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第13話 すこぶる良好

意識の外から、さらさらと風が吹き込む。 朝だ。目を開けるまでもなく、ヴィクターは実感した。 何百回と迎えた、いつもの朝だ。労働で使い切った身体が、睡眠で回復されている実感。すっきりと冴え渡る頭、血管を通して酸素を得ていく筋肉。 その全てとは裏腹に、理由もなく目覚めを拒みたくなるようなどこか重苦しい気分。それがヴィクターにとっての朝だった。 今に鳥が鳴く。朝日が昇る。そうなれば、否が応でも目を開かなければならない。畑仕事をし、親の使い走りをして、日暮れを迎えるだけの一日。 そんな現実から文字通り瞼を閉ざしたままにして、ヴィクターはしばし寝たふりをする。いつもと変わらない朝── 「おはよう」 しかし今日、ヴィクターの目を覚ましたのは、いつもと違う声だった。 目を開けると、筋骨の隆々とした男がヴィクターの肩を抱くようにして寝そべっている。 「ユージンさん……!」 思わぬ光景に流石のヴィクターも声が上擦った。 朝日に照らされて透き通るようなオレンジの瞳を見つめる。視線を上げたそのわずか先に、ユージンの顔がある。その首元に薄くあざのような痕跡をみとめて、混乱した頭も、少しずつ状況を思い出し始めたようだった。 「大丈夫?まだ眠いかな?」 「いえ……」 思い返してみれば、こんなシチュエーションも二回目だ。 「疲れは残ってない?」 その言葉で再び思い出す──昨夜の疲れは労働によるものではない。特訓によるものでもない。「決闘」と、「交合」だ。昨夜の熱が芯から蘇って顔が火照るのを感じだが、ぐっと表情を抑えて向き直る。 「平気です。体力は睡眠で回復しました」 気遣いに優しさを感じ、ヴィクターは一息に身体を起こした。肌着ひとつの身でも、しゃっきりと背の伸びた、いつもの寡黙な好青年である。 対して、ユージンの内心はもう少し深刻だった。 (さすがに、無理をさせすぎた……) ただでさえ友人に釘を刺されているのだ。 昨夜の行為に男として後悔はない。ないのだが、指導、私闘に色事のめくるめく夜通しフルコースが教官としていただけないのは確かだ。 特に身体は酷使させてしまった。 だからこそ体調を慮る言葉だったが、肝心のヴィクターはきょとんとしている。 が、しかし、本人の気が付かない不調にも気を配るのが上官の勤めだ。昨日あれだけ無理をして3.4時間程度の睡眠では、腰とか筋肉痛とか眠気とか腰とか、いろいろなものが残るに決まっている。 しかし、その懸念は大いに裏切られることとなった。 「!」 真上からの日にますます照り映える白い訓練場。 筋力強化のための全力疾走。その踏み出しは明らかに昨日までとは異なる。わかりやすく言えば、活力に満ち溢れていた。 兎のように──否、白馬のように力強くしなやかに、銀髪の青年は砂地を駆ける。 「びっくりしたよ。無理はしてない?」 「いえ、むしろ、こんなに力が漲っているのは初めてです」 ヴィクターは無表情ながらむん、と息を吐く。 「つまり……」 「すこぶる良好です」 恐るべき新人が来たものだ、とユージンは驚嘆を内心にだけ浮かべて笑った。 ♡ そんな二人の様子を、上層階のテラスから見下ろす影があった。一人はセオドア。一人はギルバート。その二人が礼服の男を囲むように立っている。 「あの子がヴィクターです。管区長様」 先のテストよりもキレの増した動きを見て、セオドアが驚嘆まじりに説明する。 「やっぱり団長、とんでもない子拾ってきたんじゃないかなぁ」 応じてギルバートもコメントを付け足した。 管区長、と呼ばれた男の顔つきは厳しい。生まれながらに刻まれていたとしか思えない深い眉間の皺が、東から刺す陽に照らされてさらに濃く映る。白馬騎士団管区長の権威を示す紋章は常に相手を圧倒し、目元の筋はいつも、彼の年齢を実際より10は高く見積もらせた。 「でもいい子ですよ」とギルバート。 「ああ、いい子だ」とセオドア。 入団以来の後輩である二人が自分の顔色を窺っているのに気付いて、管区長の男は訓練場へ向けていた鋭い視線を離した。 「そんな顔をするな。俺はハナから新入りを疑っているわけじゃない」 「それでは何故こんな覗きのような真似を?」 セオドアが問う。 途端に、セオドアはその質問を後悔した。管区長の目に、明らかな怒気が宿ったせいだ。 「俺はただ……」 地雷を踏んだ、藪蛇をつついた、いつものアレが来るぞ、と目をつぶってみてもさして意味はない。 「あの色狂いの馬鹿が馬鹿なことをしないかと心配しているだけだ!」 鋭い怒声。剣のひと払い。動きとしてはたったそれだけでも──部屋は明確な殺意に満ちていた。 「まあ管区長、おさえておさえて」 「どうどう」 「五月蝿いっ!お前らも同類だろうが!」 そんな変わり映えのしない光景を、ヴィクターはまだ知る由もない。 「……まあいい。明日からもう1人の新人が来るんだ。その新人とあの馬鹿に伝えておけ」 「はいはい分かりましたよ、管区長様」 そしてもう一つ、ヴィクターにとって思いもよらない波乱の幕開けが、すぐそこに迫っていた。

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