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第5話
「……貴方と話してると、人間かどうか疑いたくなる。 考え方が尋常じゃない」
「え? ジンジャー?」
何て?
俺が聞き返すと、メリさんが一気に諦めた顔になった。
あ、うん。多分聞き間違いだな、これ。
「尋常。普通って意味です」
ふむふむ。
そう言う意味ね。聞いた事、ある気もする。
て、事は?
「尋常じゃないってとは、普通じゃないって事?」
「少なくとも。僕の目には普通には映らないですね。僕に嫌われて嬉しいですか? 吸血鬼は嫌い? なら、何故あの男と一緒に?」
「……メルさん」
「何ですか?」
「嫌いな人にそんな質問するの、良くないよ?」
俺は首を横に傾ける。
良くないよ。良くないよ。質問って、良くないよ。無駄に距離を縮めて、尚且つ自分の領域に相手を招き入れる事になっちゃうからね。
それを嫌ってる相手になんかしちゃダメ。
しかも、人間って言う分類で嫌ってるんなら尚更。
メルさん、なんか子供みたいなんだよな。
いや、カッコいい大人の男だと思うよ。
見た目は勿論パリってしててシュッてしててカッコいいし。
仕事バリバリしてて、俺なんかに常識なんて説いて。ついでに説明すらも惜しみなくしてくれる。
でも、根本が優しいって言うか、子供って感じ。
良識と常識に囚われてるって言うの? 良くわからんけど。
こんなん、心配になっちゃうよ。
「……は?」
「メリさんは人間嫌いでしょ? 俺は人間だよ。だから、メリさんは俺が嫌い。俺個人とかじゃなくて、そんな感じだと思ってた」
「……はぁ。勝手に分析ですか? 馬鹿なくせに」
「馬鹿でも想像力がある馬鹿もいるんだって。ま、被害妄想みたいになる馬鹿多いけどね」
「貴方も?」
「まー、馬鹿だから。それは否定しんね。だから、質問やめた方がいいよ。嫌いな人間に対してさ」
「何が仰られたいんですか?」
「質問ってさ、相手を理解する為にするもんじゃん。何でこんな事やったの? あれしたのって。それ、相手に興味があるって事が前提になっちゃってるわけ。相手によっては自分の事を話したがるから泥沼化するよ? 自分に興味があるのかって思われちゃって」
無駄な質問は良くない。
嫌と言うほど、座敷牢の前に座る信者達から教えてもらった事。
「そんな質問した所でさ、もしメリさんが納得出来る答えを貰っても、困るでしょ? 質問の答えに感化されて変な情なんか芽生えちゃって見てよ。地獄地獄。興味がない、嫌いでいたい人には近づいちゃ駄目。少なくとも、本当に興味を持ってる状態迄いかなきゃ。物理的な距離はさ、仕事なら仕方がないけど。今の場所に立ってる事で意味があんならさ、自分たちの立ち位置と心理的な距離は絶対ダメだって」
俺はあるよ。
地獄を見たこと。
不必要に自分から距離を詰めて。情が芽生えて。感化されて。歩み寄ろうとして。地獄に落ちる。
碌でもない結果に吐きそうになった事。
「俺は思うんだよね。メリさん常識ある良い人だから、嫌な目に出来るだけ合って欲しくないって」
嫌いなら、嫌いのままでいい。
好きになる必要もない。
嫌いのままで関係が保てるならそれが一番良い。
だから、その距離感が保てる領域から自分は一歩も出てはいけない。
「……わかりかねます」
「え? 何で?」
「貴方も嫌いな相手にそこまで助言しているのでは? それは矛盾ですよ」
「あー……。だから、良くないんだよ。その答え、良くない答えしかないから」
「良くないかは僕が決めます」
「……メリさん、結構頑固だな。そうだね。さっきの答えだけどさ、俺別に吸血鬼嫌いじゃないよ。メルさんの事と嫌いじゃない」
「は?」
あ、マジでこいつ意味わからんって顔してる。
気持ちはわかるよ。自分の事嫌ってる人間、嫌いにならん奴は頭おかしいからね。
俺もそう思う。
てか、思ってた。
けどさ、それって結局自分の都合のいい妄想でしかないんだよね。
「別に、メリさん俺の敵じゃないしさ、俺殺そうともしてないし、そんな相手に対して嫌いになる事ある? そもそもそこまで感情追いつけんでしょ?」
結局はさ、ひどい話だけど。嫌いに成る程相手を見てないんだよ。
俺の時は、俺ではなくて俺を通した神の受け皿しかみんな見てなかった。神の受け皿が嫌いになれよって、物が何言ってんのって感じだよね。
だからさ。
俺も、メリさんに同じ事思ってるんだよね。
失礼だとは思うけど、俺はそれ以上の事を知らんし、知る術を知らないし、知ろうとも思わない。
メリさんは吸血鬼。俺とは違う種族に生きてる。それだけの情報で好き嫌いが出来るほど、俺は吸血鬼なんて知らんし、ヘムさん以外にはそれ程興味がない。
ただ、それだけの事。
俺がメリさんを見ると、メリさんの眉間にこれ以上無いぐらい皺が寄っている。
あー。訳分からん生物が話してると思ってる顔だ、これ。
「メリさんは俺の事嫌いだと思ってるのは知ってるけど、それだけで嫌ったり出来んて」
「理解に苦しみますね。僕は貴方を簡単に殺せる吸血鬼なんですよ?」
あー。
そうね。
吸血鬼にそういや殺されかけたな。
「メリさんにとっては、俺みたいな雑魚瞬殺っしょ?」
「勿論。今すぐにでも首と胴を切り離してあげれますよ」
「だからじゃない?」
俺は笑いながらサンドイッチを口に運ぶ。
卵、美味いな。
「は?」
「今すぐ殺せる奴が俺の事殺そうとしないって、嫌いにならん理由として十分じゃね? 俺、あのおっさん以外にもヘムさんにも殺されそうになったからね。殺されそうになる絶望も不安も知ってるよ。だから、それを与えないのは優しさだと思うよ」
「……は? あの人に殺されかけたんですか!?」
え。メリさんめっちゃ声出るやん……。
そんな驚くほどの事かな?
「いや、吸血鬼と人間だよ? そりゃ、狩られる側なんだし殺されかけるよね。出会い頭に楽にしてあげるねって言われたんだよ。あ、俺死ぬんだなって思うよねー。ま、実際ヘムさん殺す気満々だったと思うし」
「何で生きてるんですか!?」
「犬になったから。ヘムさんが犬としてなら生きてもいいよ感出してきたし、俺殺されたくなかったし。それぐらいなら地べたで飯食っても生きよって思って」
結局、掃除を理由に床で飯食った事なかったけど。
「……死んだ方がマシだ。そんな事……」
「あはは。ヘムさんも似たような事言ってたけどさ、それは人それぞれっしょ? 俺は俺のやりたい事やって死にたかったし、殺されるとか痛い死に方絶対やだったし。それぐらいなら犬としてワンワン言ってた方が良くね? って思ってさ」
舌を引き抜かれるより、口の中に突っ込まれた汚い指を懇切丁寧にしゃぶった方がマシだと思って生きてたか、生きてないか。それぐらい些細な違いっしょ。
そんなもんさ。俺の価値観なんて。
「理解できなくて良いんだよ。可哀想って思ったら、終わりだもん」
「……理解しかねる」
「あはは」
それでいいよ。その距離感で、居ていいんだよ。
「起きてください」
「ふぇっ。あれ? 寝てた?」
お腹が膨れて寝てたら、メルさんに揺り起こされる。
「リリさん戻ってくる時間?」
「いえ。僕はタバコを吸いに外に出るので、起きて下さい」
「あ、はい」
「大人しくしてて下さいね」
「んー……」
まだ眠いし。
「……はぁ。では、行ってきます」
「あーい……」
今、何時だろ?
てか、メリさんタバコ吸うんだ。
俺と一緒の時、全然吸ってなかったのに。
「大人だなぁ……」
ぼんやりと、携帯で電話しながらタバコを吸うメルさんを窓から見ながら呟く。
ヘムさんも大人だけどさ。
そういえばヘムさん、どうしてるんだろ?
まだ半日。会ってないだけで随分と、何か、足りないなぁ……。
『で、ハチどうなん?』
「だから、元気ですよ」
『元気なのは前提ですよ。俺はね、様子を聞いてんの。わかる?』
母国語で捲し立てるように電話越しの相手が騒ぐ。
「だから、元気です。変わりないです。半日しか経ってません」
『メイディリアはぁー、わかんない? 恋人と半日も会ってないハチの心細さとかわかんないの? 俺と一緒に居ないとか、ハチの寂しさとかさぁ! 俺はそれを聞いてんのっ!』
「だから、元気だと言ってるでしょ? それ以上に何を言えと?」
面倒臭い相手の電話にイラつきながらメイディリアはタバコを吸い込む。
折角、持ってきた仕事がひと段落したのに新たな地獄が此処で始まるのか。
電話なんて取らなきゃ良かった。
「それに、僕は人間なんかに興味がないので。知りたくもない」
嫌いなのだ。
自分の種族の下にいる全ての生き物は家畜。
家畜が何を間違って自分に話しかけているのか。何を思い上がっていると言うのか。
吸血鬼は誇り高き高種族。
サキュバスだって人間だって、吸血鬼には頭を下げ、蹲り、怯えなければならない。
『はっはー! そんな事言ってると、友達出来んよー?』
「貴方に言われたくありません」
『俺は友達いるって言ってんだろ? それに、さ。俺は友達なんてクソ要らんけど、メイディリアちゃんには必要なんじゃない?』
「……は?」
この人と話していると、うんざりする。
同じ種族で、同じ血も流れていると言うのに。
何一つ理解できない。
全てを超越する立場にいながら、全てを見下ろす場所にいながら、まるで肩を抱く様に話しかけてくるその様が大嫌いだ。
『だって、メイディリアちゃんハチよりも弱いじゃん?』
腹が立つ。
血を分けた同族よりも、愛玩動物の肩を持つ事も。
その存在自体が最早自分にとっての悪なのだ。
「お言葉ですが、あんな子犬などすぐに殺せれますよ? 口の利き方を気をつけた方が良いのでは?」
僕はいつでも貴方のペットを殺せれる場所にいるんですよ?
『あはっ! やべぇ。めっちゃ笑かしてくんじゃん! おもしろー。でも、お前の脅しビックリするほど下手すぎて逆に萎えるな』
「は?」
『俺のハチはね、そんな事で怯えんよ? 首に手を掛けても、真っ直ぐにこっちを見つめて、中指立てれる子だからね。お前とは違うんだよ。そんな事より、写真とか送ってよ! 何の為の携帯だよ! そんな事の為にパパはお前に携帯料金渡してるわけじゃないよ!?』
「パパとか言うの、やめて下さい。気持ち悪いです」
『育ての親にそんなこと言う?』
「貴方に育てて貰った記憶はないので」
『そんなこと言うなよ。みっちり教え込んだだろ? お前が出来ることは俺がみっちりときっちりと、さ?』
「……覚えてませんね」
『そう言うのを恩を仇で返すって言うんですよ? ま、いいや。写真送れよ。マジで。お願いだから。お願いします』
「……はぁ。善処しかませんよ」
『善処してくれるならいいじゃん。よろー!』
そう言って、電話が一方的に切られた。
「はぁ……」
勝手な人だ。
何から何まで。
「タバコが不味くなった……」
最悪な気分だ。
酷く汚された気分だ。あの人に酷く抱かれた後みたいに。
「……クソっ」
自分だって、吸血鬼だ。
あの誇り高き吸血鬼の名家、ヴィステール家の嫡男だぞ?
なのに、あの人間の少年よりも弱いと?
簡単に殺せれる。力なんて使わずに、手の力のみで、殺せれる。それぐらいの価値しかないあの猿に?
有り得ない。
酷い辱めを受けた。
まさに酷く屈辱的な……。
「メリさん、大丈夫?」
その時だ。後ろから声がする。
「気持ち悪い? コーヒーしかないけど、飲んだ方がいいよ?」
いつでも殺せれる人間がいる。
「っ」
お前のせいで!
お前のせいで僕は酷く辱められたっ! その原因がっ!
メイディリアは衝動のままに、ハチの首に手を伸ばす。
殺しても、仕方がない。だって、ハチは人間なのだから。自分よりも弱い、劣った種族。餌でしかない家畜。
そのまま首を折っても……。
「折ってもいいけど、その前にコーヒー飲みなよ。辛そうな顔してる。何があったん?」
彼は、顔色一つ変えずにメイディリアにコーヒーを差し出した。
「飲んで。あと、此処で殺すのやめときなよ。せめて、裏路地か車に戻ってからじゃないとメリさんめんどいよ」
自分が死ぬ事を理解しているのに、彼は何一つ変わらない。
真っ直ぐな目で、メイディリアを見つめる。
家畜の癖に。家畜である事を理解している癖に。
「……車に、戻りますよ」
そう言うのが精一杯だった。
あの男が言う様に、彼は真っ直ぐな目で自分を見つめる。殺そうとしても。
それが酷く煩わしさに感じてしまう自分に、ただただたじろぐ事しか出来ない。
「ん。ちょっとフラフラしてるじゃん。俺の肩掴む?」
「要りません。怒りで頭が沸騰しているだけです」
「え? 怒ってんの? 何で? 俺なんかした?」
「……貴方にじゃない。一方的に屈辱を受けただけです」
「はぁー!? 相手最悪最低じゃん!」
所詮は人間。強き者に尻尾を振るしか脳が無い。
自分にはヘムロックがいる。それだけが盾の人間だ。
「相手は、ヘムロックですよ? 」
どうせ、こいつも……。
「はぁー!? ヘムさん最悪だな。いや、元々最低でもあるしな……。あの人、無神経な所あるから、気にしない方がいいよ。気分で生きれて、気分で話す人の言葉なんてそんなもんでしょ? 話半分の方がいいよ」
ハチの言葉に、メイディリアは目を見開いた。
いや、でも。
自分が近くにいるから、自分の肩を持っているだけかもしれない。
人間は弱い。
人間でなくても、弱い。
誰だって、強者に付き従い、ついていく。
誰だってそうだ。子供の自分を、誰も守ってくれなかった様に。
味方なんて居るわけがない。
味方なんて、強さにひれ伏す言い訳だ。
「……あの人に、そのまま伝えますよ?」
「え? いいよ? そもそもそんな事聞かんでもよくない? 何なら中指立てた写真送る? 知ってる? 俺、あのヘムロックにお前が死ねって言った多分初めての人類なんだよ? 知らんけど、多分そう!」
そう言って、ハチが笑った。
「……名案ですね」
そんなもの、幻想に過ぎないのに。
「あ、メリさん笑った!?」
「笑ってません。でも、写真は撮ります。要求されたので」
「舌出す!? 変顔する!?」
「任せます。最高にクソなのでぶちかまして下さいよ」
「おっけー! 任せといてよ!」
でも、何故だか。
その言葉に胸糞は悪くなかったな。
「てか、そんな事でメリさんに電話してたん? ヘムさん暇なん?」
「暇なんじゃないですか? 知りたくもないですが」
「メリさんも大変だね。早く車戻ろっか」
「ええ。まあ……。ハチ様、止まって下さい」
「ん? 何?」
メリがハチの腕を掴む。
「……最近、多いですね」
「え? 何? 何かいた?」
「マトリ」
「麻取? テレビで良くやる警察の?」
「違います。大麻の麻ではなく、悪魔の魔。悪魔祓いの連中ですよ」
謂わば、退魔師だ。
「そんなんいるん!? え? 何処?」
「静かに。余り僕としては鉢合わせはしたくないです。少し止まって様子を見ます」
黒いスーツのどこにでもいそうな男組二人を睨みながら、メイディリアが目を細める。
魔取には、独特な匂いがする。魔を封じ込めて殺す匂いが。カバンの中身も、大方それに属するものだろう。此処で騒いで目をつけられても顔役のリリが不在の今は面倒が過ぎる。
あの男が階級が高ければ、バレる危険はあるが……。
様子を伺っていると、一人の男がこちらを見ている。
不味いか?
「……メルさん、携帯貸して」
「は?」
何でだといかける前にハチがメイディリアの携帯を奪ってカメラを起動させる。
「一緒に撮ろっ?」
そう言って、ハチが写真を撮り始めた。
「俺、東京初めてだから色々撮りたかっただよね! メリさん連れてきて来れてありがとね!」
「あ、いえ、僕は……」
「ほら、写真送るんでしょ?」
「……貴方……」
「メリさん、多分気づいてると思うけど、一人ずっとこっち見てる奴いる。俺普通の人間だから、俺が一人目立ってたら大丈夫の筈」
携帯をこちらに向けながら、ハチが小声でメリに囁いた。
「突っ立てるだけだと、余計怪しいから。合わせて」
そう言い終わると、ハチはメリから離れてポーズを取った。
「ほらほら! 撮って撮って!」
一体何だと言うのだ。この子供は。
けど。今だけは彼を信じる事しかメイディリアには出来なかった。
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