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第9話
「水仙が死亡。ダリアは何とか生きているが、このまま消える可能性も高い。そして桃花は以前安否が不明。恐らく、桃花は連れ去られた可能性が高い」
ダリアさんが横たわる店のベッドを囲む様に、俺とメリさんとリリさんが顔を合わせる。
「最悪な結果だな。メリ」
「はい。仰る通りです」
「もう少し早く我々が動けば解決していたか?」
「いえ、無理でしょうね。帰ってこないと我々が認識して時間には、既に一人は死体、一人は瀕死、一人は攫われていた事でしょう」
「だな。彼女達を襲った奴らは?」
「傷口から見て、悪魔狩りの道具を使っている所を見ると人間でしょうね」
「魔取か?」
「恐らく」
タバコの煙を吐き出しながら、リリさんが喉の奥で笑う。
「馬鹿にされたものだな。夜の女王の所有物に、手を出しても問題ないと思われるだなんて」
「ええ。僕も、そう思います」
淡々とした二人の会話。
俺はただ、ダリアさんの手を握る事しか出来ない。
「リリ様、ご提案が御座います」
「なんだ? くだらん事ならお仕置きだぞ?」
「それでも、進言を」
「いいだろ。聞いてやる。言えよ」
「魔取を殺しましょう。我々との取引を破ったのは、彼方です」
「ははは」
メリさんはタバコを咥えて上を向く。
「最高だっ! 最高だよ、私のメリっ! 貴様の提案は酷く当たりまでいて、公正だっ! 気に入った! 良いだろう。私が殺す。ぶち殺すっ!」
「とても素晴らしい選択でございます」
人外が人を殺す。
そう言っているのに。
ダメな事だと知っているのに。
でも俺は、何も言えない。
止める言葉すら、出てこない。
寧ろ、二人がこのまま黙って彼女達をこんな姿にした魔取の首を、持ち帰ってこればいいのにとすら思う。
俺に優しくしてくれた三人を。
受け入れてくれた皆んなを。
こんな姿にした人間が、憎くて堪らないんだ。
何でこんな事をするの?
人外だからダメなの?
なら、人間だってダメだろ? 殺される理由には、十分過ぎる。
「メリ、魔取は今何処にいる? 何処でも良い。人間が多いところだろうが何だろうが、私が彼奴の首をもぎ取る」
「残念ながら、近くの廃ビルですね。恐らく、低級を駆除しているものかと」
「何だ。つまらんな。しかし、だからと言って人前に出るのを待つつもりはない。行くぞ、メリ」
「わかりました」
「首さえ持ち帰れば後は好きにしろ。血でも肉でも食い荒らせばいい。時間が惜しいな、影の扉を出せ」
「では……」
メリさんの影が、扉へと形を変えた。
「……リリさん」
分かっている。
分かっているんだ。
ここに、俺しか人間がいないことぐらい。
リリさん達を止めるのは、俺しかいないことぐらい。
でも、俺は、人間の味方になるには随分と遅すぎた。
随分と、人間に汚されすぎた。
そして随分と、彼等に与えられすぎた。
無理だ。
止めるなんて、出来ない。
「……ごめん。なんて言って良いか、わかんないけど、ごめんっ」
それでも、人間と言うだけで、まるで自分が罪を背負った気になっている自分の愚かさに吐き気がする。
「ハチ君。何かあったら、連絡しなさい。君は、ダリアを見ててあげて」
そう言って、リリさんは俺に携帯電話を差し出した。
「君は人間だけどね、真っ赤な血をこびり付けてまでダリアを抱きしめていてくれた優しい子だ」
冷たい指が、俺の頬を撫ぜる。
「サキュバスは恩知らずでも無知でも、馬鹿でもないよ。君の気持ちは、わかってる。ヘムが帰ってきたら、慰めてもらなさい。今は……」
リリさんは俺の唇に手を当てて、金色の満月の様な瞳で俺を見る。
「私は君を慰められるほど、冷静じゃないんだ。わかってくれるね?」
それは、恐ろしいぐらい、人を人だとは思えない化け物の瞳だった。
「うぅ……っ」
二人が影の中に消えてから、俺はダリアさんの手を握りながら泣き続けた。
情け無い。
何と不甲斐ない。
化け物だけど、怖くない。
俺は平気。人間の方が嫌い。
そう、嘯いていた口を、呪いたくなる。リリさんは仲間を傷つけられて怒っているんだ。それが普通だ。俺だって、怒ってるのに。
怒っているのに。
俺は、リリさんが怖いと思った。
あの目を見た瞬間、息が止まった。
ああ、殺されるんだって、全身を身構える様に。
何で、何で?
頭では分かっていたのに。リリさんはそんな事しない。怒っていても、冷静さを欠いたとしても、俺を気遣って携帯を渡してくれた。
俺を責めることもせず、ただ、労った。
なのに、何で?
どうして、寄り添えなかった? リリさんを体が信じられなかった?
人間だから? 俺が人間だから?
人外で、ないから……?
何で?
人間にも人外にもなれない自分が一番の悪ではないか。
そもそも、俺が桃ちゃん達に買い物を頼まなければ、こんな事には……。
「……うぅっ」
俺のせいだ。
全部、俺のせいじゃん。
涙が、止まらない。
俺のせいで……。
「ハチ、くん?」
ぎゅっと強く握った手が、ピクリと動く。
「ダリアさんっ!?」
顔を上げると、視線の定まらないダリアさんがまた口を開いた。
「リリ様、は……?」
「リリさんとメリさんは、ダリアさん達を襲った人間の所に行った! ダリアさん、大丈夫!?」
良かった!
意識が……つ!
「はは、多分、ダメ……、かな?」
弱々しい口が、虚しい笑い声を奏でる。
「……え?」
「リリ様、から貰った、力……、上手く、動かせない、の」
人間と人外は違う。
体が本質ではない。力が無くなれば、死ぬし消える。
体が無事でも、力が全てだから。
リリさんの言葉を思い出す。
「ダリアさんっ! そんなっ!」
そんな事、言わないでよっ! そう叫びたい気持ちを無理やり自分で押さえ込む。
だってそうだろ?
そんな事、本人が一番思ってるよ。
そんな事になりたいなんて、思ってないよ。
俺なんかが言って良い言葉じゃないよっ!
「ハチ、くん。桃花が、攫われたって……、リリ様に、伝えて?」
「大丈夫だよ! 今、リリさん達は桃ちゃんを攫った魔取の所に行ってるからっ!」
大丈夫だよ。だから、ダリアさんも……っ!
「ま、とり?」
そう言いかけた俺の口を遮る様に、ダリアさんは目を見開き俺の手を握る。
「だ、ダメっ! リリ様っ! いけませんっ! やめて下さいませっ!」
「ダリアさんっ!? どうしたのっ!?」
「魔取と戦っては、いけないっ! リリ様っ! ああっ! リリ様っ! 我等が王を、止めてっ! 相手は、魔取じゃないっ! 魔取は、私達を襲って、ないっ!」
え?
「ダリアさん、落ち着いてっ!」
どう言う事だ?
発狂乱になっているダリアさんを落ち着かせる様に抱き締めながら、俺は必死に息を整える。
魔取じゃない?
彼女達を襲ったのは、魔取じゃない?
でも、それは……っ!
「がっ!」
押さえ込もうと抱き締めた俺は、簡単にサキュバスの腕力に負けて壁に叩きつけられる。
「だ、ダリアさんっ! 落ち着いてっ!」
「リリ様っ! リリ様っ!!」
ど、どうすればっ!?
俺一人じゃダリアさんを抑え込めない。これ以上動いたら、ダリアさんだって死んじゃうかもしれないのにっ!
何か手は……。
ふと、俺の手に固い物が触れた。
何?
そう思って、視線を向ければそこにはリリさんの携帯が。
何かあったら、連絡を。
そうだっ! メリさんに連絡しなきゃ!
ダリアさんを止めるのは勿論だけど、リリさん達は勘違いをしたままだっ!
早く止めなきゃ!
震える手で、必死に携帯を持ち上げ画面を押す。
すると、そこには……。
「暗証番号っ!?」
え!? 何これっ!
そんなもん、知らんのだけどっ!
「何番っ!?」
番号なんて、分かるわけねぇじゃんっ!
どうしろって言うんだよ!
あの最強サキュバス、たまに抜けすぎなんだけどっ!
「適当な番号っ!? 当たるわけねぇー!」
何回か間違えちゃダメなんだよね!?
こう言う時、どうすりゃ解決するん!?
誰か、助けてよっ!
その時だ。
「へ……?」
俺の持っていた携帯が震え出す。
画面には、『クソロック』の文字が。
これって、まさか……っ!
俺は急いで緑色のボタンを押す。
名前はクソみたいだけどっ!
「へ……っ」
『ちょっとリリーっ! どう言う事っ!? 今日のハチの様子の報告、遅れてるんですけどっ!? お前さぁ、仕事できる女風装って、実質はクソすぎじゃない!? ホウレンソウって知ってる!? 遅れるにしても、報告、連絡、相談しろって言ってるだろっ! 何勝手に……』
「ヘムさんっ!!」
言ってる事もクソだけど、やっぱり、ヘムさんだ!!
『……ハチっ!? えっ!? その可愛い声はハチなのっ!? やだー! 私の声聞きたくてリリの携帯奪った感じ? 可愛いー!』
クソロックで登録されてる意味、少しわかるな、これ。
「今はそんな事言ってる場合じゃないんだよっ! ヘムさんっ! 助けてっ!」
『……何? 何かあった?』
「今、ダリアさんが暴れてて、俺の力じゃどうしようもなくて、ダリアさん、このままじゃ死んじゃいそうでっ!」
言葉が上手く繋げれない。
遠くにいるヘムさんに分かるわけがないのに。
「俺、どうしたらいいか教えてっ! ダリアさん、死んで欲しくないっ! 俺を助けて! ヘムさんっ!」
無理難題なんてわかってても、俺はこの人に頼る他ないんだ。
この人しか、知らない。
この人にしか、頼れない。
『……落ち着いて。ハチは今リリの店にいるの?』
「う、うんっ!」
『近くに刃物ある?』
「は、もの?」
えっと……。
「ハサミあるっ!」
俺は簡易机の上に置かれたハサミをみて声を上げる。
『じゃあ、それで……、そのサキュバスの首切って?』
え?
は?
「……はぁ!?」
何言ってんの!? この人!
「そんなこと出来るわけないだろ!? ダリアさん、死にそうなんだって!」
『いいからいいから。ざっくり行こう! あ、無理そうなら、刺すとかでもいいよ?』
「そう言う落ち着かせ方を求めてる訳じゃないんだよ! こっちは!」
それって、死ぬから静かになるとかでしょ!?
はぁ!? 何言ってんの!? コイツ!
『分かってるって。だから、首を斬り付けて』
「そんな事……」
出来るわけ……。
『何とかしたいんでしょ? 私を誰だと思ってるの? お前の飼い主のヘムロック様だぞ? 信じろよ、私の犬だろ?』
何だろう。
背中が、ゾクリと跳ね上がる。逆らってダメだと、俺の中の犬が怯えてる。
けど、そのお陰なんだろうな。
「……わかった」
何か余計なこと、考えるのやめれるのは。
ヘムさんがしろと言うなら、犬である俺はそれを信じるしかない。
俺はハサミを手に持つと、ダリアさんへと走り、強く地面を蹴る。
刃物を持って近づく俺を、恐らく、俺が俺だとわかっていないダリアさんが、俺に向かって払い落とす様に手を振り落とす。
当たったら、多分また吹き飛ぶんだろうな。
すごい速さ。人間じゃどうしようもないでしょ、これ。
だから、俺はその手が当たらない方法を知らない。
俺はその手を腹で受けながら、手を伸ばす。
どうせ衝撃で、俺は後ろに吹き飛ぶわけだから、どれだけ手を伸ばした所で届かないのはわかってるし。
ならさ。
投げるしか、ないでしょ。
俺は持っていたハサミを力一杯、ダリアさんの首めがけて投げた。
俺、何も出来んガキだけどさ。
多分、度胸はある方だと思う。
あとさ、すげぇ、不幸じゃん?
産まれてこの方、座敷牢に閉じ込められて、知らんおっさん達の餌にされて、吸血鬼に拾われて、殺されかけて。めっちゃ運悪いじゃん?
だからさ、もうさ、俺の人生、運いい事しか残ってないんじゃねぇーの? って、勝手に思ってるわけよ。
だから、生きてた。
だから、まだ生きてる。
勿論、今も。
「だっ!」
案の定、俺は吹き飛ばされて壁に激突する羽目になる。
背中と頭、痛えな!
けど、やっぱり運は良いわけよ。
「……ヘムさんっ! 出来たっ!」
出鱈目に力一杯投げたハサミは、見事にダリアさんの首に刺さっている。
『あはっ! 流石私のワンコ。百点満点っ!』
「ワンっ!」
これで、どうなるんだ?
本当に、どうなっちゃうんだ?
俺が壁に持たれていると、首の傷から垂れ出したダリアさんの血が、人の手を作る。
あの手……っ!
「ヘムさんの、手?」
見覚えのある手に、声が上がる。
『え? 手だけでわかっちゃう? 愛されてんな、私』
肯定の言葉が、電話から聞こえてきた。
『落ち着けよ、雑魚。誰のもんに手をあげてんだ。身を弁えろ』
そう言ってヘムさんの手が、ダリアさんの胸を掻っ捌いて中に入って行く。
「えっ? ええっ!? 大丈夫なん!?」
なんか、心臓握り潰しそうな感じだけど!
『大丈夫、大丈夫。任せんしゃーい』
軽っ!
え? 俺、マジでこの人信じて良いの?
俺、間違えたんじゃ……?
『本当、死に掛けじゃん。ま、ハチのお願いだし、仕方がないにゃー。有り難く、生きとけ。雑魚』
「がぁっ!」
聞くに耐えない短い悲鳴がダリアさんから上がると、がくりと彼女はベッドの上に崩れ落ちる。
「ダリアさんっ!」
『ハチ、大丈夫だよ。その子は死なないから』
「でも……」
「ハチ、くん? 私……」
ダリアさんはゆっくりと体を起き上がらせると俺を見た。
その目は、確かに俺を見ている。
あの虚な目は、何処にもない。
本当に……っ!
本当にっ!
助かったんだっ!
「私……、生きてるっ! 力も、戻ってる……? 嘘っ!? 何でっ!」
「ダリアさんっ! 良かった!」
「そんな……。力なんて戻らなかったのに……」
「ヘムさんが助けてくれたんだよっ! 良かった! 本当に、良かった!」
「ヘムロック様が……?」
『そー。感謝してよね? それよりも、ハチ。私にお礼は?』
「ヘムさんマジすげぇ!! 信じてた! 好きっ! 有難うっ!!」
『少し雑すぎっしょ? ま、ハチが喜んでるなら良いけど。久々にハチの可愛い声聞けたし、ハチも……』
「あっ! ごめんっ! ヘムさん、今それ何処じゃないのは変わってないんだよね! じゃ! 本当ありがとう! またねー!」
『え?』
俺は速攻で電話を切ると、ダリアさんの手を握る。
「ダリアさんっ! まだ、リリさん達は魔取のところにいるっ! 早く止めなきゃっ!」
「えっ!? このままだと、リリ様が築き上げたサキュバスの地位が無に返ってしまう……。ハチ君、どうやったら……」
そうだ。俺たちは、リリさんの居場所すらわかんないんだ。
どうすれば……。
そう考えているのに、リリさんの携帯がうるさく鳴る。
もー。
誰が鳴らしてるかめっちゃわかるし、こっちは忙しいってのに!
無視してれば止まるかな? 止まるでしょ。
俺たちがリリさん達の場所を突き止める方法を今は考えなきゃ。
どうすれば……。
「う、うっせぇっ! 絶対ヘムさんでしょ!? ヘムさんじゃんっ! もー! 俺の話聞いてたっ!?」
『ガチャ切りやめ下さい。悲しさで、店燃やしそうです』
思わず画面越しに声を荒げると、ヘムさんのガチトーンな声が聞こえて来る。
「あ、はい」
『マジで、やめて? 本当、やめて。私、拒絶されると病むから』
「あ、はい。ごめんなさい」
『巷のヤンデレ皆殺しに出来るぐらい、病むから。巨大な闇が世界を襲うから』
ヤンデレってなんなん……?
皆殺しにしたら病むって、なんかの呪いなの?
いや、よくわからんけど。
「ごめんってば! でも、本当に今、俺たちに時間ないんだよ。早く、リリさん達を止めなきゃ行けないんだって」
『え? リリを? 普通の人間とサキュバスにリリを止めれるわけないでしょー? 彼奴も人外では王の一人だし、私に敵わないと言っても、他の王には軒並み勝てるぐらい強いからね?』
「だから、そのリリさんを止めるために……」
『だからさ、ハチ』
楽しそうな声が電話越しでもわかる。
『私と契約して退魔師少女になってみない?』
そう言って、ヘムさんは笑った。
「はぁ?」
退魔師、少女?
何一つ、俺に被ってないんだけど!
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