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第3話
「……何かご用で? 用があるならば、率直に。その前に、部屋に入る前にノックはマナーですよ。以後気をつけて下さい」
エプロン姿のまま、リリさんに聞いたメリさんがいる場所に炒飯を持って来れば、メリさんが不機嫌な顔でパソコンを睨みつけている。
本当、俺の方はチラリとも見ないな。
「あ。ごめんなさい。次からはちゃんとノックするね」
「そうして下さい。で、何用ですか? 食堂の仕事が終わりましたか?」
「うんん。まだだけど、メリさんご飯食べに来ないから持ってきた。良かったら食べてよ。皆んな、美味しいって言ってくれたから、味は大丈夫だと思う」
俺は笑ってメリさんの隣にお盆を置いた。
ま、わかってるんだけどね。
多分、俺はこの炒飯を夜に食べることになる事ぐらいは。
「要りません。食べません」
ほらー。
「うん。気が向いたらでいいよ。また回収に来るから、要らないならそのまま残しといて。じゃ、洗い物迄済ましたらお手伝いに来るんで、えっと、ご鞭撻のほどよろしくお願いしまーす」
俺は一人でベラベラとしゃべり、メリさんの反応も待たずに部屋を出ると、パタンと音を立ててドアを閉める。
待ってたら永久にあそこで足止めっしょ? これが正しいの。
第一、これは自己満だから。返事をもらえるって事自体が烏滸がましいしさ。
一緒の飯食ってくれれば嬉しいって俺の勝手。
メリさんが飯を食わなくても全然おかしくないし、寧ろ食う可能性はゼロだし、必要もゼロっしょ?
俺って言うよりも、人間嫌いそうだし。そんな奴の飯なんて食いたく無いのはわかる。
だから、無理意地はない。食べなくてもいい。ごめんなさいって、罪悪感を感じるのは押し付けた俺の方だけでいい。
「……仲良くなりたいわけじゃないしな」
ボソリと独り言を呟いて、俺は階段を降りていく。
仲良くなりたいわけじゃ無い。
そりゃ、なれれば良いとは思うけど。
けど、それを決めるのは俺じゃ無いし。
「美味しかったよ、ハチ君。腕を上げたね?」
「やったー! へへ。リリさんに料理教えてもらった日からほぼ毎日料理してたもんね」
「継続が力になっている証拠だよ。で、メリはどうだった?」
「んー。多分、食べないと思う」
「だろうね」
そう言って、リリさんは静かに笑った。
「美味しいのにね。メリは損をするタイプの子だから」
「いや、そこ迄は思わんけど……。けど、嫌いな人間から貰う飯は食べたく無い気持ちも俺はわかるよ。ヘムさんやリリさんは無さそうだけど」
「おや? 悪口かい?」
「違う違う。嫌うってか、嫌悪? 嫌悪って、弱者の特権でしょ? 強者には無い感覚じゃない?」
「か弱い女性を捕まえて強者とは、君もやるな。ま、確かに無いね。気に食わない奴はいるが、嫌悪を覚える奴は皆消えるからね。向こうも私を嫌悪するぐらいなら近づかないだろうし」
そう。
嫌いって、弱者の特権。と言うか、生きる術の一つなんだと思う。どうしようも出来ないからこそ、嫌うしかない。
自分の身を守るって言うの?
特に理由が無くても人を嫌うって、本能的な自己防衛なんじゃないかなって、俺は思うわけ。
でも、リリさんやヘムさんみたいに無茶苦茶に強い人達にはそんな防衛本能なんて要らんじゃん?
あるのは、不快感ぐらいの感覚でしょ。
「それにしても、それを分かっいてメリに飯を届けるなんて、君は些か意地悪だな」
「んー。自分でもそう思う。けど、意地悪でも嫌がらせでも無いけどね。ただの自己満。飯、良かったら食って欲しいなって言う自己満。そのチャンス逃すの、嫌だっただけだし」
別に意地悪でしたわけじゃない。
ただ、俺がチャンスを拾いに行っただけ。それを拾われるか拾われんか決めるのは、メリさんってわけ。
「ほう? 君、メリの事が好きなのかい? 意外だな」
「え? 好き? 俺、全然メリさんのこと知らんよ? あの影の世界であったのも少しだし、今日だってまだ全然喋っても無いじゃん」
「でも、チャンスを拾いに行ってるじゃ無いか。それは好意では?」
「好意ねぇ。よく、わかんないかな。でも、嫌いじゃ無いとは思うよ? けど、それだけ。あ、でも、尊敬はしてるかも。何だかんだで面倒見いいし、優しくはないかもしれんけど、酷くもないし。それにさ、リリさん思わん? メリさん、ピシってしてて大人な男でかっこよくない?」
俺はリリさんに指を差す。
好きとかはわからんけど、かっこいいよね。
近い将来俺もメリさんみたいにピシってしてる大人の男にはなりたいと思う。
「……君、わかってるじゃないか。そうだよ、メリは世界一いい男なのさ。よし、分かっている君の為に、お姉さんが洗い物を手伝ってあげよう」
「えー。俺の仕事だし、別にいいよ?」
「気分がいいんだ。やらせておくれよ」
そう言って、リリさんが優しく笑う。
あー。この笑顔は……。
「リリさんって、本当にメリさんが好きなんだね」
「ん? ……ああ、ヘムに聞いた?」
俺はリリさんの言葉に頷く。
聞いたのは確かだけど、本当に好きなんだと思ったのは今が最初だけどね?
「でも、それは間違いかな。好きじゃ無いよ」
「え? どう言うこと?」
「ふふ。愛してるって事さ。好きとはまた別物。私ね、産まれたばかりのメリを見て愛してしまったんだよ。だから邪魔な奴ら、メリの両親、一族、全員殺した。ヘムの用事もあったが、便乗してね。それぐらい、愛してるんだよ。全てが、欲しいんだよ。メリの全てが。好きなんて、生やさしい言葉で私のメリは語れない。メリは私の欲望全てなんだ」
全てを、殺した?
「……リリさん、それって……」
「はは。そうだな、私達は人間の倫理観なんて……」
「いや、そうじゃなくて。滅茶苦茶重いと思うから、メリさんには内緒にした方がいいと思うよ?」
「……ん?」
いや。ん? じゃなくて。
この人、ちょいちょい外れてるよなー。
メリさんの事、好きなんでしょ?
「愛してるから一族皆殺しって、された側からすると理由ちょっと重すぎだと思うんだよね。俺もヘムさんに良く人類滅ぼすとか言われてるけど、正直重いってか、嫌なんだよね。何で俺と人類関係あるん? って思う。好きなのは、俺とヘムさんだけの間の問題じゃん。他人引っ張り出すのは、正直卑怯だし、いい気分しないよ。殺したのは、リリさんの問題じゃん? そこにメルさんの名前出されても、メルさん嫌な気しかないと思う」
良くないよ。最強種のそう言う所。
「……あ、うん」
「好きとかもさー、赤ちゃんじゃわからんて。俺でも分からんし。好きって色々な表現あると思うけど、相手に伝わんなきゃ意味ないと思うんだよね」
「……君、突然凄い事言い出すな」
「そう? あ。ごめん。俺が口出す事じゃない事、言っちゃってるか。何か、偉そう何事言ったね。ごめんね、リリさん。今の忘れて。ちょっと最近似たような事ヘムさんに言われまくってるから、感情的になっちゃった」
人類滅ぼすとか。
やっぱり、リリさんとヘムさんって似てんだよね。
なんて言うか、根本的な考え? って奴が。
「あの馬鹿と似たような事してるって言葉が、一番失礼だから気にするな。それよりも思う事はないのかい?」
「え? 何かあったりする?」
別に何もないかな?
「普通、一族皆殺しとか聞いたら引かない?」
え? そこ?
「んー。そこは種族の違い? 俺、人間の常識もないけど、サキュバスや吸血鬼の種族の常識も知らんもん。それが普通って言われたら、そっかー。じゃん? 酷い、やめてあげてとか、おかしいでしょ? 殺された人達にも、リリさんやヘムさん達にも、可哀想って思う事自体、失礼な事になるんじゃないの?」
「間違ってはない、かな? 君を見てると、人間のあり方を考えさせられるね。面白いよ」
「褒めてんの? それ」
「褒めてるよ。けど、先程の助言はもう遅いかな? メリは知っているからね」
「引かれんかった?」
「特に。あの子はそんな事で顔色を変える子じゃないんだよ。君の言う通り、常識と言えば、常識の話になる。吸血鬼は別だが、人外で一族全て上級種族に滅ぼさせるなんて珍しくない事だしね。強い奴が正義の世界だから」
「じゃ、ヘムさんとリリさんは正義なん?」
「ま、そうなるね。殺されるか従うかの二択しかないし」
「それは……」
それは。
「リリさんとヘムがすごく面倒臭いね」
「……ん?」
いや、だってさ。
「正義が何か分かんないけど、二人が決めて事が全部になるの、めんどくない? なんか、ヘムさんが人間になりたいって気持ち分からんでもないよね。リリさんは人間になりたいとか思わんの?」
「君の発想には至りたいとは思うけどね。面白いなぁ。少し、人間が魅力的に感じてきたけど、人間にはなりたくないかな。私は、ヘムと状況も立場も違うし」
「違うん?」
同じじゃないの?
「私はあくまでもサキュバスだから。サキュバスは、吸血鬼と違って上位の種族じゃないんだよ。下級とまではいかなくても、精々中級。それ以上にはなれないからね。ヘムと求められる事も住む世界も、違うんだよ。ヘムはこの世界に飽きたと言っているけど、私はまだ遊び足りないのさ。それに、ヘムと違って私を殺せれる奴はそれなりには居るしね」
「リリさんは首切られたら死ぬ?」
「凄い質問だな。でも、死なないよ。そんな事では死なない。けど、体中の力が全て枯渇したら死ぬ。変な話、私はべらぼうな時間をかければ自殺が出来るんだ。ヘム以外の吸血鬼も時間を掛ければ死ぬ。けど、ヘムは出来ない。彼が化け物の中の化け物と呼ばれる由縁だね」
それは、ヘムさんも言ってたな。強すぎて、簡単には死ねないって。
それなのに、勝手に強いから正義になるんでしょ? 正義なんて、自分だけの矜恃じゃん。そんなん、他人に強要させられるなんて、息苦しいでしょ。
俺は、息苦しかった。神様の代わりで、俺が言った事、何でも信じようとする縋るおっさん達が怖くて、気持ち悪くて、嫌だった。
そんなもんさ、地獄じゃん。可哀想じゃん。辛いじゃん。
「……ヘムさん、早く人間になれるといいね」
「そうだな。私も、そう願っているよ」
そう言って、リリさんは何故だか少し寂しそうに笑った。
あ。やっぱり。
俺の夕ご飯は炒飯か。
「ラップして片付けたら直ぐ戻るね」
返事なし。
リムさんはまだこっちを見るつもりもないみたいだ。
仕事教える時間でもないから、仕方がないけど。
仕事はちゃんと教えてくれそうだし、ま、いいか。
俺は急いで食堂向かってラップをかけ冷蔵庫に仕舞うと、また急いでリムさんのいた部屋に向う。
「戻りましたー」
「貴方の使うパソコンはセットアップ済みです。必要なものも既にインストールしてありますので」
俺の方を見なくても、言葉は返してくれるみたい。
仕事については、やっぱり認識してくれそうなんかな。
「……はい」
しかし、セットアップ? インストール? 何それ。英語……?
わからん。
てか、パソコン、どれ?
わからん。
「……まず、僕の隣に座ってください」
「あ、はい」
立ちすくんでいると、メリさんが声を掛けてくれる。
はい以外、言ってもいいんかな?
「次に、机の上にある黒い四角い箱を上に上げるように開けてください」
「あ、これパソコンなんだ」
へー。パカって開くんだ。
「……はぁ。で、右上にある銀色の大きめなボタンを押下してください」
「おうか?」
「押してください」
「あ、はい」
おうかは押す。
次言われた時は覚えとこ。
「何か映ったよ」
「暫く待機」
「はーい」
何か、楽しいな。これ。
「待機している間に仕事内容を簡潔に説明します。貴方には、横に位置いてある紙に書かれた数字を打ち込んでもらいますが、数字は読めますか?」
「位? は、よくわかんないけど、数字だけなら」
「次に、文字は?」
「ひらがらとカタカナは大丈夫。漢字はあんま自信ない」
「それで結構。紙の右上に書かれてる漢字は読めますか?」
「えっと、てん、め?」
「店名。店の名前です。それは各店の売り上げが手書きで記載された売上表になっています。今から開くファイルにはそれと同じ形式で名前が書かれているので、各シートにその通りに打ち込んでください」
「……ごめん。全然分かんないけど」
「ごめんじゃなくて、すみません」
「す、すみません」
「今すぐに敬語は求めませんが、電話対応も覚えてもらうので言葉遣いには気を付けて。先程は簡潔な説明ですから全てを理解しなくていいですよ。まずは、やってみましょう。画面はつきましたか?」
「えっと、空が映ってます」
「よろしい。左の上から三番目のファイルをマウスでダブルクリック……」
「……すみません」
わかんないです。
「……これで右のボタンをカチャカチャ二回連続で押してください」
「これ? これでいいの?」
「これがマウス」
「マウス」
「そう。押して」
「なんか出てきた」
「ファイルが開いた」
「ファイルが開いた」
「数字を……、いや、少し待ってください」
そういうと、メルさんが俺の隣に立ってパソコンを触る。
「テンキー、あったほうがいいでしょう」
「天気?」
「数字を打ち込むキーボードです。ここに数字があるので、紙に載っている数字を打ち込んで」
「……有難う」
「お礼はいいので、間違えずに打ち込んでください。マスを移動したい場合は、この矢印を打ちたい場所に移動させてクリック、このマウスの左を押して。シートは下で移動できます。店名を自分で探して打ち込んでください」
「はい」
「出来そうですか?」
「多分。分かんないところあったら聞いていい?」
「手短になら。わからない要点を纏めてから口を開いて下さい」
「が、頑張ります」
要点を纏めるって何だ。
けど、まずはやってみんと分からんし。
「では、スタートして。今日中に、終わらせて下さいね」
「え? 一枚じゃないよ?」
「すぐ終わりますよ」
そう言うと、メリさんはさっさと自分の椅子に座って黙ってしまった。
おー、ドラーイ。
でも、オッケー、オッケー!
やるしかないってことでしょ。分かりやすくて助かる!
よし!
はじめてのバイトだし! 気合い入れてやろっ!
頑張るぞー!
男は一人、ビルとビルとの隙間に立っていた。
「……はぁ。楽して生きたいのに、中々上手くいかないよね」
黒い手袋にサングラスをした銀色の髪の男がポツリと呟く。
「チェスタロス卿も、もう少し頑張ってよ。まったく、これだから老人の世話は不毛だよ」
一人愚痴る男の足元には、干からびた人間。
男は口元についた血を腕で拭うと、携帯を取り出した。
そこには、くだんのメールが一件。
「生きるの面倒臭いけど、死ぬのはゴメンだし。早く何とかしなくっちゃね」
生きるのは、随分と面倒くさい。
血を吸わなきゃいけない事も、その為に家畜を手に入れる事も、狩も全て。
けど、死にたいわけじゃない。
血を吸わなければ、消えて無くなる。
家畜を狩らなければ、此方が狩られる。
ならば、するしかないだろう。
死なない為に。
しかし、王に相応しい者が王であるべき場所に収まれば。
楽な位置は必ず出来る。
ロザン・ヴォルグはそれが欲しい。
銀色の長い髪をくるくると指に絡ませながら、ロザンは狭い晴れ渡る空を見る。
「本当、邪魔しかしないよね。ヘムロックは。王ならメイディリアが一番適切でしょ?」
メイディリア。
ロザンのたった一人の、友達だった男。
「メイディリアに、会いたいなー」
けど、きっと。
メイディリアは俺の事を何一つ覚えてないんだろうな。
懐かしい記憶の奥底に、金色の髪をはためかせ笑う彼の姿が蘇る。
彼は、王に相応しい。
血筋も、品格も、強さも、全てが。丁度いい。
でも、今も彼が何処で生きているかは誰も知らない。
あの暴君に攫われた後の彼の行く末を気に出来るほど、彼らの余力はなかったのだから。
「メリがいたら、楽しかったのに」
きっと、あの小生意気な態度で当たり前に、俺に命令しておきながら、動かない俺を可哀想だと勝手に思い、アレやこれやとやってくれる。
「はぁ。でも、ま、打つ手がないわけじゃないしね。こっちも」
ロザンの携帯の画面に写っているのは、ヘムと歩くハチの姿。
「ハチくん、だっけ? 彼は、簡単かな?」
簡単だといいな。
面倒くさいのは、嫌いなんだ。
そう言って、楽しそうにロザンが笑う。
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