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第10章:日向彰良 〜返事〜

面会時間の午後8時ギリギリまで爽太と過ごし、 その後病院の夜間出入り口から外に出ると、 黒いコートに、 チェックのマフラーを巻いた 先生が、白い息を吐きながら スマホを眺め立っていた。 僕は、 母が日中家から持ってきてくれたトレーナーに、 スーツ用のコートを羽織り、 紳士靴を履いていて、 なんともアンバランスな格好。 先生は近く僕の足跡に気付くと 「日向さん。」 と、角の上がった口元で僕を呼んだ。 「お疲れ様です。 お待たせしてすみません。」 「日向さんも付き添いお疲れ様です。 本当は夜勤で 俺がこのまま爽太君を診てあげられたらよかったんですけど。」 「いいえ。」 「では、帰りましょうか。」 「はい。」 病院は駅からほんの数分のところにあり とてもアクセスがよい。 僕たちの家は ここから3駅先にある。 週末ラッシュの満員電車に乗り込むと 次から次へと入ってくる人に押され、 僕たちは互いに顔を合わせる体勢で、くっついた。 同じ背丈なせいもあり あまりにも先生との顔の距離が近くなり 僕はなんだか緊張してしまい、 足のバランスが崩れてしまった。 ちょうどその時電車が発進し、 後ろに倒れるわけにもいかず前に寄りかかると、 先生は 片腕で支えてくれた。 「大丈夫ですか?」 「はい。」 「僕の腕でも掴んでてください。」 僕は体勢を戻すと、 先生の言う通りにギュッと 先生の腕を掴んだ。 すると、 「ホモかよ。」 と治安の悪い声が僕が立っている真横の座席からした。 その後ケラケラと周りの笑い声が続く。 僕は思わず手を離し、 コートのポケットの中にいれた。 先生は聞こえていたか分からないが、 僕がいきなり手を離したので、 「また転けないでくださいね。」 と呆れた顔で笑っていた。 電車から降り、 僕たちは駅から家までの数分間を 静かに歩いた。 通り過ぎる人たちは 僕たちを どう見ているのだろう、と 今まで気にならなかったことが 気になりだす。 そんな僕の様子に先生は気づいていた。 「電車の中から 気分が悪そうですね。」 「あ・・・ん・・・ あの・・・家に帰ってから 少し話せますか?」 僕が喉をつまらせながらそう言うと、 「分かりました。」 と真剣な口調で先生は答えた。 マンションについて 先生は自分の家に僕を招き入れてくれた。 「どうぞ」 先生は靴を脱ぎ 玄関スペースから一段上がると、 僕も家の中へ入るように言ってくれたが、 僕は靴のまま玄関で、 「いえ、ここで大丈夫です。」 と告げた。 僕はとても張り詰めた気持ちだった。 自分がこれから 言うこと、 それは、多かれ少なかれ 目の前の優しい先生を 傷つけてしまう。 先生は全てを判ったような顔で、 僕が喋り始めるのを じっと待っていてくれた。 「先生からずっと待っていただいた返事なのですが、、、。」 「はい。」 「先生は、ストレートな僕からみても とても魅力的な人です。 容姿がいいのはもちろんのこと、 料理もできて、子供の扱いも上手で、 医者としての姿も今日じっくり拝見し 本当に素敵だな・・・っと思いました。 そして、それだけではなく、僕にとっては何よりも、 先生と一緒にいるととても居心地がよくて・・・。」 「・・・はい。」 先生は僕が話している間、 僕の目をずっとまっすぐ見ていた。 「だけどそれと同時に そう感じるのは、 それは先生が頼もしくて 僕が家のことなど上手くできない人間で 尚且つ寂しいからなのかな ・・・と思う時もあったりして。」 「それは・・・俺だって一緒です。 自分の欠けたところを 相手に求めるのは 普通のことではないでしょうか・・・。」 「そうかもしれません。 多分、もしも自分だけなら、 セクシャリティを超えてでも 先生とお付き合いをしてみたいって 思ったかもしれません。」 「・・・」 「だけど、爽太が・・・」 ここで爽太を出すことは ずるいことだと思いつつ、 結局僕にとって、 一番の理由はそこにある気がして、 そこを避けるのは違う気がした。 「そうですね。爽太君・・・」 「・・・爽太も先生のことをすごく慕っていて 先生のことが好きなんだなということは もちろん僕も承知ですが・・・ ずっとこのままでいられるのかな・・・と考えてしまって。 もし僕たちが恋人同士になって、 今はいいですが、 その意味を後々爽太が知って・・・ それは爽太には・・・悪影響なのではないか・・・とか。」 「・・・そうですか。」 「・・・けして、同性愛が悪いことだとは 言っているわけではなくて。」 「はい。」 「ただ、僕には 堂々と爽太に言える覚悟が ないのかもしれません・・・。」 「いずれ、電車の中であったようなことが、 爽太君の前でも起きるかもしれませんしね。」 「先生も聞こえて・・・」 「もちろんです。 僕はもうそのようなことに対し 敏感になったりしませんが、 何も考えず発言する輩はどこにでもいます。 本当にそう思っていなくても ただ自分たちの笑いのネタになればと、 他人を傷つけるかもしれない言葉を 口走ったり。 日向さんは、元々そうではないのに、 そう言われて、 とても嫌な気持ちになったでしょう。」 「嫌な気持ちというか・・・ 僕たちの関係が・・・他人にそう見えるのかと思って・・・」 「腕を掴んだくらいで さすがにないと思いますけれど、」 「でも、もしかしたら表情とかで・・・」 臆病者の僕に先生は しょうがないな、というような顔で笑った。 「ここ数週間、 とても楽しい時間を過ごしてきたので、 あわよくば、なんて思ったりもしましたが・・・ そのせいで、 日向さんを余計迷わせていたのかもしれませんね。」 「・・・」 「まあ、日向さんは、もともとストレートなんですし、 これから素敵な女性にも巡り会えて、 爽太君に新しいお母さんを作ってあげることも可能でしょう。 きっと日向さんにとっても 爽太君にとっても、 それに越したことは ないと思います。」 先生は、 なかなか直接的に言えない僕に気を使って 自ら身を引くような言い方をした。 だけど、 「・・・と、分かってはいるんですが、 受け入れるのは、 なかなか難しいですね。」 と言った声は少し震えていて、 そこに先生の本音が見えて、 僕の胸は苦しくなった。 「これからは隣人として、 仲良くしていきましょう。 たまには一緒にご飯を食べてくださいね。」 心には もやもやとした気持ちがあって なんだか涙が出てきそうになったけれど、 僕はそれを必死に堪えて、 「ありがとうございます。」 と言い、頭を下げ、先生の家を出た。

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