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第17話

「えー? リコリス自身が? はぁー? 何それ。計画破綻してんじゃんっ!」  お菓子を食べながら、ロザンは携帯に向かって頬を膨らませる。 「何だよー。無理無理。俺の出番ないね、それ」  電話の向こうでは何か喚いているが、それはロザンが知ったと事ではない。 「折角木のサキュバス攫う為に動いたのにさー。意味ないじゃん。あー。無駄骨って奴? 一番最悪なんだけど」  純粋に気分が悪い。ありえない。自分が動いたと言うのに、無駄骨だったなんて。  動いた動力を丸々返して欲しい気分だ。 「人間って本当馬鹿ぁ? あんな大々的に言いふらす必要ないでしょ? ばっかじゃない? あー、嫌だ嫌だ。糞虫達の脳みそ、小さすぎ。利用価値もないとか信じらんないんだけど!」  まったく。  理解に苦しむ。  そんな人間になりたいって言うヘムロック共々。意味わかんない。 「鬼喜もシカトしなよー。 えー? 仁義に欠ける? 何言っちゃってんの? そんなもん、人外が最初から持ってる訳ねぇーだろ」  ロザンは赤い舌を出す。 「うんうん。それはさ、鬼喜の良い所だと思うよ? うん。俺もね。うん。けど、それは次のもっと利用できる奴にあげよ? そっちの方がいいって。今回は手を引く。はい、終わり。次の作戦考えるって。大丈夫ー」  電話の向こうでは子鬼が喚き散らすが、これ以上の相手は面倒くさい。  する気も元々ないが。 「じゃーね。バイバイ」  まだ何か言いかけている電話を切ると、ロザンは携帯をソファーの上に投げ捨てる。  作戦が上手くいかなかった。  実に面白くもない。  ヘムロックが彼の近くにいないと言うまたとない機会を、人間側の失敗で見す見す逃したのが何とも苦やましい。  しかし、このロザンという吸血鬼は動く事以外にも頭を動かす事も酷く億劫と思うのだ。  後悔、反省、自責、他責。  考えようとすればする程、どうでも良くなる。  面倒くさいのだ。  興味もあり、やらねばならないとは思うが、それだけ。それ以上も以下もない。  しかし、酷い面倒くさがりな癖に、命の放棄はそれに入らない。  だからこそ、ヘムロックの計画を一番忌々しく思っているのも、彼なのだ。  吸血鬼と言うものは、存在だけで随分と楽な種族だ。事、この人間が蔓延る世界においては、その存在は群を抜いている。  そう。楽して生きれる種族だと言うのに。  それを放棄して死ね。と言う王など、最早王ではない。  ならば、その愚かな王を止める為に全力を出し切って、ヘムロックに戦いを挑む。  そうすれば良いのではないか。  皆、そうして来た。  誇り高き吸血鬼達はそうしてきて。  かのチェスタロス卿も。  だが、彼は鼻で笑うだけ。  馬鹿を言えよ。無駄骨は嫌いだと言っただろう?  ヘムロックと戦ったとしても、こちらに得るものは何もないのはよくわかっている。  そもそも、勝てるはずがない。  相手はあの化け物。全世界の敵と言っても過言ではないヘムロックだ。そして、その化け物は全世界が敵に回ったとしても、何の意味も持たない程の化け物だと来ている。  正面から言っても無駄骨は愚か、無駄死にするのは間違いない。  そんなもの、馬鹿馬鹿しくてごめんだね。  だから、ロダンは策を練った。  どうせ、ヘムロックに説得、力技は通用しないのだ。それ以外の方法を選別するしかない。  そこで彼が目をつけたのは、ヘムロックの愛犬であり寵愛の細君、ハチだ。  ハチは調べた所至って普通の人間。脅威なんて何処にもない。ロザン達吸血鬼に取っては犬と言うよりも虫以下の存在である。  そんな彼にヘムロックが人間になると言う目的を止めてもらえば、皆んなハッピー。ロザンは死なないし、吸血鬼が滅ぶ事もない。  しかし、ハチをそのまま説得するには随分とリスクが高すぎる。  いくらハチ自身が虫以下でも、背後にいる化け物の存在は無視できない。  犬である癖に、あろう事かヘムロックの寵愛を受けているこの世で唯一の存在なのだ。  下手にハチに接触すれば、説得は愚か口を聞く事すら叶わなくなる。  そんな博打を打つほど、ロザンは愚かでも無ければ自分の脳みそを過信出来る訳がなかった。  ならばどうするか。  そもそもの問題はヘムロックが人間になる事ではない。  人間になりたいのなら、なれば良い。ヘムロックがいない世界を望む奴らは五万といる。逆に人間になればロザン達吸血鬼にとっても喜ぶ以外の選択肢はないのだ。  同族にとっても、ヘムロックは随分な障害に他ならない。  彼は同族に対して抱く気分に、決して仲間意識なんてものはカケラもないのだから。  彼にとっては、他種族、それも底辺である種族と何ら変わりなく吸血鬼を見ている。つまり、ゴミと同じなのだ。  そんな奴から恩恵なんて受けるものは一つもない。  出来れば、人間になる夢を抱いたまま、吸血鬼の絶滅を防げれば言う事がない程のハッピーラッキー。  つまり、どうするのか。ヘムロックが吸血鬼を生贄に捧げる事を諦めさせればいい。  何も生贄は吸血鬼でなくても問題ないはずだ。  ただ、ヘムロックが近場にあって思いついただけの生贄候補。それだけ。  ならば、生贄の候補から吸血鬼と言う種族をヘムロックに外してもらえればいい話。  そこで、件のハチの利用価値が出て来る。  問題はどう利用するか。  簡単だ。  ハチを吸血鬼にしてしまえばいい。  ヘムロックはハチを殺せない。ハチを殺せないならば、かれが吸血鬼になった時点で生贄候補から吸血鬼と言う種族は消え去る。  実に簡単な話だろ?  しかし、問題は一つ。普通に生きてた人間が吸血鬼になりたいと思う場面はそうそう無い。  恐らく、ハチだって。  だから、今回の件をロザンは企てたのだ。  仲の良いサキュバスを救えない自分の無力さを痛感し、力を求めれる様に。  だが、その計画はリコリスの出現により破綻する。まさか、たかがサキュバスの雑魚相手に王直々に出て来るだなんて、思ってもみなかった。  ハチに力なんて、必要とする場面などリコリス一人で容易に片がつく。  だからこそ、彼女の登場でこの計画は破綻したのだ。 「あー。ついてなーい」  ロザンはお菓子を口に放り込みながらため息を吐く。  はて、さて。  本当に、彼はついていないのだろうか? 「メリさーん! リリさーんっ!」 「ハチ様」 「おや、ハチ君じゃないか。そんなに急いでどうしたんだい?」 「見ればわかるでしょ!? 桃ちゃん助けて来たんだけどさっ! 糸取れない!」 「おやおや。桃花を抱えて此処迄走って来たのかい? 待っていれば迎えに行ったのに。随分とご苦労だったね」  よしよしと、リリさんが俺の頭を撫ぜる。 「だって桃ちゃんこんな状態だよっ!? 早く助けてあげんと!」 「はは。見事な達磨になっているね。どんな姿でも君は美しいよ、桃花。でも、人間達に勝手にされるのは頂けないな。どれ、こっちへおいで」  俺の腕からリリさんが桃ちゃんを攫う。 「ふふ。こうしていると、随分と可愛いお人形じゃないか。部屋に飾りたいぐらいだよ。でも、可愛いだけじゃ、サキュバスは務まらない。可愛いお人形から、全てを食い尽くす女に戻りな。桃花」  リリさんが桃ちゃんに手を翳すと、糸が一人でに解けていく。  ゆっくりと、桃ちゃんの目が開いて俺を見る。 「メリ、ハチ君を休める場所に案内してやってくれ」 「はい」 「え? 何で?」 「君も疲れているだろ? 少し休みなさい」  りりさんがそう言うと、メリさんが俺の手を引いて肉の部屋を出る。 「俺、疲れてないよ?」 「疲れてるとは思いますが、それ程だとは僕も思いませんよ」 「え? じゃあ、何で?」 「桃花は今から再生に入るからでしょう。封じられた箇所を再度再生させる為にリリ様が貪り取る。その姿を貴方に見せたくないからじゃないですか?」 「俺、平気だよ?」 「貴方はね」  メリさんは手を離すとタバコを一つ取り出した。 「でも、桃花はそんな姿を貴方に見せたくないと思いますよ」 「何で?」 「貴方のこと、気に入っているから。そんな相手に無様な姿を見せたいと思う者は少ないんじゃないです?」  俺から少し離れると、爪先に火を灯したメリさんが俺を見る。 「……そっか」  そんな事、考えもしなかった。 「再度貪り取る苦痛の苦悶を、貴方には見せたくないのでしょう」 「俺、本当に自分の事、ばっかだね」  情けない。  反吐が出る。  自分を含めた人間と言う生き物に。 「……何かありましたか?」 「え?」 「何かあったのかと、聞きました」 「いや、聞こえてるけど、さ。何もないよ? 何かって、何?」 「何もないならいいです」 「また思わせぶり? ちゃんと説明してよー! 気になるじゃんっ!」 「何もないなら、何も無いですよ」  白い煙を吐き出しながら、メリさんが俺から視線を外す。 「貴方は貴方の仕事を全うした。それ以外は、どうでもいいでしょ。僕たちには結果が全てです。その過程に何があってもそれは他人に踏み入れるものではない」 「……何しても?」 「何しても。ズルしてもいいんですよ。僕はそういう小賢しいクズは心底嫌いですが、生き方としては認めています。生き抜くことは、難しいですから」 「強くても? メリさんみたいに強くても難しいの?」  力が、欲しかった。  何もできない凡庸な人間の自分に嫌気がさす。  もし、俺が吸血鬼になったら、変わったの?  もし、俺が力を持っていたら、変わったの?  もし……。 「……難しいですよ。僕だけじゃ無い。ヘム様を見てください。あれ程の力がある彼は、それを捨てて人間になろうとしているじゃないですか」  俺は目を見開く。 「リリ様だって、あれだけの力を持ってしても皆んなを平等に守れない。生き抜く事は容易じゃ無いんです。力なんて、ただの通貨でしかない。自分以上に通貨を沢山持っている奴には敵わないし、通貨を必要としない場面なんて腐る程ある」  力がない俺と力がある俺。 「力持ってても、変わんない気がしてきた……」  俺が俺である以上、何一つ変わらないんだ。 「そんなもんですよ、人生なんて。生きるって、そういう事なんですよ。人外だって人だって、変わらない。僕の家族はリリ様とヘム様に全員殺されました。幼かった弟も、妹も。それは確かに力が無かったかもしれない。けれども、それだけじゃ無い。吸血鬼と言う種族がダメだったんです」 「……メリさん、吸血鬼である事、誇りに思ってたんじゃ無いの?」 「誇りですよ。でも、それ以上に。駄目なんですよ。駄目なものは駄目だと思うのも、誇りです。吸血鬼は、長い間最強の種族と言う名のぬるま湯に浸り続けてしまった。長くぬるま湯に浸り続けていた種族は滅びるしか無い。進化も思考も全てが退化する。それを彼らは分かりながらも進まなかった。僕は滅びて当然だと思っています」 「いけない事、なの?」 「それは、誇り高き種族への冒涜ですよ。我々が進化し続けていたなら、たかがヘムロック如き恐る事は無かった。ヘムロックが我々を滅ぼすのは当然です。だって、我々は彼に追い付く事全てを破棄しているんですから。吸血鬼を名乗るのも烏滸がましい。僕はね、吸血鬼に見捨てられた吸血鬼なんですよ」  白い煙が、上へ上へと上がっていく。 「唯一生き残った僕に手を差し出す吸血鬼は誰もいなかった。ヘム様が僕を引き取ると宣った時、あれほど非難していた同族達は誰もが口を継ぐんだ。生贄は、決まったのだからそれ以上は良いだろう。そう言いたげな彼の顔を僕は一生忘れませんよ」  忌々しそうな顔をして、メリさんが煙草の火を握りつぶす。 「誰も、味方にならなかった。味方の様な事を散々言っていた奴等でさえも。僕よりも力は強い方々ばかりなのに。見捨てられたんですよ。僕は。全吸血鬼に。今思えば、誰も口では言うだけで、手なんて何一つ差し出してくれなかった」 「……でも、それはメリさんがもっと力があったら解決したんじゃないの?」 「と、言いますと?」 「メリさんがヘムさんぐらい強かったら、家族は死ななかったし、他の吸血鬼達だって本当に助けたかも」 「はは。子供の様な事を言いますね。あ、子供か……」  メリさんは、ふぅとため息を吐くと、俺の肩を掴む。 「そんな訳がないでしょう? 僕以外は全て一緒なら、僕がヘム様に成り代わるだけです。新しい僕の知らない僕が出来るだけですよ。だって、吸血鬼は既に終わってるんですから。僕だけ強くても、意味がないんです。人間だって、貴方だけが強くなっても人間の愚かさは何も変わらない。新しい貴方の知らない貴方が何処かで出来上がるだけなんです」  メリさんの言葉が、俺の胸を打つ。 「強くなりたい? 吸血鬼になりたい? 止めませんが、貴方はそれでどうするんですか? 貴方の世界は、それで変わりますか?」 「……わかんない。けど、俺、人間が嫌いだ……」  一度は閉じようとした扉が、メリさの言葉で開きだす。  何かが、気持ち悪い何かが、溢れ出す様に。 「桃ちゃんを、あんな事する人間が憎い。怖い。気持ち悪い。けど、俺は人間で、一緒なんだよ。アイツらと、何一つ変わらないんだよっ!」  吐き気がする。  そんな人間である自分に、吐き気がするのだ。 「人間、やめます?」 「やめたい」 「僕が吸血鬼にしてあげましょうか?」 「なりたい」 「良いですよ。だけど、吸血鬼になれば貴方は簡単に人を殺せます。先程の様に思い止まれない自分を、受け入れれますか?」 「っ!」 「知ってますよ。あれほど殺意が溢れていたら、結界すらも越えてきます」 「そ、そっか……」  はは。俺、本当かっこ悪い……。 「し、知ってたのなら、先に言ってよ! めっちゃ、恥ずかしいんだけど! えー? これ、みんな知ってんの? マジで? もう、お嫁に行けないやつじゃん! もう、逸そメリさんも笑ってくんない? 恥ずかしすぎて……」 「無理して、笑うな」  むぎゅっと、両頬を指で挟まれる。 「空元気、するな」  だって……。 「どんな顔していいか、わかんないもん……」  涙が溢れて来る。 「俺、殺せなかった……」  アレだけ、怒ってたのに。  アレだけ、憎いと思ってたのに。  桃ちゃんに対しても、水仙さんに対しても、ダリアさんに対しても。  俺が大切に思ってた人たち全てを、震えた手は裏切った。  皆んなの仇、取るんじゃなかったのか? 「普通、怒りに我を忘れて殺せるんじゃないの!? 本当に憎いと思っていたら、殺せるんじゃないの!? 俺、人間の事、憎いと思ってないの!? アレだけの事をされてるのに、許してるの!? ねぇ! メリさんっ! 教えてよ……っ」  所詮人間は、人間でしかないの? 「……そんな事、僕が知りませんよ。それは貴方の問題だ」 「皆んなを裏切ったんだ……」  人間だから。  自分が人間だから、人間の肩を持ったんだ。  だから、殺せれなかったんだ……。 「……殺す事が報いになるのは、人外だけですよ」 「俺が人間だからっ!」 「そう。貴方はね、人間なんです」  メリさんが俺の頭を掴む。 「貴方は、人間だ。力を手に入れようが、吸血鬼になろうが、どこまで行っても、貴方は人間から生まれた人間なんです。その事実は変わらない」 「っ」 「けど、我々はその人間である貴方が好きですよ」  メリさんが俺の手に大きな手を被せた。 「思い出せますか? 貴方が人間であっても、我々は貴方に好意を抱いて接していた事を。リリ様は貴方を助けたし、僕は貴方を願いを受け入れた。桃花は貴方と笑顔で話し、水仙は貴方を愛称で呼んだ。ダリアは自分の身よりも貴方を案じ、撫子は貴方の手を大切に握り、ネモは貴方の席をいつでも設けていた事を。そして、ヘムロックは、貴方を愛し守り慈しんでいる事を」  俺は……。 「人間だとか、種族とか、力とか、全部関係なく皆んな貴方が好きなんです。貴方の人柄が好きなんです。人を殺せないから裏切った? 人間だから駄目? 思い上がるのも大概にしろ。このクソガキがっ! そんなもんより、皆んなお前が好きなんだよっ! そんな事も分からんガキが一丁前に一人勝手に他人の願いを決めるんじゃないっ!」  だって……。 「でも、俺は人間だから……」 「この先も、そう思って貴方は涙を流す事になります。この問題は未来永劫解決しない。貴方が人間でとして人間と産まれた限り、永遠に。でも、これだけは覚えておくと良い。種族なんて僕たちは誰一人気にしませんよ。個は永遠に個です。貴方は、人間である前に、貴方でしかない。貴方でしかない貴方を、僕たちは愛し続けましょう」  メリさんは俺を抱きしめて、囁いた。 「例え貴方が、人間を殺しても殺さなくても」

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