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第20話

「あら、お電話は終わり?」  呆然と、写真を見入るヘムロックの後ろから老婆の声がする。  どうやら、襖を開けた音さえ彼には届かなかったらしい。 「……ええ。急に呼び出されてまして、東京に今から戻る事になりました。お茶を頂いたのに大した礼も出来ず、申し訳ない」 「あらあら、大変ね。いいのよ、気にしないで」 「いえ。そう言うわけには……。そうだ。あのお写真に映っている方が貴女のご先祖様ですか?」 「え? ああ。ええ、そうなの。男前でしょ?」 「ええ。本当に」  自分の隣に立っていた時よりも、知らない所で歳を重ねて随分と男前になりやがって。 「お隣は奥様ですか?」 「ええ。周りにいるのが息子と娘達で、私の祖父はあの赤ん坊」 「はは、随分と父親に似てらっしゃる」 「こんな古い写真じゃわからないでしょ?」  その言葉に、ヘムロックは少し笑った。 「まさか。此奴の顔は産まれて直ぐに見た顔なものでね。分かりますよ」  何百年、隣にいたと言うのか。   「え? ……何を?」 「お嬢さん、お茶のお礼を一つ。此奴の金髪の男の名前はラギフ・アギレフ。今で言うリトアニアの出身だ。そして、私の兄でもあり、親友でもあった男だよ」  そして、一人で勝手に吸血鬼を辞めて人間になった唯一の男だ。 「……何かの、冗談? この写真だって随分と昔のよ? 貴方が……」 「そう思いたいなら、思っていいよ。冗談だって何だって。だけど、私とリリしか此奴の名前を覚えていないのも親友としては心苦しいじゃん? お嬢さんさえ良ければ、覚えててやってよ」  ヘムロックは老婆の頭を撫ぜる。 「そんで、長生きしなよ。可愛いお嬢さん」 「……貴方は、何者なの?」 「あはっ」  ヘムロックは大きく笑って老婆に背を向けた。 「言ったじゃん。其奴の、弟であり、親友だって。君の強引な所、人の話を聞かない所、滅茶苦茶ラギフに似てたよ。写真、大切にしてくれて有難う。じゃあね、お嬢さん」  ヘムロックは手を振ると、背後も振り向かずに歩き出した。  老婆は急いで廊下に出たヘムロックの後を追うが……。 「いない……?」  廊下には既にヘムロックの姿は何処にも無かったのであった。 「ラギフ……」  そして、老婆はそう呟くと写真を見上げた。  会ったこともない自分の祖父の父。  その弟であり、親友であると言った美しい青年。  一体、二人は……?  いや、でも。  老婆はその場で蹲り、涙を流す。   「名前、教えてくれて有難う……」  届かない言葉を、囁いた。 「マジで人間になって、子供まで作ってるとか、本当彼奴面白いな」  そんな老婆の後ろ姿を影の中から見つめて、ヘムロックが一人笑う。  そして……。   「本当に、面白くて馬鹿な奴……。俺も含めて、吸血鬼は馬鹿しかいのか? そりゃ、滅びて当然だ」    そう言って真っ暗闇の影の中の中へと姿を消した。  ヘムロックとリリだけが知っている。  一人の吸血鬼が、この遠い地で人間になったと言う事を。  ああ、ラギフ。  本当に俺たちを捨てて、幸せになったのか。  本当に、なんてずるい男なんだよ。  お前は。 「お、終わった……っ!」  ぐったりと机の上に顔を乗せて倒れると、隣からライターの音が聞こえる。  何とかダブルブッキングをギリギリの所で避けれた俺達は満身創痍だ首を動かすのも辛いけど……。 「……」 「……あ、失礼。移動しますね」 「いや、別にいいよ。ライター持ってるんだって思っただけだし。いつも指先で火出すからさ」 「そんな気にもならないぐらい疲れたんですよ……。お疲れ様でした」 「メリさんもね。そう言えば、吸う時っていつも移動するよね? 何で?」 「タバコは子供には有害ですからね」 「そうなん?」 「煙も吸わない方がいいらしいですよ」 「ふーん。別に有害でもいいよ。長生きする気ないし、多分できんし」  冷たい机が気持ちいい。 「生き急いでますね」 「そりゃねー。これでも、自分の今の現状のヤバさ分かってるつもりだからね」 「ヤバさ、ですか?」 「ヤバいでしょ。ヘムさんの犬になってる時点で」 「自覚あるんですね」 「滅茶苦茶あるって。ま、最初からそうなんだけどさ、俺、あの人に捨てられた時点で人生終わるじゃん? 人間として生きてきてもないし、これからもヘムさんといる限りは俺は多分人間として生きられないし。でも、捨てられたら行成人間の世界に一人っきり。一人でこの世界に生きなきゃいけないんだよ? 生きて行けなくない? サキュバスの赤ちゃんが捨てられるのと、一緒だよ」  桃ちゃんの言葉を思い出す。  それは、いつか遠くない俺の未来の話の様にも聞こえたのだ。 「……捨てられると思ってるんですか?」 「逆に聴くけど、ヘムさんが俺を捨てない理由ある?」  俺にはないと思うよ。 「ヘムさんは俺の事を気に入ってるのは、人間だから。運良く、ヘムさんと一緒にいて生き残ったから。それ以外はないじゃん? でもさ、ヘムさんが人間になれば話は違うよ。ヘムさんも人間として暮らすんだから、色々な人間と接触する。もう、運良く生き残った人間から選ぶ必要もなくなる。そうなると、要らないじゃん? ヘムさんは、ヘムさんを人間扱いする俺が目新しいだけが、それも無くなる。そうなると、ヘムさんに取っての俺の存在意義ってなくない?」  手元に置いておく必要が何処にある? 「……意外に考えているものなんですね」 「馬鹿は馬鹿なりにね」  嫌でも考えるよ。自分の事だもん。 「その時は僕が拾ってあげますよ。と、言いたい所ですが、無理でしょうしね」 「え? 諦めるの早くない?」 「忘れたんですか? ヘムロックが人間になる交換条件に全吸血鬼の命が差し出されるんですよ。僕も吸血鬼ですから」 「あー。忘れてたわ」 「随分と薄情だな」  呆れたため息が、白い煙の向こうに消える。 「でも、リリ様が拾ってくれるんじゃないですか? 貴方のこと、大層気に入ってますし」 「可愛がってくれてるよね」 「ええ。あの人、意外に情には厚い方ですよ」 「リリさんも困ってたら言えって言ってくれてるし、頼れば多分助けてくれる気もする」 「助けますよ。絶対に」 「有難いけど、けど、多分それはちょっと遠慮しておくわ」 「何故? 貴方、生きたいんでしょう?」  まー、そうなるよね。  けどさ……。 「でも、リリさんに迷惑掛けるのもなぁ」 「今更ですか?」 「酷いな。けど、今更だよ。俺、多分さ、ヘムさんに捨てられたらリリさんの所には行けない気がするんだよね」 「何故? ヘム様が人間になれば、リリ様との交友も絶たれますよ?」 「それでも。本当、何でだろうね」  でも、そう思うんだよ。  俺、多分ヘムさん以外に頼れないと思う。 「捨てるぐらいなら、その場で殺して欲しい」 「……は?」 「そしたらさ、滅茶苦茶恨めるじゃん? それぐらいしないと死なない気がするんだよね。俺の忠犬心」  じゃないと、俺は一生、人間の姿をした犬のまま生きるんだから。  そんな人生、クソ過ぎでしょ?  絶対ゴメンだね。 「……ヘム様も大概ですが、貴方も大概ですね」 「あ、それ多分悪口っしょ?」 「勘がいいな、このガキは」 「ヘムさんと並列に並べられる時は大概悪口だと思ってる」 「間違ってない」 「悪口言わんでよ。後輩いびりじゃん?」 「いびってないです。事実を述べたまでですよ。それに、頑張った後輩はいびるものではなく、ご褒美をあげるものですよ」 「ん?」  ご褒美?  俺が首を傾げると、メリさんは煙草の火を消す。 「ハチ様」 「……何?」  メリさんは上着を脱ぎ、ネクタイを外して俺の肩を掴んだ。 「僕の秘密、教えてあげますよ」  え?  ひ、秘密? 「こ、これがメリさんの秘密……」  ゴクリと喉が鳴る。 「秘密ですよ。特にリリ様には」 「俺は、いいの……?」 「これはご褒美です」  メリさんはゆっくりと手を伸ばす。  俺の目は釘付けだ。 「僕と君が頑張ったご褒美ですよ。ヘム様とは出来ないでしょ?」 「ふ、ふぇ……」  ヘムさんとは出来ない事。  う、うわぁ……! 「俺、ラーメン初めて食べるっ!」  目の前にキラキラと煌めくスペシャルトッピングのラーメンを見ながら、俺は負けじと目を輝かせた。  こんなん、テレビでしか見た事ないしっ! 「あの人、こう言うの食べないですよね」 「わかるー! 蕎麦とか食うのに、ラーメン食べないんだよ!」 「歳ですよ。千歳ですしね」 「食べてみたかったんだよねっ! メリさん有難う!」 「早く食べましょう。まだ、仕事はありますし」 「うっす! あ、はいっ!」 「……ここで敬語は結構ですよ。プライベートですしね。ほら、頂きますは?」 「いただきまーす!」  ラーメンっ!  夢にまで見てたラーメンっ!  麺を一口頬張るだけで、俺の目は見開く事しか出来ない。 「う、うまっ!」  何これっ! 美味しずきん!?!? 「や、ヤバい。滅茶苦茶うまい……」 「そうです。美味いんですよ。僕、人間は嫌いですが、ラーメンを考えた奴は少し妥協してやってもいい」 「メリさん、もしかして今迄何も食べないとか言ってて、ラーメンは食ってたん?」 「……そうなりますね」 「ずるっ!」 「はは。でも、今からハチ様も共犯ですよ」  お? 笑った? 「あのさ、メリさん。ハチ様ってのやめん? 俺、別に様つけて貰うほど偉くないし、メリさんには仕事教えてもらった立場だし。呼び捨てじゃダメ?」 「……呼び捨ては、流石に。こちらの王とそう言う関係でしょ? 貴方」 「いや、でも、犬だよ?」 「犬でも正妻は正室は無理でも側室にはなれるんじゃないですかね? 聞いたこと、ないですけど」 「そくしつ?」 「……ま、恋人みたいなもんですよ。あの人が貴方を大事にしている限りは、僕の立場からは無理です」 「じゃあ、君は? ハチ君」 「……様でいいじゃないですか」 「俺がヤダ。慣れないし、何か、メリさんが遠くて嫌。ヘムさんになんか言われたら、一緒に戦うから! お願い!」 「一緒にねぇ。戦力にすらなれないのに?」 「ヘムさんの前ではメリさんも同じじゃんか!」 「言いますね。ま、その勇気に免じて呼んでやらん事も無いですよ、ハチ君」  ハチ君!?  え! 今呼んだ!?  今、呼んでくれた!? 「さ……、流石メリさん、対応早いっ!」 「褒め方が駄目」 「何で!?」 「それに、喋ってないで早く食べますよ。ラーメンは麺がのびますから」 「……了解っ!」  何かさ、コレ、友達みたいじゃない?  勿論、ヘムさんやリリさんとも仲良い方だと思うよ。そもそも、仲良い人なんていなかったし。  でも、あの二人は友達って言うか、何で言うか……、別な感じなんだよね。  桃ちゃん達とも友達っぽいって思ってたけど、メリさんとはまた違う感じで……。  あ、これ、親友ってやつか?  一番、仲良いみたいな?  最近、一番一緒にいるし。  何かこれ、楽しいね。  凄く、楽しいね。 「何笑ってるんですか?」 「え? あー。ラーメン美味くて。メリさん、これからも色々教えてよ。メリさんと一緒にいると、新発見いっぱいで、楽しいねっ!」 「……そうですね。気が向いたら、いいですよ」 「えー」  意地悪な事言うじゃん? 「……次は、映画館でも行きますか」 「……気向くの、早過ぎん?」  ま、でも。 「行くけどねっ! 約束ねっ!」 「勿論です」  少しだけ笑うメリさんの横顔を見て、俺も笑う。  普通とは、違うかもしれない。  人と人外。同じじゃないけど。  けど、俺に取ってはこれが普通。  俺が憧れてた、テレビの中の世界に、俺は今いるかもしれない。  少しだけ、世界が期待と希望に満ち溢れている気がした。  ねぇ、ヘムさん。  俺を捨てる時は、殺してね?  失望と絶望の世界に、もう一人はやだよ。 「今日は二人とも、ご苦労。仕事の目処も、目出たくたったし、明日からは通常業務だ」  今日分の予約から帰ってきたリリさんが、チャーハンを食べながら俺たち二人に労いの言葉を掛ける。  本当に漸く落ち着いたのかー。  仕事って、本当楽じゃないね。 「リリさんもお疲れ様。お茶つぐね」 「有難う。ああ、それとハチ君、ヘムから連絡が来たよ。明日の昼の便でヘムが帰ってくるらしい。君の仕事は午前中迄で終わりだ。明日はメリに今迄の仕事を引き継ぐ作業に入ってくれ」 「え? ヘムさん帰ってくんの? 神様見つかったん?」 「空振りだった様だよ」 「そっかー」  そう簡単に行かないか。 「荷物も纏めて置けよ。そう言えば、部屋は見つかった?」 「あ、新しい家? うんん。てか、多分ヘムさん探してなさそうだったし」 「ま、ホテル暮らしでも困る事はないからな」 「でも、キッチンが使えない……」 「ああ、成程。君の事を考えると気持ちはわからんでもないな」 「それに、何か落ち着かないんだよね。なんて言うの? 人の臭いが行き来するの。何か、座敷牢にいた時の気分になるって言うか、なんて言うか」 「ここも大概だぞ? 大所帯だし」 「ここは、皆んな知り合いだし、話した事あるし、何か違うんだよね。座敷牢の時は本当に、人生において他人って言うか、さ。何か違うんだよ」 「意外に繊細だな」 「笑わんでよ?」 「笑わないさ。繊細さは時として優秀なセンサーにもなる。大事にしなよ」  リリさんがコップに注いだお茶を飲む。  あ、これも、今日で終わりなんだ。 「……でも、まだまだ、バイトしたかったな……」  ヘムさんとまた一緒に暮らせれるのは嬉しいけど、明日でバイト最後なのはちょっと寂しい。 「ん?」 「あ、いや。何か、ちょっと寂しくて。何時でも会えるのに、俺、何言ってんだろね」  あははって俺が笑うと、リリさんとメリさんが顔を合わす。  あ、もしかして、めっちゃ恥ずかしい事言ってる?  何か、おかしい事、言っちゃった? 「それは、ここの仕事が楽しかったからじゃないのか?」 「え?」 「まだバイトしてたかったと思うほど、楽しかったって事だよ」  リリさんが優しく笑いながらスプーンを俺に向ける。 「良い事だよ。それはとても、良い事だ」 「良い事、なん?」  おかしい事じゃないの? 「良い事、良い事。ハチ君は良い仕事ぶりだったからね」 「そっか。良い事なんだ……。何か、最初はずっとわかんない事ばっかりだったけど、メリさんが一つずつ丁寧に教えてくれた事出来る様になるの、楽しかったよ。ここにいる皆、大好きだし。寂しくなるの、変じゃないんだね」 「変ではないよ」 「あの、リリ様」 「ん? 何だ?」 「僕から一つお願いがあるんですが、いいですか?」 「メリのおねだりとは、珍しい。いいよ、言ってごらん」 「あの……、ハチ君をもう少しうちで働けれる様にヘム様へ掛け合っていただけないでしょうか?」 「えっ!?」  驚いた声を上げたのは、俺だった。  今、メリさん、俺の事……。 「何で!? 俺、滅茶苦茶、メリさんに迷惑かけまくったよ!?」 「彼がいて、実際助かったことは多々有ります。次の補佐が決まるまででいいんです。掛け合って貰えませんか?」 「ふーん。二人とも、随分と仲良くなったんだな?」  ニヤリとリリさんが俺たちを見て笑う。  いや、でも。アレでしょ? そんな事ないって、否定するでしょ? メリさんだし。  ま、わかってるけど……。 「ええ。随分と、絆されました。仲良くなったんじゃないですかね。一緒にヘムロックに喧嘩売ろうと約束するぐらいには」 「メリさん……。うんっ! めっちゃ、ガツンとヘムさんに喧嘩売ったろっ!!」 「あははははっ! 仲良すぎだろっ!」 「リリさん、鼻水っ!」 「化粧落としてから笑って下さいよ」 「無理言うなよ。突然わらかして来たのは君たちだぞ? いいよいいよ、いくらでも掛け合って上げるさ。可愛い私のメリの初めての友達なら、大歓迎だよ」 「え? じゃあ、俺、まだ此処で働いていいの!?」 「それはヘム次第だな。彼奴がどう出るかは知らん」 「俺もヘムさんにお願いするっ! 仕事、漸く覚えられたから、まだ終わるのヤダ!」 「勿論私も最善を尽くそう。約束するよ」 「やったー! メリさん、有難うっ!」 「……どう致しまして」  そう言ってコツンと当てた拳は、ちょっと痛かったけど、何よりも嬉しかった。  

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