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第11話
「……まどろっこしいな」
もぎ取られた両腕を再生しながら、リリが呟く。
先程リリが腕を犠牲に吹き飛ばした悪魔の頭は、ブクブクと膨らみ既に再生を始めている。
胸を貫き心臓を潰しても、それ程大きなダメージにはなり得なかった。
手応えがない。
当たり前か。
相手はクソ以下のクソ野郎だ。
『人間、コロコロー、コロコロー』
再生したばかりの顔で、気が逸れそうな事を歌っているが、それもアイツの手だろう。
人が近くにいなければ、適当か。
しかしそんな事で気が逸れるほど、リリの怒りが浅いわけでも無い。
リリにとって、子飼いのサキュバスは己の娘でもあり、分身なのだ。
勿論、言葉通りの事は一つもない。
ただ、それ程までに愛してやまない。それだけなのだ。
リリは、いや。
リコリスは生まれた時から異質だった。
サキュバスには持ち得ないほどの力が、既に赤子のままの彼女にはあった。
それは、随分と厄介でそれで、それでいて貪欲。
通常、サキュバスと言えば中級と言えど下級に近い人外である。サキュバスとインキュバスの性別で名称が別れる淫魔で、インキュバスよりは悪魔に近い力を持っていると言われているが、実際は力はあれど、その力は強くもない。
使える力は生命力を力へ変えるものぐらい。どちらかと言えば、回復役と称される分類の力しか持ち得るものはなかった。
しかし、リコリスは違った。
莫大な生命力を保持し、これまた莫大な生命力をその体に無限に溜めれる。生命力を力に変えるサキュバスにとって、それは無限に力を使い続けれる意味を持っていた。
力に変えれるのならば、どんな力でも構わない。
サキュバスの力を蓄えるタンクのような物は、普通ならば人間と同等。時にはそれにも劣る程しかないと言うのに。
だからこそ、サキュバスが使える力は限られていた。多少の人間が魔法と呼ぶ力は使えるが、他の人外と比べれば実に些細なもの。だからこそ、回復の様に力の変換が少ない魔法が彼女達の本分であった。
しかし、規格外のリコリスのタンクは、無限に蓄積されるのだ。
上級種族と言われる吸血鬼や悪魔でさえ、無限の力を使えるリコリスには手出しが出来ない。
いくら殺しても、リコリスは死なない。無限の力で何度も蘇る。
でも、それだけじゃない。
無限にある生命力は、いつしか生命をつなげる力ではなく、生命を奪う力に変わっていくのに彼女の中で時間は掛からなかった。攻撃への力の変換をリコリスは生きていく為に直ぐに覚えた。
生命力を削って、奪って、また蓄える。生きているだけで、周りは怯える。誰も彼もが彼女の餌だ。そこに人外も人も、下級も上級も、関係はない。誰もがリコリスを止められないし、殺せない。上級悪魔でさえも、彼女の前を歩くのを躊躇うぐらいに、いつしかたった一人の小さなサキュバスは世界を変えてしまったのだ。
その為、リコリスは常に孤独だった。
子供のサキュバスは、通常インキュバスが世話を司る。彼女達が困らぬ様、淫魔の全てを教え込むのだ。でも、インキュバスの手にはリコリスは余りに余った。
どうしようもない。
そう、どうしようもないのだ。
いくら人外でも、本当の化け物は怖い。
死ぬのは、怖いのだ。
だから産まれて直ぐに育ての親から捨てられたリコリスは何も知らないままどんな性でも生でも貪り尽くした。
生きる為に。
それしか、生きる術を彼女は知らなかったから。
無知は、罪ではない。
けど、無知は最も簡単に罪を生み落とす種となる。
何度でも、何度でも。無知故に、知らず知らずに罪を繰り返す。
何度も何度も、色々な種族の種を奪っては畑を荒らす。しかし、止めてくれる者はない。
彼女が大人になり、ヘムロックとラギフと言う名の二人の吸血鬼に出会うまでは。
無知故の生の殺戮が繰り返された。
漸く、二人の己を止める存在を得た彼女が言葉を覚えて、全ての意味を知り、足を止めて振り返る事が出来た頃。彼女は自分の罪の重さを知る事になる。
多くのサキュバスはリコリスの罪の代わりに殺された。
誰もリコリスには手が出せない。敵わない。そんな下らない怒りは、彼女の同族である他のサキュバスに向けられていたのだ。
サキュバスは元々は下賤な存在。力も弱く、生命力と直結している性からしか力を吸い上げれない弱き人外。
人間からも人外からも取るに足らない弱き存在。
刈り取るには、余りにも弱く都合のいい存在。
そう。
文字通り、リコリスは世界を変えてしまったのだ。
取るに足らない弱きサキュバス達の世界を。
たった一人で。
自分は捨てられた。恐れられた。しかし、血族の絆をなかった事には出来ない。それは、彼女が孤独だったから。その孤独を、どうにか埋めたかったから。そんな些細な理由でリコリスは、血族への思いが捨てきれなかったのだ。だからこそ、罪が罰の意味を含み始める。
リコリスは手に入れた理性と知識を手に、自分が犯した罪を罰に変えてサキュバス達の地位と存在を守る為に動き出したのは、それからすぐの事だった。
夜の女王。人外でも規格外の力を持つ者だけが呼ばれる王の名を冠むった所で、彼女は自分がただのサキュバスである事を忘れはしなかった。
それは、ラギフに教えられた理性と知識のお陰と言っていいだろう。
彼女は、無知であったが、馬鹿ではなかった。
化け物であっても、孤独を嘆く心はあった。
その心が、血族への思いを募らせたのだ。
何があっても、彼女は血族を守る誓いを胸に刻んだ。自分の罪で罰せられた同族の為に。
その誓いから、育児放棄されたサキュバスは独り立ち出来る様にリコリスは自分の手元に置き育てた。様々な時代に様々な国で。それが、彼女の喜びであり、唯一の罪滅ぼしだったのだ。
でも、それは昔の話。
今はただ、自分の育てた子供達が愛おしい。
それはメイディリアに抱く様な劣勢の塊の様な恋心ではない。
ただただ、親が子供に向ける様な、その笑顔を守る為の愛おしさ。
それを、壊したのだ。
魔取が。
人間が。
リコリスの愛し子を、奪い、傷つけ、殺したのだ。
それは、罪だ。昔、自分が犯した様に。そして、罰を与えなければならない。昔、自分がされた様に。
その邪魔をすると言うのならば、何人たりとも殺さなければ。
殺さなければ、許されない。あの子達の為にも。
「ははっ。全部吹き飛ばせば、消えてくれるか?」
リリは乱れた髪をかきあげて呼吸を整え、笑う。
どうせ、本体ってもんも核ってもんもない。純粋に血溜まりが人の格好をして動いているだけ。
ならば、どうする?
簡単だ。
狙うは、相手の活動停止。それだけだ。
『んー? 俺と話す気になったら考えてあげるけど?』
我々の言語で、赤い悪魔が笑う。
「悪いな、化け物の言葉なんて、わかんねぇわっ!」
リリは一歩を踏み出した。
部位破壊では、効果はない。
直ぐに自分と同じで再生を繰り返す。
違う所といえば、あちらには些細なタイムラグが発生していると言う事ぐらい。
相手がただの悪魔なら話は別だが、どう見てもヘムロックが遠隔操作している血溜まりだろう。
つまり、血がなければあいつは何も出来ない。
それは吸血鬼にとって唯一の強みであり、そして、弱点だ。
「ふんっ!」
ならば。
全ての血を削り落とすっ!
リリは拳を正面に振り落とす。
カスっただけで、血が砕け滴り落ちる。
『こわっ! ゴリラっ!』
避けられるのは計算のうちだ。
直ぐ様リリは手を叩いて血飛沫に氷を纏わせる。
使えるのは、炎だけじゃない。
氷すら、夜の女王の手の内だ。
『……流石リコリス。怒りに気が触れてても頭働くじゃん』
「……」
凍った血の回収は行わない。
いや、行えないのか。
遠隔操作で、氷を解除を操れるだけの力はないのか。
なら……っ!
「はっ!」
リリは悪魔の両手を掴んだ。
『また破壊? 芸なくない?』
「黙って凍ってろ!」
掌から直接、繋がったままの悪魔の両手を凍らせる。
『おま……っ!』
肩近くまで凍った所で、赤い悪魔の蹴りがリリの腹に入り後ろに吹き飛ぶが直ぐにリリは体制を立て直す。
『……無茶苦茶すんなぁ』
だらりと垂れる凍った腕を見ながら、悪魔が呟いた。
直さない。
矢張り、凍った腕は、直さない。
リリは確信を持って舌を出す。
「ヘムロック、邪魔をするな。お前の犬も殺すぞ?」
何人たりとも、許さない。
報復の遂行を邪魔した報復は受けなければならない。
昔の私の様に。
だが、それはどうやら向こうも同じ様だ。
『……あ? 何言ってんだ。雑魚』
悪魔が、無いはずの目の色を変える。
悪寒。
リリの中で誰かがこの場から離れてくれと怯えている。
しかし、そんな事に耳を貸すほど、リリに理性は残っていない。
それは本能ではない。理性だ。
この後起こる惨状に嘆く理性が、怯えているのだ。
だが、もう遅い。
リリが手を叩こうとした瞬間、リリの体が宙に浮く。
「っ!?」
早い。何も見えなかった。
宙に舞った瞬間、瞬時に悪魔がリリの目の前に移動して蹴り上げた事がわかった。
だが、理解した所でその速さに追いつけるわけがない。
空中で、蹴鞠の様に頭を蹴り飛ばされる。
リリはそのまま壁にめり込み、血を吐くがそれで終わりなわけがない。
血が床に届く前に、赤い悪魔はリリの顔に足をめり込ませる。
『おい、ハチがなんだって? 本気で殺すぞ?』
今迄が遊びだったかの様な事を言う奴だ。
でも、それは此方も同じ。
「足……、捕まえたぁ」
両手でリリは悪魔の足首を掴むと、ニタリと笑った。
『っ!』
どうやら、漸く向こうは事の重大さに気づいた様だが、もう遅い。
悪魔の足は徐々に凍り始め、身動きができなくなっていたのだ。
それと同時に、リリの体中に魔法陣の様な紋章が浮き上がる。
力の大半を体全てに解放させる為に。
「先にお前を殺してやるよ、ヘムロック」
リリが悪魔の足を投げ捨て、抱きつく様に腕を絡めた。
「長い付き合いだ、一緒に死んでやるよ。一回ぐらいな?」
そう、リリが笑った瞬間、大きな爆発によってビルが揺れた。
それは、俺達三人が酷い目眩に襲われた直後の出来後だった。
「なんだっ!?」
「ビルがっ!」
ひどい揺れに魔取の二人は慌ててるけど、今はそんな場合じゃない。
「メリさん……」
俺達を覆った影に、俺は呼吸を整える。
こんな所で会いたくなったけど……。
覚悟って奴はもう決めてる。
「おじさん達は此処にいてっ!」
おれはそうさけぶと、影の中へと向かって走り出した。
ーー『メイディリアは恐らく影の中にいる。リリが表に出さないはずだ。んで、影の中からその桃花って子を探してると思う。メイディリアに会うには影の中に入る必要があるけど、影の中は無限に広がってる。迷ったら最後、二度と出てこれない』
ーー迷うも何も、道もなかったよね? あそこ。
ーー『そう。ハチじゃ絶対わかんないからね。だからね、メイディリアに迎えに来て貰えばいいんだよ』
ーー迎えに?
ーー『ハチ、メイディリアの事嫌いになれる?』
嫌いに、か。
「メリさんっ! メリさん、何処にいるの!?」
果てしない黒の中を、メリさんを探して俺は走り出す。
「メリさんっ! メリさんっ!」
ーー何で嫌いにならなきゃいけないの?
ーー『じゃあ、嫌いにならなくてもいいけど、悪意を向けれる?』
ーー悪意って?
ーー『簡単に言うと、こいつ絶対殺すとか、そう言うの。殺意の方がわかりやすいか。何も無理にメリに向けなくてもいい。殺意を放てれば問題ない』
ーー物騒過ぎん?
ーー『物騒でもなんでも。出来る?』
正直、めっちゃ難しい。
俺のいた小さな世界にそんなもんはなかった。持った所で、どうしようもない。
そんなもん、さっさと捨てるに限る。
両手を空けて、耳を塞がなきゃ。
隣の兄の様に狂ってしまう。
そんな狭くて小さな世界。
そんな俺が、殺意って……。
ーー『メイディリアは頭は良いし強いけど、基本的には小物だからね。精神的な意味で。影の世界をあれだけ作れ操れるのは恐らくメイディリアが現吸血鬼の中では一番だけど、理解がおいついてない。簡単に言えば、今の強さに満足してそれに慢心しきってんの。だから、馬鹿なんだよね。影の中にいるメイディリアは、私の言いつけを聞かずに必ずオートの状態でいるはず。全自動の自動車に乗ってる感じかな。だから、ハチがいくらメイディリアに呼びかけた所でメイディリアはオート状態になってて聞こえない。でも、殺意を向けられたら、オート状態になっているメイディリアはハチに攻撃するしかない』
ーー攻撃、されんの? 俺。
ーー『そう。攻撃された時、影は歪に形を変えざる得ない。その攻撃の向こう側にメイディリアはいる』
ーーでも、されたら死ぬよね?
ーー『勿論。メイディリアは強いからね。ハチなんて瞬殺でしょ?』
ーーじゃ、どうするの? 死んだら意味なくない?
ーー『死なんでよ。これでもメイディリアに多少は情があるから殺したくないからね。ハチが殺されたら、メイディリアの命もないよ? 責任重大だね。でも、ハチは普通の人間だからそんなこと言われても困っちゃうよね。さて、そんなハチ君に一つの提案をお兄さんがしてあげよう。ハチ、一度だけ無敵のヘムロック様になってみないかい?』
殺意。
さつい、殺意。
殺意っ!
単語を唸った所で、湧いてくるはずもない。
どうすれば?
どうすればいい?
殺意を向けるにはどうすればいい?
興味もない人に怒りを抱くには、何をするべきなんだ?
殺意、殺意、殺意……。
殺したい程、誰かを思う。
誰を?
俺がそんな事を誰に思える?
今の俺が誰にそんな興味を抱ける?
そんなの……。
一人しかなくない?
頭にチラつく。腹が立つ顔が。
行成、大爆笑で犬の様に死にそうだった俺を、慈善事業って奴で殺そうとして。
訳わかんないまんま、犬にされて、なんか知らんけど、人間の尊厳を放棄したら呆れられて。
首輪つけられて、外出してくれなくて。
自分の事、マフィアだとか適当こいて。
ビンタっだって死ぬ程されたし、床にキスさせて気絶させるし、やる事言う事、全部無茶苦茶で、皆んなにもやっぱり嫌われてて。
それが何か? って顔してて。
優しいのか酷いのか、好きなのかそうでもないのか。よく分からん癖に、人にはそれ以上をねだって、欲しがって、我儘で。
なのに、俺が要らんと思ったもん、全部蒸し返して、押し付けて、一緒に人間になってもいいかなって思わせて。
これでさ、好きって勘違いでした。
やっぱり犬だわ。とか言い出したらさ。
やっぱり、要らんとか言われて捨てられらさ。
しょーがないねって思うけどさ。
だけど、さっ!
「絶対殺してやるからなっ!! ヘムロ……っ!」
その瞬間、夥しい影の氷柱が俺に向かって伸びてくる。
気付いた時には目の前寸前に、迫っていた。
あ、やば。
こんなん、避けれんくね?
そう思うよね。俺も思う。
けどさ。
俺は次の瞬間、ヘムロックになっていたのだ。
意味がわからないと思うが、それは俺も。でも、それ以上に言いようがない。
無意識に身体が動く。
何も意識もしてない指が、一人でに動き出し音を鳴らした。
音が響くのと同時に、氷柱が粉々に砕け始める。
また体が勝手に動いた。
足が、前へと進む。体を引く体制にさせて、まだ次々と襲ってくる氷柱をよくわからない力で壊し続ける。
一本の太くて鋭い氷柱を掴み、口が開く。
喉の奥から、俺じゃない声がする。
『メイディリア、舐めた事してるとパパがお仕置きしちゃうぞ?』
それは間違いなく、ヘムさんの声だった。
「へ、ヘム様っ!?」
メリさんの声がすると、一瞬にして氷柱が全て吹き飛んで、中から蝙蝠の羽が生えたメリさんが姿を表した。
「メリさんっ!」
あ! 喋れる。
「……え? ハチ様? 一体これは……?」
「説明は後っ! ヘムさんが今、リリさんと戦ってんの! 俺の話聞いて!」
此処からは、俺の戦いっ!
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