・」 と先生が説明しようとすると、 タイミングが良く ピーと鳴った機械音と共に エレベーターが到着した。 爽太は自分の訊いたことなど 忘れたように 「やっと来たー!」 と言い、空のエレベーターに 「イッチバーン!」 と飛び乗った。 「フレーバービール『ビジュー』シリーズの 新展開について 話し合っていきましょう。」 僕は、夕陽飲料株式会社の 商品企画部で働いている。 ちょうど半年ほど前から 新商品課のグループ長を任され、 同じグループに所属する部下5人とは こうして定期的に企画会議を行なっている。 「今出ている中でも グレープフルーツ味が 断トツ人気なので、 柑橘系がいいと思います。」 「逆に、甘いものを 攻めてみるのもありなのでは?」 「もし発売日が夏になるのであれば、 さっぱりしたものがいいんじゃないですか?」 「パインとオレンジなど、 二つの味をミックスしたものでもいいのでは?」 僕たちのグループは、 既に販売しているアルコール飲料の 新フレーバーや、 リニューアルの提案や企画などを担当している。 元々僕は 同じ部の海外企画課にいて、 ずっと海外の市場調査などを行なってきたこともあり、 クリエーティブというよりも リサーチ寄りの人間なので、 このような会議では 基本的にはマーケット分析などを 述べることが多い。 一方、グループの若い子たちは、 美大出身の子や、栄養士の資格を持っている子もいるので、 それぞれの視点からの意見をたくさんくれる。 ここである程度まとまったラフなアイディアを 各課の課長を含めた企画会議に持っていき、 そこで議論され、 承認を得た商品はその後また持ち帰り、 開発課などと話し合いや試作をしながら 新しい商品を作っていく。 今日も一日忙しく働き 18時45分、そろそろ帰る時間だ。 いつもこの時間から メールの返信漏れが無いか再度チェックをし、 明日の予定を確認する。 そして、その日の仕事を終える。 うちの会社は基本的には残業禁止なので、 ほとんどの社員も僕と同じく7時頃には帰る。 「お疲れ様です。」 「お疲れ様です。」 そんな声を周りと掛け合いながら、 僕は会社を出た。 そこから徒歩5分先にある保育園に向かう前に、 少し遠回りをし、 たまにテレビでも取り上げられている洋菓子屋に寄り プリンを3つ買った。 保育園に着くと、 爽太は 「あ!ブランノアールのプリンだ!わーい!」 と、僕が迎えに来たことよりも、 プリンの紙袋に喜んでいた。 離婚する前は よく買って帰っていたこのプリンは 爽太の大好物。 「また明日よろしくお願いします。」 「先生バイバイー!」 先生たちに挨拶をし、僕たちは、家路を急いだ。 普段ちんたら歩いている爽太だが 今日は気持ち早足だ。 「オムライス楽しみだなぁ〜!」 「そうだね。久しぶりだね。 二人で暮らし始めた時に一回作ったけど ご飯もビチョビチョで、 卵もボロボロだったもんね。」 「うん!まずくはなかったよ。」 「それはどうも。」 「また先生から教えて貰えば? 先生から教えてもらって 毎朝パパが作ってくれる 卵焼きすごく美味しいし。」 「そっか。卵料理ばっかりになっちゃうね。」 「卵好きだからいいの!」 「そういえば、プリンも卵か・・・。 今度は栄養が偏ってるって先生に言われちゃいそうだな。」 先生と知り合ってから、 先生という共通の話題が増えたせいか 僕と爽太の会話も多くなった気がする。 マンションにつき、 エレベーターを降りたところから ほのかに香ばしいバターの匂いがし、 先生の部屋の前行くとその匂いが強くなった。 ドアベルを鳴らすと、 今朝のまんまの先生が 出てきた。 夜になっても、 朝の爽やかさを保てるなんて・・・。 先生は、笑顔で、 「おかえりなさい。どうぞ。」 と掌を上に向けた。 自分の家ではないにしろ、 仕事から帰って、 玄関で誰かから出迎えられたことは もう何年も無かったため、 胸がホワっと温かくなった。 「では・・・お邪魔します。 ほら、爽太も、ちゃんと言いなさい。」 「お邪魔しまーす!!! ねーねー、先生、 今日はプリンがあるんだよー!」 「あ、これ、どうぞ。 甘いもの、大丈夫でしたか?」 「甘いもの好きですよ。 ここのプリン時々雑誌とかで見ます。 食べたことなかったんで、楽しみです。」 手渡した袋の中を見て先生が喜んでいる様子に ほっとした。 爽太と一緒に手洗いを済ませ、 リビングルームに行くと、 先生は爽太のために、 日中やっていた子供番組の録画をつけてくれていた。 「もう少しで出来るから、これ観て待っててね。」 「うん!」 「日向さんも、ゆっくりしていてくださいね。」 ソファーの前にあるローテーブルを見ると コースターに乗ったビールと 麦茶があった。 「お疲れのところ、 ご飯を作っていただいてるのに こんな気まで使っていただかなくても・・・。 僕も何かお手伝いさせてください。」 「そうですか。 では、後は卵を作って乗せていくだけなんで 作り終わったものからテーブルに運んでいただけますか?」 「はい。 卵、作っているところ拝見してもいいですか?」 「え?あ、はい。いいですけど・・・」 「前に一度トライしたことがあったんですけど、 上手くできずで、 さっき爽太から先生から教えてもらえって言われて。」 僕が苦笑いしながらそう伝えると 「そうでしたか。 チキンライスの方は後で簡単なレシピ送りますね。」 と嬉しそうに答えた。 キッチンスペースに入ると、 いい香りを放つチキンライスが中華鍋の上で 出来上がっていた。 「これだけでも美味しそうです。」 「今回も色々野菜入れておきましたよ。 玉ねぎ、ピーマン、人参、そしてマッシュルーム。」 「ありがとうございます。」 「それでは卵を作っていきましょうか。 爽太くんのは卵1つで作りますね。」 先生はまず皿にチキンライスを乗せ丸く整え、 その後、小さなボウルに卵を一つ割り、 塩胡椒を加え溶いた。 熱した小ぶりのフライパンにバターを入れ、 いい感じに溶けたところで、 その卵液を一気に流し込み、フライパン全体に広げた。 クルクルと菜箸をうまく使い、 固まりはじめた縁の方の卵を真ん中に集め、 同時にフライパンを動かしながら まだ生状態の卵を外側に回した。 長細い指を 魔法のように器用に動かす様子は 正直、見惚れてしまう。 その指でこの間僕は・・・ って、こんな時に 何イヤらしいことを考えているんだ! そんな雑念で悶悶している間に、 先生は卵を 上の部分は半熟状態、 そして下の部分はフライパンを揺らすと 動くくらいまで固まった状態で、 フライパンから外し ひっくり返さずにそのままチキンライスの上に乗せた。 レストランさながらの ふわっふわでトロットロのオムライスの完成だ。 大人の分も卵2つずつを使い 作り終えると、 「爽太くん、できたよー!」 と先生は爽太に声をかけた。 爽太がソファーからダイニングテーブルに来ると 先生は冷蔵庫からケチャップを取り出し、 爽太のオムライスに 『そうた』と 器用に書いた。 「こういうのを子供に書いてあげてるの、 なんかいいなーって思ってたんですよね。」 こんな些細なことを まるでとても大事なことのように 一つ一つ噛み締める先生を 微笑ましく思わずにはいられない。 「日向さんのも書いていいですか?」 「あ、はい。」 『あきら』 先生に、一度も呼ばれたことのない下の名前。 一回教えたのは覚えているけど・・・ 覚えていたんだな。 ・・・なんだか照れ臭い。 「パパのは、あきらって書いてあるね!」 「へぇ〜、爽太くん、平仮名読めるんだね!?」 「うん!カタカナはちょっとだけだけどね。」 「じゃ、先生のオムライスに書いてみる?」 「うん!」 そう言うと爽太は 『せんせ』 と大きく書いた。 「上手だね。 本当は最後に 『い』が必要なんだけど、 書くスペースがないから これでいっか。」 先生は嬉しそうに スマホでそのオムライスの写真を撮り 「これ壁紙にしようかな〜」 と締まりのない顔をし 撮ったものを爽太に見せた。 僕も爽太もいつものように 美味しい手作り料理をペロリと完食し、 みんなで食後のプリンを口にした。 「すごく濃厚ですね。 プリンって色々な種類ありますけど、 こんな風に卵丸ごとって感じの、俺好きです。」 「また買ってきますね。 爽太も大好きで。」 「じゃ、今度は卵料理じゃない料理にしないと。 栄養が偏っちゃう。」 そう言われ、 帰り道に話していたことを 思い出した僕と爽太は 顔を見合わせて、声を出して笑った。 「え?なんですか?」 「いや、こっちの話です。」 「えー。気になります。 爽太くん、なになにぃ〜???」 たくさん笑いながらプリンを食べた後、 爽太にはまたアニメを見せ 僕たちは片付けをした。 「今日のご飯もとても美味しかったです。 ごちそうさまでした。」 「喜んでいただけて何よりです。」 「お仕事はどうでしたか?」 「相変わらず忙しかったです。そちらはどうでしたか?」 先生が皿を洗う係、 僕が皿を拭く係。 他愛のない話をしながら こうやって並んで作業をしていると、 こういう生活が 日常になることもありなのかな ・・・なんて思ってしまう。 でも正直 そんなことよりも さっきから ちょこちょこ当たる肩や腕に 僕は内心とてもドキドキしている。 告白された時に、 僕が返事をするまで触れない、 と言われて、 僕の方がこんなに意識してしまうなんて・・・。 先生の方はとても余裕そうで、 なんだかもどかしい。 先生の家から帰り、 眠そうな爽太と さっとシャワーを浴び 寝かしつけた。 僕も寝ようと 自分のベッドに入ると ヒヤっとしたシーツの冷たさで、 たいしてシャワーで温まってもいないのに 自分の体が火照っていることに気付く。 いや、嘘。 本当は、 先生の家にいた時から 自分の内側から湧き出る熱に気付いていた。 僕は性に対しては 淡白な方だと思っていたけれど ここ最近はなんだかおかしい・・・。 何度も交わした激しいキスと優しいキス。 体の所々に触れる少し荒れた指先。 僕をまっすぐに見つめる、 獣が欲情したような強い眼差し。 二日前のことを改めて思い返すと 勃ちかけていたものは 一瞬で直立した。 僕はそっと右手でソレを握り 上下にゆっくりと扱いた。 混じり合う唾液で濡れた唇。 首元から香る柑橘系のアロマに 重なる男らしいフェロモン。 耳元で囁く低い声。 その全てを 五感が・・・ 覚えている。 自分の手だけじゃ、足りない。 触れられたい・・・ 触れたい・・・ 触れ合いたい・・・。 「・・・アァッ・・・先生・・・」 僕は、無意識にそう発しながら 絞り出すようにオーガズムに達した。

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