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第36話 極秘任務
大雨の日。レンに指示されて車に乗ると、サトルの運転でどこかに向かう。
「サトルさん?どこ行くの?」
雨が叩きつける窓を見ると、繁華街から少し抜けて、住宅街に入った。土地勘のない場所に、キョロキョロしながら街並みを見る。
「ここだ。」
立派なお屋敷の前に停まる。裏側なのか門は無い。高い塀と、立派な瓦屋根だけが見える。
「表側は警備が2人。ここは、カメラの死角。」
「はい。…新しい任務ですか?」
「…明日、ここにカズキさんを連れて行く」
「?どうしてですか?」
サトルは助手席に置いていたアタッシュケースから、ある薬品を取り出した。
「アイリに作ってもらった。嫌がってたけどレンが説得してやっと…。これは、ウイルスだ。」
「へ…?」
「ウイとユイが潜入してる。わざと感染した状態でな。」
「ウイと、ユイ?」
首を傾げると、あぁ、とサトルは説明しはじめた。
ウイとユイは双子の女性で、レンの部下だそうだ。リョウタと同じ歳で、この間まで海外にいたが連れ戻し、この任務に当たっている。
「この屋敷に何か?」
「ハルさんが組長になるそうだ。」
「…え?」
「聞いたんだろ?ミナトさんはハルさんを連れ戻したい。だからずっと俺たちは動いていた。潜入するのも難しくてな…顔の割れてるレンはどう変装したってハルにバレる。だから、あの2人だ。あの2人はハルさんと面識はない。」
サトルは淡々と状況を伝えた。ウイとユイがハルの妹、義美の側近になることが出来たようだった。義美はハルの前で、旦那が死んだことで憔悴したように見せたが、側近や、もともといた部下たちには虐待に近い横暴な態度らしい。
「自分より綺麗なウイとユイには当たりが強いようだから、もう時間はない。突入は簡単だが、武力で潜入すると、ハルさんとアサヒさんのツラを汚すことになる。…それでカズキさんだ。」
反社会組織は病院へかかりにくいようだ。そこを専門としているのはカズキくらいだった。ウイとユイから感染を広げ、医者にかかるしかない状況をつくり、何も知らないフリしたウイから医師の派遣を義美に伝え、組の病気での壊滅を恐れた義美は、すぐに呼び出したそうだ。
「カズキさんも、もう限界だから。早く事が進んでよかった。そこでだ、リョウタが看護助手で一緒に潜入しろ。」
「え!?」
「ワクチンを打つだけでいい。ただひたすら、患者の治療をしろ。」
「サトルさんの方が…」
「俺はウイとユイを見なきゃならない。頼む」
サトルに言われて緊張してきた。サトルから技術を習い、車で周辺を回ってアジトについた。
雨が止んだ次の日。
リョウタが緊張してリビングに行くと、久しぶりにカズキを見た。
「あ…カズキさん…」
「患者の数が多いようだ…。リョウタ、今日はよろしくね。しかし…どうして今頃こんなウイルスが…。」
(カズキさんは、どこに行くのか知らない?)
驚いてレンやサトルを見ると、首を振られた。
(ひ、秘密ってこと!?)
「リョウタ、基本はサトルから聞いたよね?重症患者は僕が診るから安心して」
「わかりました。」
リョウタは緊張しすぎて汗が止まらなくなっていた。白衣を渡されて袖を通すと、向こう側でサキが吹き出していてムカついた。
「リョウタ」
サトルに手を引かれて、耳元で呼ばれる。
「ハルさんに会えても動揺するな。あくまで治療で行くんだ。警戒させるなよ。…あと、カズキさん会わせてやって。」
「分かりました。」
カズキは疲れたように運転席に座った。リョウタはその隣の助手席に乗った。2人は何も話さず目的地についた。
「ご立派な屋敷だな…。閉鎖的だから蔓延するんだ」
珍しく吐き捨てるように言うカズキは、変わらず真顔だった。眼鏡の奥は本当は優しい目なのに、今は色を失っていた。そんなカズキにも緊張しながら、警備を正面から潜り、広い和室に通される。
「っ!?」
横たわる人々。咳き込み、発熱しているのか熱った顔。男女関係なく広い和室に一斉に寝かされていた。
「よく来たね。お医者様。報酬は弾むわ。20人が一斉に咳や発熱…。どんどん広がっていったのよ。」
厚化粧の女性が現れた。黒い着物でかっちりと纏めた黒髪。困ったように眉を下げ、所作は綺麗で美しい人にみえる。
「患者に処置をしてもよろしいですか?」
「あぁ。まずは私から。」
「?…はい。」
症状がないにも関わらず我先に、と腕を出した。少し見えた腕は、ハルと同じ刺青。カズキの手が止まった。
「どうしました?」
「あ、い、いえ…」
動揺しているのが手に取る様に分かる。リョウタは心配しながらも患者の処置に取り掛かった。
「完了です。しばらく抑えていてください。体調が悪い時には声をかけてください。」
「分かったわ。」
「では、患者の処置を開始します。」
カズキは淡々と仕事をこなした。リョウタは周りを見ながらハルの影を探した。
(ハルさんはどこだ?)
汗を拭いながら目だけで探していると、襖の向こう側で声がした。
「義美、みんなの容態はどうだ?」
(ハルさんの声だ!!)
リョウタは聞き耳を立てた。廊下で話しているのはハルと、義美という女将だ。
「他の人のことは分からないわ…私も体調を崩してしまって…少し気分が悪いの。」
「休んでいるといい。無理するな」
「ありがとう、兄さん」
リョウタは心臓がバクバクと騒がしくて、目を見開いた。カズキは気付いていないのか、ぼんやりしたままワクチンを打ち続ける。
パタン
「…っ!?」
ハルが襖を開けた気配がした。そして、ハルがリョウタとカズキを見たのも分かった。リョウタは知らないフリしてひたすら静かにしていた。カズキが新しいワクチンを取ろうと振り返った。
カシャン…
カズキの手から薬が落ちた。目を見開いて、その視線の先には、ゆったりとした黒の着物を着たハルがいた。
「ハ…ル…?」
「カズキ…、それに、リョウタも…?」
ハルの声を聞いたカズキは道具を全部投げ出してハルに駆け寄った。
「ハルっ…」
パシン!!
「組長に触るな」
あと一歩のところで、カズキはハルに触れられなかった。メガネが音を立てて畳に落ちた。リョウタは咄嗟にカズキを支える。
「なんですか、あなたは。」
「…っ、」
「何故泣いて?…ただの闇医師ではないんですか?」
「っ…っ、」
力が抜けそうなカズキを支えて、リョウタはどうすればいいのか分からなかった。
「弘樹、ただの医師さ。…誰かと間違えたのだろう。…よくあることさ。」
「しかし…っ、最近は、桜井アサヒの部下共が周りを徘徊しています!組長を狙いにだとすれば…っ」
「大丈夫だ。弘樹が心配することはない。」
ハルは弘樹と呼ばれた金髪の少年の頭を撫でた。カズキはそれを見て歯を食いしばった。
「お医者様、家族の治療、頼みます」
それだけ言って去ろうとしたハルの左手首をカズキが握った。手に触れた金属に、カズキは目を見開いた。
「貴様!組長に触るなと言っているだろう!殺すぞ!」
弘樹が血相を変えて銃を取り出す。それには一切目を向けず、カズキの目からは静かに涙が流れた。ハルはカズキを見て、あの日々のように優しく笑った。
「弘樹、少し外してくれるか?…この医師と話したい」
「いけません!側近として、貴方のお側を離れるわけにはいきません。」
「こんな戦意もない医師だ。俺が対処できないはずはないだろう。お前まで…俺が堕ちたと考えているのか?」
いえ!と元気よく言った側近の弘樹は、銃を収め、お辞儀をして襖を閉めた。
「……」
「カズキ…俺に会いに?」
「知らなかった…!会えるなんて思ってなかった…。もう…二度と…会えないと思ってたから…っ、」
「…そうか。」
「ハル…僕…限界なんだ」
「……!」
「ハルを、応援したい。ハルのために僕なんか引かなきゃいけないの、分かってる…。分かってるけど…っ!僕、」
「カズキ、頼む、言わないでくれ」
「僕、ハルのそばにいたい」
ハルは目を見開いたあと、カズキの手首を掴んで引っ張り上げ、激しいキスをし始めた。
「ンッ…っ、ハル、ハル」
「カズキ…ごめん、カズキ」
キスしながら謝るハル。リョウタは2人の世界にする為にカズキの分まで治療をした。
「っ!」
(誰かくる!)
「ハルさん!」
リョウタの声かけに2人は止まり、身体を離した。襖から鬼の形相をした義美が現れた。
「兄さん?その方お知り合いですか?」
微笑む義美の後ろから、日本刀を持った2人の男が現れた。
「兄さん、私がいるのにひどいじゃありませんか。また私を独りにするの?」
(バレた!マズイ!!)
焦るリョウタに、ハルは笑って落ち着く様にと合図した。
「義美、体調は?」
「今は薬が効いてるの。…それに、兄さんに穢れが付く気がしたの。起きてきちゃった。」
甘えるようにハルに寄り添い、そしてカズキを見て嘲笑う。
「早く、兄さんの子どもを身籠りたいわ」
「っ!!」
「兄さん、今夜も優しくしてくださいね?」
ハルの首筋に顔を近づけ、真っ赤な口紅が残った。戦意喪失したカズキは、そうですか、と静かに呟いた後、眼鏡を取り、残りを処置して、ハルを見る事なく帰る支度をはじめた。相変わらず義美はハルにベッタリで、いつまでもカズキを見て嘲笑っていた。
「ありがとうございます。お医者様」
「助かったよ、本当にありがとう」
義美とハルの御礼に、カズキは何処も見ないまま頭を下げた。
『リョウタ、いいか、そのまま…そのままカズキさんを外に出せ』
ミナトではなく、レンの声に驚いたが頷き、恐る恐るカズキの後ろを歩き、ハルを隠す様にする。すると、ピタリとカズキの足が止まった。
「ハル!!幸せになれよ!!」
カズキは空に向かって大声で言うとスタスタ外に向かって歩き出した。
「兄さん!!」
義美の大声を聞いてリョウタが振り返ると、ハルがリョウタの隣を駆け抜け、前を歩くカズキを引き止める様に強く抱きしめた。
「…どうしたら…いいのか、分かんなくなる。お前の顔見るだけで…全部崩れそうだ」
弱々しく、苦しそうなハルの声。
『リョウタ、急いでカズキさんを連れてきて!』
指示と共に、周りを囲まれそうな空気に無理矢理カズキとハルを引き剥がし、カズキの手を取った。
「ハル!僕は、今もっ…」
すぐにカズキを車に乗せて、猛スピードで出発した。車内で過呼吸になるほど大声で泣いたカズキはずっと窓やドアを叩き、泣き崩れた。
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