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第8話

「……死んでいますね」  ピクリとも動かない目の見開いたサキュバスを見ながら、メリさんはポツリと呟いた。 「……何で?」  サキュバスは、死なないんじゃないの?  血塗れで手足が引きちぎられたもう一人のサキュバスを抱きしめながら、俺は信じられない様に口を動かす。  何で?  何でこんな事に……?  だって、出掛けるまでは普通だったよ?  何も変わらなかったじゃん。  みんな笑顔で手を振って……。 「何で……」 「見た限りでは、ここで戦闘があったのでしょう。桃の姿がないな……」 「誰がこんな事をすんのっ!? 何で!?」  可笑しいだろ。  可笑しいじゃないか。  彼女達は、何もしてないじゃんっ! 「ハチ、くん……?」 「っ! ダリアさんっ!?」  俺の腕の中にいるサキュバス、ダリアさんが弱々しい声を出した。  でも、口から、血が溢れている。 「ダリアさんっ! 死なないでっ! ダリアさんっ!」 「あは……、ごめん、ね。ハチ、くん。おつ、かい、ちゃんと、出来な、くて……」  途切れ途切れになる言葉は、次第に音を失って行く。  こんな時に、何言ってんの?  そんな事、どうでもいいでしょ?  怒りにも似た悲しみが、どうしようもなく押し寄せてくる。  サキュバス達が倒れていた場所には、買い物袋に詰められていた物達が散乱していた。  俺が頼んだ食材も。  買ってきて、くれたんだね。  割れてない卵を見て、抱きしめる手に力が入る。  何も、何もない日常が。  急に音を立てて崩れて行く。 「……人間の仕業、か」 「人間?」 「どうやら、ここで人間達と戦闘があったようだ。残響が僅かだが残っている」 「何で!? どうして!?」 「わかりませんよ。ハチ様、そこを退いてください。ダリアはまだ生きてます。貴方は、リリ様に連絡を」  そう言って、メリさんは俺に携帯を差し出した。 「ダリアはリリ様のです。死なせは出来ませんから」 「……助かるの?」 「外傷だけの手当です。僕の血で手足を付けて血を止めます。力の補充は、リリ様しか出来ない。一刻を争いますよ、ハチ様」 「……わかったっ!」  俺は、メリさんから携帯を受け取り、リリさんに電話をかける。  何で。  どうして。  焦る気持ちが、発信音に溶けて行く。  事の起こりは、今から一時間前に遡る。 「行きますよ」  夕飯の用意が終わると、メリさんが待ち構えた様に食堂の扉の前に立っていた。 「お待たせー」 「ええ。本当にっ!」 「なんだ、遠足に行くみたいだな。お菓子でも持ってくか?」 「結構ですっ!」 「お菓子は現地調達するからいいよー」 「はは。今時の子供は強かだね。美人で優しいお姉さんがそんなハチ君に五百円をあげよう」 「わーい!」 「要りません。コンビニにも寄りません」 「コーヒー買ってあげるよ?」 「要りません」  おお。拒絶すご。 「おいおい、天下のヘムロック様の寵愛かコーヒー奢って貰えるなんて光栄を断るんです?」 「超愛……」  重そうな単語だな。 「要りませんし、遊びに行く訳じゃないので」 「はいはい。じゃ、二人とも気を付けてな」 「ん、言ってきまーす」 「行きますよ、ハチさん」  俺達は手を振ってリリさんと別れ、近所のスーパーに続く道を歩き出した。  まだ夕方が終わって間もないと言うのに、道には人で溢れかえっている。 「人間多いねー」 「まだ七時にもなってませんよ」 「帰る時間じゃないの?」 「人それぞですよ」  そう言いながら、メリさんは地面を睨みつけている。 「何してるの?」  そんなにじっと見るもんなん? 地面って。 「彼女達の残響を探しているんです」 「残響?」 「力の痕跡。あの三人は力が弱いですが、腐っても人外ですからね。人間の中から探すよりは有効です」 「吸血鬼ってそんな事も出来んの? 凄くない?」 「当たり前でしょう。上級種族ですよ」  ふんっと鼻で笑うけど、何処か誇らしげなメリさん。  吸血鬼大好きなんだなー。 「……スーパーに足取りは続いてますね」 「買い物した後に遊びに行ったってこと?」 「ええ。恐らく」 「ふーん」  結構な量があったと思うけど、嵩張らない?  てか、生ものもあったけど、いいのかな? あ。力って奴で冷凍とかにできるとか? いや、力送り続けたら新鮮のままとかそう言うのかも。  サキュバス便利だな。 「サキュバスは、コレだから……っ!」  本当、よくある事なんだろうな。  メリさんの怒り方が日常的なもんになってるし。  サキュバス、自由だよね。 「取り敢えず、スーパーまで行く?」 「……ええ。仕方がないですがね」 「おっけー」  俺達はスーパー迄行くと、やっぱりそこにも桃ちゃん達の姿はない。 「やっぱり、いないかー」 「一応、中も確認しますか」  ため息混じりにメリさんが言う。  外から見ても、スーパーには人で溢れかえっていた。  当たり前かもしれないけど、人ってこんなにいるんだな。  二人で一緒に入ると、大変かな。  メリさんデカいし、嵩張りそう。 「ん。俺、あっちから探すよ。メリさんはこっちら探して」 「……いいでしょう。僕は中で残響も見るので、一周したら外で待っててください」 「分かった」  俺達は二手に分かれて店内に入る。  外から見た通り、そう広くもなさそうな店内は人で溢れかえっていた。  走り回る子供に、じっくり商品を見る老人。話しながら買い物をする男女に、一人黙々と商品をカゴに入れる大人。  本当、色んな人がいるな。  テレビの中だけの話じゃないんだ。  そして、どんな過去があっても、俺が何も言わなきゃ、この中に人としていれるのか。  それはそれで……。  良い事なのだろうか? 「あれ?」 「あっ」  ウロウロと店内を見渡しながら歩いていると、はたっとサングラス越しの赤い目と視線があった。 「赤い目のお兄さんっ!」 「やあ。また会ったね」 「ねー。すげぇ偶然」  いつぞやのコンビニのコーヒーのお兄さんが手を広げて俺に話しかけてくる。  もう二度と会うこともないかなって思ってたのに。 「君も買い物?」 「あー。うんん。人探してるの。女の子三人で、一人ピンクの髪の色でツインテールなんだけど、知らない?」 「んー。見かけてないかな。迷子?」 「そんな感じー」 「そっか。大変だね、ハチ君も」 「探してるだけだし、大変じゃないよ?」 「早く、見つけれるといいね。全員」 「え? うん」  あれ?  何か……。 「じゃ、用事があるから、またね」 「あ、うん。バイバイ」  何か、変じゃなかった?  いや、でも、そんな事、ないのかな?  んー。気のせいか?  でも、さ。  なんかあのお兄さんと喋ってると、不思議と……。 「ハチ様、こんな所に居たんですか。外で待っていて下さいって言いましたよね?」  考え込んでいると、後ろからメリさんの声がする。  あ。  しまった。 「ごめんごめん。メリさんは残響みえた?」 「ええ。買い物を終えて、外に出た様です」 「じゃあ、本当にここで三人は買い物してたんだね」 「そうなりますね」 「何処に行ったかって分かるの?」 「それが……、残響が残ってないんですよ」 「え?」  俺たち二人は店から出ると、メリさんが顔を上げる。 「店内までの足取りは、残響で残っていたんですが、出口迄で残響が消えているんです」 「そんな事って、あり得るの?」 「出来なくもないですよ。ただ、する必要がない。何の為に自分たちの痕跡を消す必要があるのか」 「探してほしくない、とか?」 「それだったら、このスーパーに寄らずに店から出た瞬間に残響を消すべきです」 「あ、確かに」  そうだよな。わざわざスーパーに行って買い物する必要もないし、買い物したとしても、残響を消せるなら最初から消せば良い。 「……不味いですね」 「何が?」 「此処迄来ると、彼女達が何らかの問題に巻き込まれた可能性が浮上します」 「あ、うん」  そうだよね。  そうなるよね。 「最近、魔取がこの辺りを彷徨いている。何か大きな我々の問題が起きているかも……。大物が来ていたら、事です」 「ヘムさんとか?」 「あの人がサキュバス如きに興味が出るとは思えない。此方に戻ってきたら、間違いなくサキュバスではなく貴方の所に来るんじゃないですか?」 「あー……」  まー、そうかも。  行く時もごねてたし。 「でも、残響もないと、追えないよね? どうする?」 「そうですね……。ハチ様、少し場所を移動しましょう」 「あ、うん」  そう言って、メリさんに手を引っ張られて連れてこられたのは、ビルの間の細い裏路地。 「こんなとこ来て、どうするの?」 「少し人目に着くと厄介な力を使います。僕たち一族は、吸血鬼の中でも影を好む一族。吸血鬼はヘム様の様に血を操る能力に特化した一族と影を操る能力に特化した一族がいるんです。僕は後者」 「影? それで桃ちゃん達見つけられるの?」 「上手くいけば、ですね。僕の影を全て三千匹の蝙蝠に変えます。その三千匹で半径十五キロ以内で、彼女達の残響を探します」 「蝙蝠? その間、メリさんの影は無くなるの?」 「そう。影はない。同時に三千匹に意識を繋ぐので、少々時間が掛かります。その間、僕は通常よりも無防備ですので、貴方が守れない。その為、貴方と僕は今から影の中に入ります」  あー。あの、真っ黒な世界ね。 「あ、だから、人気のない場所?」 「そう事です。影に入る姿を見られるのは随分とタブーですからね」 「人間出来ないから」 「本当にセンスも才能もない猿以下だと思いますよ。では、始めますよ。僕に捕まって」 「わかった」  俺はメリさんの腰に抱きつく。これでいいのか? よく分からんけど。 「始めますっ!」  メリさんが叫ぶと、凄い風が吹き上がる。その風には、黒い色が付いていて、まるで影の嵐の様だ。  メリさんが手を叩くと、その影の風は次々と分裂し蝙蝠の姿に変わり空へ舞い上がっていく。  三千という数の蝙蝠が、夜空に羽ばたいた。  呆然のそれを見ていると、今度は俺の背が縮んでいく。  空との距離が、離れていく。  いや、違う。  縮んでなんかいない。足元の影に、埋もれていくんだ。  あの真っ黒な世界へと。  俺はメリさんに回した腕に力を入れる。  安全だと分かっていても、少し怖い。  あれは暗闇ではない。完全な、黒の世界。光なんて、何一つなかった世界に、また俺は沈むのだ。  あの殺されかけた悪夢が、頭をよぎらないわけがない。  きゅっと握り締める手に、冷たい手が覆い被さったのはその時だ。 「え?」  思わず、手の主の顔を見る。  相変わらず、俺の事は一瞬でも見ないけど……。 「大丈夫ですよ。僕の世界です」  そう低い声で力強く言われる安心感は、何よりも暖かくて、心地よかった。 「ヘムさんも、影って操られるの?」  真っ暗な世界は、やっぱりメリさんの世界でも黒しかない。  影の中だから、それが当たり前なんだろうけど。 「使えますよ。僕に一通りの力の使い方を教えたのは、あの人ですし」 「じゃあ、メリさんは血が操れるの?」 「勿論。でも、チェスタロス卿やヘム様の様な事は一切出来ませんけど」  一族によって特化してるのが違うって、そういう事か。 「凄いね」 「……それは、どんな意味が?」  純粋に。  俺に出来ない事が、いや。人間に出来ない事を軽々とやってのける吸血鬼ってやつは、凄いんだな。  改めて、そう思う。 「いや、単純に影とか操れてさ、凄いなって。魔取って、メリさん達とも戦うんだよね? 人間もこんな技とか使えたりするの?」 「似た様な技はあるかもしれませんね。僕は知りませんけど。人間にも、力のある輩はいますから」 「俺はないよね?」  俺は、多分何処まで行っても人間だと思う。  奇跡も、力も何もない。  ただの人間。 「ええ。ないでしょうね。カケラでもあるなら、ヘムロックの寵愛を注がれているのですから、我々以上の力が貴方に湧き上がる事でしょうに」 「カケラもないかー……」  ま、幽霊とか見た事もないし。  霊感もないのは知ってる。 「……人間の九割は、力なんてなものですよ」 「へ? あ、うん」  突然? 「力が、欲しいんですか?」  なんか、悪役みたいなセリフだなぁ。  でも、メリさんが言うと、お砂糖取ってくれるのかなってぐらいの気軽さがある。  ヘムさんやリリさんが言えば、間違いなくアニメの世界の魔王だろうけど。 「いや、あったら便利かなって思うぐらいかな。欲しがる理由も、特にないし」  ただ、それだけだ。  力を持ったとしても、使い所なんてないし。  あったら、そりゃカッコいいし、便利だなってのは思うけどさ。  それだけじゃん。  力を持ってたら、力を持ってるなりに何かしなきゃいけないでしょ? ヘムさんみたいに最強パワー! ってならいいけど、中途半端ならそうはいかない。  そんなデカいもん、俺には到底払いきれない。  それに、人間として生きてくには、別に必要ないし。 「……普通の人間でも、力を手に入れる方法は……、ありますよ」 「え?」 「貴方、吸血鬼については何処までご存知ですか?」 「いや、血を吸う? ぐらい? 棺で寝てて、朝日を浴びちゃいけないんだよね? それぐらい、かな?」  子供向け番組の悪役で出てくる吸血鬼は、そんな感じだった。 「では、聞いた事ありませんか? 吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になるという話は」 「……あー。そういえば、そんなこと言ってたかも」  吸血鬼は人の血を吸うと、吸われた人間は吸血鬼になるんだよね……? 「え!? 俺、吸血鬼になんのっ!?」  血、吸われた事ないけど。舐められたことはある! 「なりません」 「ならないんかーいっ!」  何だよ。今のふりは。 「吸血鬼が血を吸った人間が吸血鬼になるなんて、そこら辺全て吸血鬼で溢れかえってますよ」 「あ、確かに」  殺さない程度に血を吸うんだっけ?  ま、ヘムさんやメリさんにとっては食事みたいなもんだし、それで吸血鬼増えると言われてもなぁ。確かに。 「でも、人間が吸血鬼になる方法はある」 「え? あるの?」  俺は顔をあげる。 「それって……、どんな時?」 「……血を分け与えた時ですよ。ただし、少量ではなく、体の三分の一以上の血を分け与えた時のみ」 「え? そんだけ?」 「それだけ? 吸血鬼ですよ? 血は高貴の証。己の証です。それを他人に分けるんです。普通の神経をしてれば、そんな事はまずしません」 「そういうもんなん?」 「吸血鬼にとて、血は財産であり、命そのもの。それを大部分渡すなんてリスクの塊ですよ。最悪、こちらの命が脅かされます。少量ならいいすが、それが大量になればなるほど、我々はリスクがある。そんな事をまずやろうと思うのは飛んだイカれ野郎です」 「ヘムさんでも?」 「あの人は……、逆にリスクがなさ過ぎるんですよ。そして、血族を必要としない。そんな事すら関係がない場所にいる。正真正銘の化け物なんです」  少しだけ苛立たしさを滲ませながら、メリさんは顔を歪ませた。  人間から見たら、リリさんもメリさんも化け物そのもの。  そんな彼等に化け物だと言われるヘムさんって……。   「……ん?」  ヘムさん皆んなに嫌われているんじゃないか説を考えていると、リムさんから怪訝な声があがった。 「あ、見つかった?」 「……ええ。微かに、残響を見つけました。此処から十キロも離れた廃ビルです」 「じゃあ、そこに取り敢えずいけば……」  見つけれるかもしんないんだ。  良かった。なんか事件に巻き込まれてるわけじゃ……。 「そして、恐らく。最悪な結果ですね」  え? 「最悪、て?」  メリさんの言葉の意味は、恐らくそのままって事が分かってるのに。  なのに、俺は……。  馬鹿なふりをふるので精一杯で。  震える言葉に、メリさんは俺の手を取る。 「死体回収に、行きますよ。ハチさん」  日常が、崩れる音がする。  ハリボテの俺の日常が。  崩れ落ちる、音がする。

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