35 / 191
第35話 自立
なんでもない日常が過ぎていく。キッチンにはアイリが立つようになった。ハルのエプロンはそのまま壁にかかったままだ。
「もう!お兄ちゃん!好き嫌いしないの!」
「あーもう!お前こそわざとだろ?!きのこは嫌いなの!」
ユウヒは綺麗にきのこだけ取り除いてはイライラしていた。それをアサヒが頭をゴチンと叩いて、食え、とひとこと言い、食べ終わるまで見ていた。
急に自立させられた2人は、泣いたり、甘えたりすることも無くなった。それと同時にカズキと2人の距離は一気に開いた。
「カズキ兄ちゃん…ラップしてたら食べてくれるかな?」
「あぁ。きっと食べるさ。…昨日も明け方まで診察してたから。ほどほどにっつってんだけどな。」
カズキは街のお金のない家庭や、施設を廻り、往診を開始した。
「まぁ…カズキがやりたかったことだから、させてやれ。子どもは深夜に熱発したり悪化するもんだからな。」
アサヒはごちそうさん、と言うとジャケットを取って先に出勤していった。
「アイリ、やっとくから準備しておいで」
「リョウちゃんありがとう!」
アイリはバタバタと準備を始めた。ハルが毎日ヘアセットをやっていたが、最近は髪を下ろして学校へ行っている。今日もサラサラと靡かせながら笑顔で手を振った。
(本当…雰囲気変わったよな…)
思い出せば恋しくてたまらない。叶うならあの日々を、と思ってしまう。ミナトの動きは変わらず、リョウタ達に指示する様子はない。リョウタにも焦燥感が募る。
(カズキさんが、仕事に没頭しすぎているのも心配)
「リョウタ」
「うわぁ!」
後ろからハグされて危うく泡まみれのグラスを落としかけた。そのグラスをサキの細い手が掴んだ。
「おっと…何、そんなにビックリして…」
「ご、ごめん!おはよう!こんな朝早くに…」
「今日は俺の当番だろ。ユウヒ学校に送ったら買物してくる。」
眠そうに欠伸をして、冷蔵庫に貼ってあるアイリのメモを取った。
「たまごの減りすごいな…。さすがユウヒ」
サキはクスクス笑ってタバコに火をつけた。
「あー!また!やめろよ!」
「あ?いいだろ、別に」
サキはハルの残していったタバコを吸ってからすっかりハマってしまった。リョウタはそれに眉を寄せる。
「嫌がんなよ。な?」
頭をガシガシ撫でられて、煙をかけられて思わず蹴りを入れる。
「痛ぁ!!」
「調子に乗るな」
リョウタは不機嫌になってサキを無視した。少し落ち込んだ様子のサキはタバコを灰皿に押しつけて、小さな声でいってきます、と言って出ていった。
「あれ?サキ兄は?」
「うわ!バカだな!ユウヒおいてってる!」
ユウヒに、走れと言うと嫌そうな顔をして追いかけて行った。
ユウヒは中学校に行く道中にあの組織のアジトがあるため、アサヒの指示で毎回誰かが送迎する。
(サキってば。落ち込んでユウヒ忘れたな?…全く、ガキなんだか大人なんだか)
洗い物を終えて、ラップされた朝食を見る。
(カズキさん…、今日も食べないのかな)
心配になってカズキの部屋をノックした。
しーん…
(寝てんのかな…?)
「…急患?」
久しぶりに聞いた声はなんだか弱々しかった。
(寝てたのかも!悪いことしちゃった!)
焦って何でもない、と言うと、また静かになった。
(良かった…起こしちゃったかと思った。)
リョウタは冷蔵庫にアイリが作ったカズキの朝食を冷やした。カズキ用の朝食は毎日、アイリが帰ってくる前に、レンやサトル、リョウタが処理していた。アイリが寂しがるからだ。
(心配だな…)
もう一度、静かなカズキの部屋を見た。
ーーーー
「っ、ぅ…っ、っ…」
ハルのブレスレットを握って、声を殺して泣くのが日課になった。かっこつけて送り出したはいいものの、耐えられない虚無感に襲われ、それを誰にも言えないでいた。
(何で止めなかった。何で連れて行ってくれなかった。僕以外のところへ行くなんて。)
ハルが選んだ道を肯定したいのに、否定したい自分。この葛藤が、情けなくて馬鹿みたいだと思った。何かをしていないと、恋しくて、会いたくて、触りたくて仕方ない。キッチンにあの姿がない時の絶望感を味わいたくなくて、アイリには悪いが朝にキッチンには行けなかった。一度用意された朝食を食べたが、往診の道中で吐いてしまった。それからは往診から帰ると、点滴と睡眠薬で眠るのが日課になった。そんな日々の1日は恐ろしいほど長く感じた。
ともだちにシェアしよう!