「なるほど、そういう事があったのか……」 ピークを過ぎ、人も少なくなりつつある食堂。その一角で、ヴィクター達は仕事を終え合流したユージンとテーブルを囲んでいた。 ギルバートとセオドアも、各々に頼んだ料理をヴィクターとこまごま分け合いながらつつく。 「あいつも悪い奴じゃない。ゆっくり自分と向き合えば良いのさ」 例の給仕とは付き合いのあるらしいユージンは、少し困ったように笑いながらも、彼の主張を尊重するようだった。 「さて、ヴィクターくん」 　ユージンは何か考えがあるらしく、すっくと立ち上がり、その体躯で食卓に影を作る。 「時間も時間だし、食事は私と一緒に部屋でしようか」 　見上げるヴィクターの頬へ指を添え、優しい視線を送ると、弄ぶように銀の白髪を撫でた。ヴィクターはくすぐったそうに目を細める。 　誘いに従ってヴィクターが立ち上がると、自然な仕草で柔らかく腰を引き寄せられ、体の側面がぴたりと触れる形になった。驚きこそするが、ヴィクターも抵抗はしない。 　その一連の様子は、どう見ても初々しい教官と部下との関係、という趣ではなかった。 「あの……ユージンさん？」 おずおずとギルバートが手を挙げる。 「俺らが言えたことじゃないけど…ユージンさん、手出すのはやいっす……」 「言うな。それはもう怒られた」 「あぁ……、管区長様も大変ですねぇ」 何のことやら分からず首を傾げるヴィクターをよそに、ユージン達は食堂をあとにした。 　ユージンはヴィクターの手を引いて歩く。その行き先が先日訪れたユージンの私室でないことは、早い段階でヴィクターにも分かっていた。 「ユージン様。私室に向かわないのですか？」 「先に少しだけ。夜の訓練場も良いものだよ」 「夜の訓練……先ほどセオドアさんも言っていましたね」 『俺と一緒に夜の訓練、しないか？』 ユージンの頭にのみ、発言しているセオドアの顔と台詞までがはっきり想像できた。 「……多分それは、違うけどな」 　弟子のありきたりで野暮な誘い文句に師として苦笑しつつ、ユージンは無人の訓練場に足を踏み入れた。 　月の光を受けて白く浮き上がる壁は、昼とは異なる存在感を放っている。ヴィクターが異様な雰囲気に息を呑むうちに、ユージンは既に訓練用の剣を2人分、用意し始めていた。 「ここ…白馬騎士団は良くも悪くも奔放というか、平和ボケしているんだ。新人にこんなこと教えたらあいつ卒倒しそうだけど……」 　ユージンはヴィクターに剣と、布のようななにかを手渡した。 　テスト後のヴィクターと異なり、ユージンはいつもの礼服に剣を持ったのみという出立ちだが、手には赤い布が巻かれている。 　見様見真似でヴィクターも腕に布を巻きつけると、ユージンは頷いた。 「ま、いいや。ここにはなんというか、悪しき風習があってな。……行くぞ」 「えっ……、えぇ」 手合わせをする。その意図を汲み取り、戸惑いながらもヴィクターは構えた。 ♡ きん、と刀がかち合う音、それすら無く決着はついた。フェイントと当て身……否、限りなく優しく、ゆっくりと急所を押されたのみで、ヴィクターはいとも容易く組み伏せられてしまった。 馬乗りに体重をかけられて、身動きが取れない。 「朝のテストの結果も今伝えておこうか」 「君の素質は抜群だ。例を見ないくらいに。ただ、今から試合をすれば……多分、ギルバートあたりにも勝てないだろうな」 　それは、事実なのだろう。たった今見せられたあまりにも歴然とした実力差に、ヴィクターは無表情ながらまだ驚いている。 「ま、技術の問題さ。君は頑張り屋だからすぐに身につく。それは心配ない」 　話の間も、ヴィクターは密かに身体を起こそうと試みるが、何気なく押さえられている脚がぴくりとも動かない。 観念して上を見ると、ユージンの瞳に射すくめられた。 「で、悪習というのはね。決闘でどちらかがこのリボンを斬るか、奪うかすることなんだけど」 　ヴィクターが腕に巻いている布は、いつのまにかユージンの手にあった。攻防のうちに気付く間もなく抜き取られていたのだ。 「勝者には権利が手に入る」 ユージンの顔が近くへと寄ってくる。ユージンの気配が切り替わっている。 「け……権利とは、なんの」 ヴィクターがなんとか聞き返した時には、ユージンは首元まで寄ってきていた。 「相手を『好きにして良い』という権利さ」 「……っ、」 低い声がぞくぞくと腹に響き、ヴィクターは下肢が僅かに緊張するのを感じる。 　 　ヴィクターの顔をひとしきり満足げに見下ろしてから、ユージンはぱっ、と顔を上げた。 「ま、実質的にはそんな殺伐したものじゃなく、回りくどい夜の誘いというところだ。とにかく訓練好きと享楽家をごっちゃにしたのが多いところだからな」 　ユージンの気配はたちまち元に戻り、立ち上がって高そうな礼服の埃を払っている。 「色々遊びたいなら誘ってみるといい。悪い奴はいないよ。保証する」 「………はい……」 白馬騎士団の、その妙な習慣がヴィクターの運命を大きく左右することになるとは誰も知らぬまま、夜は深まっていく。 「あ、それから」 ユージンが思い出したように付け加えた。 「筆記はこれから……頑張ろうね」