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第18話
「入力終わりましたー」
「チェックは?」
「多分大丈夫だと思います……です」
「最後のですは要らないです」
「うっす」
「はい、でしょうに。仕事している時には、言葉遣いは正しく。今日のホテルの予約はどうなっていますか?」
「二件とも完了してます。一件は、客側指定なので場所確認のみ」
「他のサキュバス達の予約状況は?」
「桃花と撫子が休み。残り二人が出勤で七時から予約入ってます」
「同伴はなしですよね?」
「うっ……じゃないや。はい」
「宜しい。今の時間は?」
「昼の二時半、です」
「昼休憩入って良いですよ」
「メリさんは?」
「僕はこのまま確認を続けますので」
「飯食わんの?」
「食べてる時間がおしいのぐらい、わかるでしょう?」
クソでかため息を吐かれると、これ以上は何も言えない。
慌ただしい日常が高いビル様に立ち並ぶ目まぐるしさ。
桃ちゃん救出から二日。
もう、俺の周りは日常に戻っている。
攫われた桃ちゃんだって、本当にいつも通りで、無理していないのか心配になったけどサキュバスってそんなものだもんって皆んな口を揃えて言うんだから、気にしてるのは多分俺ぐらいなんだろうな。
そんなものに未だ慣れない自分への嫌悪は、いつになれば消えてくれるのか。
リリさんも、メリさんも、日々を日常に戻す為に目まぐるしく働いている。
たった数日、仕事が止まっていただけだと言うのに。
普通の人間みたいにドタバタと。
かく言う俺も、日常に戻って来てる。
そう。俺も例外じゃないんだ。
溜まりに溜まった仕事をメリさんと一緒に崩す日常に。
色々な事があり過ぎて、感情も大いに迷子だっ癖に過ぎて仕舞えばなんとやらだ。
でも、頭だけは嫌にあの事を引きずっている。
それでも。
それでも。
俺は今日も元気に人間をしている。
悲しい程、何もなかった様に。
「……取り敢えず、コンビニ行って来ます」
「どうぞ。あ、電話出てから行ってください」
「りょーかい」
タイミングの悪い電話を睨みながら、俺は受話器を持ち上げた。
「有難う御座います。此方リ……」
『ハチ君かい?』
「あ、リリさん。お疲れ様です」
『ああ、君もお疲れ様。今し方終わったから、迎えの扉をメリに頼んでくれるかい?』
「分かりました」
リリさんは溜まった予約を掃く為に、朝から晩まで仕事を詰め込んでいるが、疲れた素振りすら見せはしない。
愚痴ってる所も見た事ないし、リリさんって本当凄いよね。
「メリさん、リリさんから。今終わったから扉出してって」
「分かりました。今出します」
「リリさん、メリさんが今扉出すって」
『ありがとう』
それだけ言うと、電話は切れてしまった。
次の予約は……。
「……メリさん、俺リリさんの部屋の風呂溜めてからコンビニ行くね」
「そうですね。時間はありませんし、お願いします」
「メリさんのも何か買ってこようか?」
「結構です」
「……うっす」
「はい、でしょ?」
「はいっ!」
そして、なんか知らんけど、メリさんとの心の距離も日常に戻ってしまった。
別に良いけど。
「……甘え過ぎたなぁ」
別に良いけどって言っておきながら、まあまあグズグズ悩んでいる俺がいる。
別にいいと思うよ?
特殊な状況下だったじゃん?
そりゃ、何か、あれだよ。吊り橋なんとかって奴? になっちゃったりとか、しちゃうじゃん? うん。それだったんかな。
だから、日常に戻ればいつものメリさんに戻ってもおかしくないでしょ。
とか、頭では思うんだけどなぁ。
「……面白くないんだよなぁ……」
けどさ、心がさ、納得出来ないんだよね。
結構、心開いて貰ったよね? 仲良くなったよね? とか、思う訳ですよ。ええ。
ま、俺の勘違いだけかもしれんけどさ。
あの言葉に、救われた俺がいるんだよ。
皆んな俺の事好きだって。人間である俺を受け入れてくれてるって。
そうなんかな?
そう思っていいのかな。そんな言葉もでない程、抱きしめてくれたのに、だ。
今がアレ。
最初の時とそう変わらん対応。
何か面白くないんだよね。
「ハチくーん!」
「あ、桃ちゃん」
コンビニ前でココアを飲んでいると、買い物袋をぶら下げた桃ちゃんが大きく手を振って駆け寄って来た。
「仕事終わり?」
「んにゃ。昼休憩中」
「はぁー? 今、三時よ?」
「忙しいんだよ。色々あったしさ。俺よりも多分メリさんの方がヤバいって。あの人、この二日間、寝てないよ?」
「えー? 吸血鬼だから、余裕でしょ?」
「そんなもん?」
「そんなもんだって。私達雑魚サキュバスだって、一週間ぐらい寝なくても平気だし」
「うぇー。絶対俺なら死ぬじゃん」
「人間って、そう言う生き物だもん。仕方がないよ」
「人間って、そう考えると不便だよね」
体と魂が繋がってる種族。
俺の中での人間の立ち位置なんて、そんなもんだ。
「そりゃね。百年ぐらいしか生きれないでしょ? そうなるって。私達サキュバスでも寿命は五百年ぐらいあるし」
「リリさん、千歳超えてなかったけ?」
「リリ様は別よ。ずっと力の温存できるし。多分吸血鬼並みに生きるんじゃない?」
「吸血鬼の寿命て、どうなん?」
「永遠」
桃ちゃんがペットボトルを取り出しながら何気なく途方もない事を言い出した。
「永遠?」
「そ。永遠に生きんの、あの種族は。けど、歳をとる毎に普通は弱体化するから狩られて死ぬ事も多いから強くなくちゃ生きていけないけどね。千年超えたら、普通の吸血鬼なら私達並みに弱くなるよ」
「弱肉強食だ……」
「どの世界もそんなもんよ。人間はスパンが短いだけで、やってる事は同じでしょ? 私達には病気って概念はないけど、他種族って概念があるからね。人間も歳を取ると病気に罹りやすいじゃない? 私達は多種族に狩られやすい。それに置き換わる感じかな」
「桃ちゃんはさ、他種族になりたいとか思った事ある?」
何となく、そんな疑問が口をつく。
「他種族? 例えば吸血鬼とか?」
「そ。でも、ないよね。ごめん。忘れて?」
人間ならいざ知らず、サキュバスだしな。
サキュバスなら、あんな事しないし、自分の種族を嫌うなんて事、なさそうだし……。
「え? 何で? めっちゃあるよ?」
だけど、桃ちゃんは首を傾げながら肯定の言葉を口にする。
「えっ!? あんの!? サキュバスやめたいと思ったこと、あんの!?」
すごく以外。
だって、皆んなサキュバス好きじゃないの? 皆んな仲良いじゃん!
「あるある。死ぬ程あるし、昔はずっと思ってたし。私は……、うんん。あそこに居るサキュバス全員、皆んなが皆んな、サキュバスの事滅ぼしたいぐらい恨んでると思うよ。サキュバスって言うか、淫魔って言う種族を」
「何で……?」
だって、皆んな……。
「勿論、あの店にいるサキュバスは好き。だけど、外にいる淫魔は嫌い。私達ね、皆んな育児放棄されたサキュバスなの」
ふと、桃ちゃんが下を向く。
「え?」
育児放棄?
「サキュバスの子供は、皆んなインキュバスって男の淫魔が育てるんだけどね、気性が合わなかったり、著しく弱かったり、インキュバスの手に負えないサキュバスは育てるのを放棄されるの。何も知らない世界で一人っきり、捨てられるんだ」
「そんな、酷くない!?」
「酷いよ。酷いってもんじゃない。まだ自分の力で歩けすら出来ない赤子を、アイツらは簡単に捨てんの。そして、捨てられた赤子を誰一人助けない。サキュバスもインキュバスも、見て見ぬふりをして素通りしてくの。最低でしょ?」
「うん……」
いつも明るく笑う桃ちゃんが、真剣な顔で手に持っているペットボトルを握っている。
「私は、運良く死ぬ前にリリ様に拾われた。けど、隣にいた私の双子の妹は、間に合わなかった」
「妹、居るの?」
「うん。居たの。梅の花から生まれたサキュバスが。アイツらに殺された様なものだよ。私たちの事、助けなかった淫魔達に……っ」
「桃ちゃん……」
なんて言葉を掛けていいか、わからなかった。
俺から言い出した言葉なのに。
「あの店に来ても、最初はリリさんも嫌いだったよ。もう少し早く来てくれたら妹は死なずにすんだのにって、お門違いな事で恨んで。全ての淫魔を殺す力が欲しいって、毎日考えてた。だって、生きる価値も、存在する価値もないじゃない。あの薄汚い売女達を嬲り殺せたらって」
俺も、同じ事、考えてた。
「吸血鬼になれたらって、思った事もあったかな。メリ様がいたし。吸血鬼の強さはよく知ってるし」
桃ちゃんはじっとペットボトルを見つめたまま。
「でも、なれないじゃん。例え吸血鬼になって、恨みを晴らしたところでさ、私はサキュバスに捨てられたサキュバスだった過去が変わる訳じゃない。妹が蘇る訳じゃない。それに、あの頃の私は私一人が不幸だったしね。リリ様の事も皆んなの事も受け入れられない状態だったんだよ。でも、さ。今は思うよ。私、世界知らんかっただけだなって。サキュバスにも人間にも、他の種族にも色々居るって、知らなかったの。何も知らなかったから」
桃ちゃんは笑ってペットボトルの蓋を開ける。
「赤ちゃんで捨てらたなら、知らなくて当然じゃん」
「うん。私もそう思うし、滅ぼしたいって思ってた事は別に恥でもなんでもないし、今だって妹を助けずに素通りしていた淫魔達は殺したいと思う。そこは譲れないし、譲らない。でも、リリ様の事は恨んでないし、純粋に感謝してる。皆んなにも嫌な態度最初は取っちゃったけど、今はかけがえのない仲間だと思ってる。あの時、水仙もダリアも、最後まで私の事を庇ってくれてたの。一番弱い私なんて、さっさと見捨てればいいのさ、馬鹿でしょ?」
「そんな事っ!」
そんな事なんて……。
「馬鹿だよ。私含めて。サキュバスにも色々居るって言ったでしょ? でも、仲間意識を持つサキュバスは少ないんだ。私達みたいに。基礎を教え込まれたサキュバスは基本一人で生きていくからね。もし、私が普通にサキュバスとして生きてたら、こんな感情持たなかったかも。けど、それを後悔なんてしないし、無かったことにはしたくない。馬鹿だと思うけど、馬鹿だっていい。私だって、水仙やダリア達が同じ事をされそうになったら命ぐらいかけれる。馬鹿でも、それを私は誇りだと思える程、皆んなに世界を広げて貰ったの。ま、それぐらい皆んなの事、好きだしね。勿論、ハチ君もっ! もう、私達は君の事仲間だと思ってるよ?」
「でも、俺……」
「人間殺せれなかった事、後悔してんでしょ? 耳は聞こえてたからね。知ってる。けど、殺しても殺さんでも、どうでも良いよ。君に助けられた私は、助けられた事実と、本気で怒ってくれた事実の方が大事。ハチ君も、人間を沢山見た方がいいよ。色んな人間いるよ? 殺したい奴から、生かしたい奴。本当に色々。それから、人間滅ぼしたいとか、殺したいとか決めな?」
「何で?」
「私がサキュバス滅ぼすのやめた理由は、サキュバスの中にも死んで欲しくないサキュバスがいるからって単純な理由なの。君にも出来るかもね。人間にもいい奴はいるんだって心の底から思える相手は」
「……そんなの、いるのかな?」
想像がつかない。
人間なんて、皆んな……。
「何言ってんの! 吸血鬼もサキュバスも昼間っから闊歩しまくってるでっかい世界なんだから、探してみないと分かんないって。そんで、探し終わってから、後悔してよ。あの時、やっぱり人間殺しておくべきだったなって。そん時は一緒に人間滅ぼそ? 私単独なら、リリ様にも迷惑かかんないしさ」
ニカっといつもの様に明るい笑顔が彼女に灯る。
俺は、何も知らない。
まだ、座敷牢に閉じ込められたままの俺のままだ。
「……そうだね。そん時は、ヘムさんも巻き込もうぜ」
「そうなって来ると、私要らなくね?」
「あはは。じゃ、俺も要らんね」
広い海を、井戸の中の蛙はまだ知らない。
「まあ、あの男はそんなもんよ」
「何か距離感凄くで、結構凹む。俺の事好きじゃないの!?」
「ツンデレだもん。あの人。知ってる? あそこに居るサキュバス全員、初恋はメリ様なんよ?」
「えっ!? 嘘っ! 桃ちゃんも!?」
「うん。めっちゃ振られてる。最後に優しく抱き締められただけで儚く散ったね。ダリアなんて振られて半年寝込んでたから」
「スパンが長い」
「あの人さー、普段冷たいくせに情に厚いじゃん? 隠すのクソ下手だしさぁ。何だかんだで私たちの事大好きじゃん? 仕事のフォローも率先するし、生活面でのフォローも忘れない。口煩いけど、その向こうでうちらの事心配してるからってのバレバレさ。好きにならん訳なくね?」
「あー……。わかる」
めっちゃ、分かる。
「勘違いするサキュバス続出なわけよ。で、振られる。皆んな一度は通って来るから、皆んな生優しい目で見て来るしね。あれは、普通に後悔だわ」
「それは後悔するんだ」
「するする。だから、別にハチ君の事嫌いになったからとかじゃなくて、普通にツンに戻っただけだと思った方がいいよ。あの人、嫌いになる事出来ない人でしょ?」
「ツンデレってわかっててもさー、まあまあショックだよね。俺もメリさんに初恋しちゃったんかなぁ」
「は? 対メリの初恋なめんなよ? そんなもんで終わる訳ねぇーだろ。ココア飲み干して奴が言ってんな」
「桃ちゃん、キャラ変わってるじゃん」
そんな地雷なん?
「キャラ変わるっつーの。こちとら何人泣いて飯食えんくなったサキュバス見てると思ってんのよ。ハチ君のはどう考えても、近所の猫が最近嫌に撫ぜさせてくれるようになったのに、また撫ぜさせてくれんくなったと思ってるレベルじゃん。そんなんで初恋とか言われたらお姉さんだって怒るし。それに、多分アレよ?」
「何?」
「君が手を差し出さんくなったから、撫ぜられにこんだけ。このドタバタ終われば、また寄ってくるって」
「そう?」
「そう言うもんだって。ほら、ジュースそれでいいの? コーヒー飲めたっけ?」
「これ、メリさんに。何もいらん言われたけど、缶コーヒーならいつでも飲めんじゃん?」
「給食のパン、猫にあげるやつじゃん」
「何それ?」
「いや、本当に猫だと思ってさ」
何だそれ。
「猫ねぇ……。猫っていうよりは、弟が出来たって感じかも」
「メリ様が? ハチ君の? 三百歳ぐらいだよ? あの人」
「いや、でも何か、赤ちゃんっぽいじゃん?」
「わからんけど」
「俺がしっかりしなきゃって気にさせてくれるって事」
「どっちにしろ、やっぱり初恋じゃないじゃん」
「はは。初恋の方が、マシだったかもって気分だからかな。俺以外に色々考えて悩むの好きかもしれん」
「ドMだ」
「何でそうなんの? あ、桃ちゃん今何歳?」
「え? 女子に年齢聞く? 別にいいけど。三十六歳」
「え、若っ!」
「二桁ってだけで、そうなるよねー。因みにダリアなんてまだ二十八だよ?」
「若っ!」
「で、私の年齢がどうしたの?」
「煙草買えるかなって」
「子供が吸うには数年早くない?」
「俺じゃないって。メリさんに」
結局、メリさんの指摘通りに俺は人間かどうかを一生悩んで悔やみ続けるわけで。
俺が吸血鬼になろうが何しようが、それ付き纏う。
かと言って、素直に受け入れれる訳もない。それを抱き締めたまま生きるのは無理がある。
でも、それが悪い事ではないと、桃ちゃんに教えて貰った気がした。
「俺、メリさんに結構甘えてたからさ」
メリさんだけじゃない。質問の答えを返してくれる大人たち全員に甘えてた。
答えなんて、無いことの方が多いって事、知ってるのに。
「ちょっと挽回したいじゃん?」
俺は自分が不幸だとは思わない。運はないけどさ。けど、それは不幸とはまた別の問題。
不幸じゃない事に、随分と甘えていた訳だ。
「ま、そういう事なら買ってあげる」
「あざーっす。二百八十三番お願いしまーす」
「ハチ君見てるとさ、私種族なんて関係ないなって思えて来るよ?」
「え? 何で? 煙草違った?」
「そう言うところだぞー?」
え? だから、何でってば!
人外言葉足りんの何なん!?
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