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第13話
俺達がフロアに戻ると、そこは極寒の地になっていた。
「遅かったね。こっちは、漸く終わった頃合いだよ」
白いシーツを身にまといながら、リリさんが赤い悪魔の首に手をかけて全身を凍らせていた。
正直、何これ状態。
どうなってんの? 冷凍庫の中なん?
なんかよく分からんけど、これって計画通りって事でいいの!? この計画立てた人、凍らさせられてるけど。
「あ、うんっ! よ、良かった!」
でも、リリさんは普通通りだし……。
正気に戻ったと思って良いんだよな? それで良いんだよな?
くそ、めっちゃ自信ないっ!
「本当に、あの悪魔を倒したのか……?」
「え、あ、うんっ! ね!? お……しゃない。アタシの言った通りでしょ!?」
俺は背中に嫌な汗を流しながら、魔取のおじさんとお兄さんに大声でアピールを始める。
散々、ここに来る前にヘムさんが考えたでっち上げた情報を垂れ流したのだ。ここで方向転換は流石に出来ない。
かと言ってフォローが何も浮かばねぇ……っ!
だってよく分かんないんだもんっ!
でも、何か言わなきゃ……っ。
「夜の女王様は、人間を守る為に戦ってたの。えっと、だから……」
「その娘から説明されていたとも思うが、此奴相手には此方も時間と余裕がなくてね」
リリさんは掴んでいた赤い悪魔の氷漬けをそこら辺に捨てると、俺達の前に立つ。
まさか、フォローしてくれてる……?
え? 優しいっ!
「致し方ないとは言え、牙を向けたのだ。突然の非礼を詫びよう。悪魔殺しはいつの時代も神経を使うものだからな。君達が完全に餌にならなかった事を同盟相手として嬉しく思うよ」
そう言って、二人に手を翳す。
「これは非礼の詫びだと思ってくれ」
そうリリさんが言うと、二人の傷はみるみる治って行く。
「……これが夜の女王の力?」
「傷が治って行く……」
「何。これぐらは当然さ。感謝はそこの娘にでもしてやってくれ」
はー!
リリさんが一番カッコよくない!? リリさんが一番かっけー!!
パーフェクトカッコいい! 俺、何も言ってないのに、全部察してくれてるよ!?
マジで見習って欲しい。電話口のヘムさんは特に。
「いや、感謝は貴女にもだ。我々も事情を察せず申し訳ない」
口を開いたのは、魔取のおっさんの方。
「それは要らんよ」
「そうとは言わず。我々だって、立場がある」
「はっ。悪魔に取り憑かれそうになった事を黙っていろと? 君は魔取ではなく交渉人になるべきだな。其方の方が随分と向いているだろうに」
あ、ヘムさんが言ってた通りだ。
魔取としては、この事実は口外してほしくない事になるって、ヘムさんも言ってた。
ま、悪魔狩り? だっけ? それが悪魔に取り憑かれちゃってましたって、結構恥ずかしい事になるんだろうな。俺はそうは思えないけど。
「平たく言えば。我々にも立場がある故」
「言わんでも分かるさ。良いだろう。礼を受け取ってやらん事もない。で、何をくれるんだい?」
「夜の女王の望がままに」
「金も宝石も要らんぞ? お前ら二人の精子を命ギリギリまで搾り取っても、元も取れない。言い出したのは其方だ。其方が提示すべきでは?」
「何がお望みか」
「君達が言い出した礼だ」
「何なりと」
「……ふふ。よく訓練されているな。見たところ、四十前後の生しか歩んでこなかった赤子だと言うのに。わかっているじゃないか」
え? 何を?
全然噛み合わない会話が、めっちゃ怖いんだけど。
俺が首を傾げていると、耳元で声がする。
「人間どもは、報酬を提示できないんですよ」
あ、メリさんの声だ。
いないと思ったら、俺の影の中に隠れてたんだ。
「え? 何で?」
思わず小声で聞けば、答えのため息が聞こえる。
「釣り合っていない報酬は、礼儀に欠ける。それは随分と不味いんです。人外相手にはね。だから、向こうからの要求を聞くしかない。こちらは踏み倒したいから要求を極力言わない。しかし、三度の礼がある。三回問かけられたら、一度は従う姿を見せるしかないんです。こちらは」
「ほーん」
そんなもんあるの? 面倒くさっ。
「では、わがままを一つ。最近、君たちが嫌と言うほど目につく。何故、ここら辺を嗅ぎ回っている? 今回の悪魔の件か?」
リリさんの言葉に、俺思わず息を呑んだ。リリさんは凄く頭がいいんだと思う。
まるで、この悪魔が本当にいたと言う肯定を、彼女は完璧なまでに配置しているのだ。
やっぱり、リリさんが一番かっこいい!
「いえ。それは我々の知り及ぶものではなかった。我々は、人間を追っております」
「人間?」
人間が人間を?
ん? 魔取って、人外を取り締まる人達だよね?
人間、関係なくない?
「それは?」
「とある界隈で、人外の取引が行われている」
「何も珍しい話ではないだろ? 人外の取引は人間達の裏社会では随分と横行しているはずだ。今更それがどうした?」
裏社会? あー。ヤクザとか! で、いいのか? よく分かんないな。
裏社会とか、本当にあるの? 何か、テレビの中だけの話みたいに思ってたけど……。
「とある人物が、木から産まれたサキュバスよ入手に動き出したと情報があった」
え? 待ってくれ。
突然の欲しかった情報に俺は困惑する。
だってそうだろ? それは間違いなく……。
「桃花……っ」
メリさんの声音が下がる。
不味い。
「メリさん……。今は、駄目だ。リリさんに任せようよ」
「しかしっ」
「気持ちは、わかるけどっ。リリさんが、あんなに皆を大切にしているリリさんが、あれだけ我慢してるんだよ。今は、ダメ」
リリさんの顔色は何一つ変わっていない。驚いた素振りもない。
けど、握りしめた手は決して開ける事はなかった。
「うちにも、木の花から生まれたサキュバスがいる」
「存じ上げている。だらこそ、此処らで警戒を強めていた。相手は人間だ。悪魔狩りの武器を必ず使う必要がある。悪魔狩りの武器は共鳴し合う。我々以外の悪魔狩りの武器がここらにあれば、必ず分かるはずだ」
え? でも……。
「成る程。それは随分と、穴のある計画だな」
「穴?」
「本日、うちのサキュバスが一体、消滅した。一体は負傷を負い私が匿っている。そして、もう一体。何処ぞの人間に攫われた」
「そ、それは……」
「木の花から産まれたサキュバスだ」
「!?」
どう言う事?
ダリアさんの体の傷は、悪魔狩りの武器の傷だった筈だ。
だとすると、桃ちゃんを攫った奴等は悪魔狩りの武器を持っていた事になる。
なら、魔取のおっさん達が気付かないのは、何でだ?
何か、裏があるのか?
「そ、そんな……」
「私は、この悪魔が何か知っていると思って、そこの娘に力を貸した。だが、悪魔は無関係。無駄足だったと思ったが……、そうでは無くなったみたいだな」
「……その様だ」
魔取のおっさんは深いため息を吐くと、リリさんに背を向ける。
え? 帰んの?
「本郷さんっ!?」
「池下、帰るぞ」
「いや、何で帰るんですか!? 俺たち、まだそいつらを……」
「この件は、無かった事にたった今なった。死体の調査なんてしても無意味だ」
それだけ言うと魔取のおっさん、本郷さん? とやらは振り向かずにマジで帰っていった。
えー……。
マジでどう言うこと?
「ふふ。本郷ね。賢い男だ。名前は覚えておこう。この礼は必ず返すさ。君も早く帰りなさい。この件は、これより我等がサキュバスの問題にたった今からなったのだから」
メリさんが一人残された魔取のお兄さんに笑う。
「これ以上我々の問題に首を出したら、貴様らからの取引の破棄だ。それでも良いのか?」
言葉に重圧感が増す。
「……それは」
「不味いなら、君もあの男を見習って帰るべきだ。私達は私達の領域が犯されない限り、君達の取引には今まで通り応じよう。私達は今からその人間達を鏖にしなければならない。君達も覚えておくといい。人外との取引を覆す。その重罪を」
満月の様な瞳には、いつもの様な優しさは何処にも無かった。
「店中の客を連れてこい。全員私が食う。従業員も一緒にな」
店に戻ってくると、リリさんは早々に白いスーツを剥ぎ、メリさんに指示を送る。
「この際、男も女も関係ない。全員食う。サキュバス達は自室に待機を。呼べるだけの客は全員呼べ」
「足りますか?」
「足りるわけがないだろ。だが、ないよりましだ。ここにいる性は全て極限まで搾り尽くす」
「お、俺も?」
全裸で髪を掻き上げながら苛立つリリさんを見て、思わずメリさんの後ろに隠れる。
か、カッコいい。リリさん、滅茶苦茶、カッコいい。いつもは綺麗で落ち着いてるクールな大人の女性って感じなんだけど、今、凄くヘムさんみたいでちょっと来るものがあるんだけど。
「ハチ君も待機。君なんて食ったら、青森で倒れてる奴が煩くて、満足に食事も敵わんよ」
「あ、ヘムさんそういえば大丈夫なん?」
やっべ! すっかり忘れてた!
「彼奴も十分弱ってるよ。くそったれ。こんな好機二度と拝めんと言うのに、其処迄行く力が無いのが口惜しい」
「え!? ヘムさんヤバいじゃん!」
「あれぐらいでは死にませんよ。一時的に身体の能力が使えなくぐらいでしょうに」
「今頃何処ぞの女を連れ込んで血でもしゃぶってるだろ。勝手に回復する奴の心配はいらんよ」
「……へー」
ふーん。そう。へー。
ふーん。
「それより今は性を貪り食わなければ私が耐えれん。理性が擦り切れそうだ」
「取り敢えず、手の空いてる者を此方によこします。私はリリ様の客に連絡を入れるので、ハチ様。君は受付を。コースも女の子の指定も全て客の要望を承諾。電話でも問い合わせにどんな好みを言われても、本日付けの依頼は承諾して下さい。リリ様はサキュバスですので、相手の好みの幻想を見せられますから心配はなさらず」
「おすっ!」
受付の方法はちゃんと習ってる! 汚い文字だけど、メモもちゃんと取ってるし、大丈夫!
「ハチ君」
今にも部屋を飛び出そうとする俺に、リリさんが名前を呼ぶ。
「へ?」
「詳しくはわからないが、全ては君のお陰なのだろ? 私の理性が戻ったら、ゆっくりと礼を述べさせてくれるかい?」
「うんん。違うよ」
俺はドアを開けながら笑う。
リリさん、勘違いしてるんだもん。
俺のお陰? そんな訳ないじゃん。
「リリさんが皆んなを愛してた結果だよ! 俺は、俺のしたいことしかしてないから。お礼なら、みんな言って!」
俺はカツラを外して巫女服の上からパーカーを外すと受付カウンターに身を滑り込ませる。
おっしゃ!
ここに来て、本当にバイトらしい事になってきたぞ?
めっちゃ楽しみ!
「五十人ぐらい通してるけど、誰も帰ってこねぇ……」
漸く途切れた客の行方に想いを馳せながら、金を綺麗に纏めていると、机の上にココアの缶が置かれた。
「メリさん」
「お疲れ様です。第一陣は終わりですが、あと二十分でリリ様の固定客達が到着しますよ」
「お、おっす!」
マジか。まだ続くのかよ。
「でも、誰も帰ってきてないよ?」
「終わる迄、帰れませんからね」
「部屋、狭くない……?」
「空間を捻じ曲げているので大丈夫でしょう」
「え? それ、大丈夫なの?」
「幻覚を見させている状態です。命には問題はありません」
「メリさんは行かんでいいん?」
「僕は餌ではないので」
そう言って、もう一つの椅子にメリさんは腰を下ろして自分のコーヒーを傾ける。
「あのさ」
「すぐに桃花を何故助けに行かないか、ですか?」
俺の言いたかっ事をメリさんがズバリと言い当てて肩が跳ねる。
「何でわかんの!?」
「貴方、分かりやすいんですよ」
嘘だろ? 世界で一番わかりやすい選手権トップランカーのメリさんに言われるぐらい?
「全部顔に書いてあります」
「……そんわけないてじょ?」
だが、思わずほっぺを両手で隠す程には疑っていたりもする。
「ほら、分かりやすい」
そう言って、メリさんが少し笑う。
少し?
笑う?
「メリさんが、笑う!?」
え!? マジで何事!?
これもリリさんの使う幻覚って奴!?
「笑ってません」
すぐにいつものムッとした顔に戻るけど、マジでメリさん笑ったよな?
「ココアはお嫌いですか?」
「え? うんん。飲んだ事ないけど、多分好き」
「何ですかそれは」
「CMとかよく見るけど、美味しそうっていつも思うから。だから、有難う。頂きます」
俺はそう言って缶を開けて口に流し込む。
「う、うま過ぎん!?」
「甘すぎでしょうに」
何これ!? めっちゃ美味い!
「ココア、すげぇ……」
神の飲み物じゃん。これ。
聖なる泉の水って奴より、ココア売った方が儲かるんじゃねぇの? 実家。神もこっちの方が喜ぶよ。
「……桃花を迎えに急がない理由は二つ」
「え? ああ……。理由、あるんだ」
「ええ。一つは、桃花の安全が確保されている確証がある事」
「わかんなくない? 攫われたんだよ? 一人殺されてるんだよ? ダリアさんだって……」
「桃花は商品です。だからこそ、安全である理由になる。最悪殺されはしていなければ、我々には問題がないも同然ですよ」
「でも……」
「大丈夫です。僕を信じなさい」
そう言って、メリさんが俺を見る。
「そして、もう一つ。向こうにも、吸血鬼がいる」
「え?」
それって……。
「魔取の言葉を思い出してください。悪魔狩りの武器は共鳴するんです。でも、今回はしなかった。何故だと思いますか?」
「そんな事実、無かった。とか?」
そもそも、それも信じていいの? 人間の発言じゃん。
「その考え方は悪くはない。そこから疑うのは大切です。だが、それは事実である事も此方は知っている」
「本当なん?」
「ええ。我々もその事実は立証済みです。覚えていますか? 僕が魔取の持っている荷物を見ていた事を。悪魔狩りの武器はどれも魔を封じ込めたものです。だからこそ、ある程度の強さを持つ人外にしか分からない独特の匂いがする。封じ込まれた魔は魔を呼びます。低級であれば無意識に。我々の様な人外であれば意識的に。それは封じ込められた魔同士でも同じ。それが共鳴です。しかし、共鳴するには距離が必要です」
「遠いといいの?」
「逆ですよ。近くなければ、鳴いてもわからないでしょう? だから、彼方は此処での狩りは出来なかった」
「……それって、スーパーの……」
「恐らく、残響が消えていた原因はそれです」
俺はココアの缶を見つめる。
「影の扉……」
メリさんがやった事を、向こうはしたんだ。
影の扉は距離を無くす。
俺たちが裏路地から、ダリアさん達のいる廃ビルに行った様に。
「そうです。彼方に、僕と同じ力を使える吸血鬼がいる。距離を考えると、大凡そこらにいる無名の吸血鬼ではできない芸当です」
「でも、吸血鬼が犯人じゃないんだよな?」
傷口はあくまでも、悪魔狩りの武器。
吸血鬼がそんなものを使うとは考え難い。
しかも、メリさん並みの強さを持つんだ。そんな物を持つ必要がない。
「ええ。あくまでも、仲介なのか、名義貸しなのか。其処迄は分かりませんが、藪を突けば蛇が出る可能性が高い。ヘム様がいない今、リリ様の参戦は外せない要です」
「メリさんじゃいかんの? メリさんも同じぐらい強いなら」
「同じぐらい強いではダメなんですよ。此方は、人質がいる。不利なんです」
「……そっか。そうだよな……」
まるで駄々を捏ねる子供の様だと自分の事を思う。
何も考えずに、頭に浮かぶ言葉だけを我儘に吐き散らかして。
「……ごめん」
そんな事、メリさん達は何十回も考えてる。
しないり理由もちゃんとあるのに。当たり前なのに。
「俺、馬鹿だから……」
俺よりもメリさん達の方が桃ちゃん達を大切に思ってんのに。本当っに馬鹿じゃん。
「……ハチ様。貴方は、馬鹿だと僕と思います」
「……うん」
「けど、僕は……、少しだけですが。少しだけ、馬鹿すぎる貴方に救われたんですよ」
「……え?」
俺に?
何で?
「差し伸べられる手は、馬鹿な方が丁度いいんです」
「どう言う事……?」
「……下らない経験談ですよ。そろそろ、第二陣が来ますよ。準備はいいですか?」
「へ? 全然わかんないんだけど!」
「分からなくて結構。貴方如き人間に、上級種属である僕を理解して欲しいなんて微塵も思いませんから」
凄ぇ気になるんですけどー!
「メリさーん! 教えてよー!」
「嫌です」
「えー!?」
その時だ。
「随分と、きな臭いな」
店の扉を、魔取の本郷って言うおっさんが開けたのは。
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