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第87話 アサヒとマヒル①
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キーンコーンカーンコーン
「起立!」
「こら!桜井アサヒ!号令かかってるよ!」
高校1年の頃、アサヒは任務と学業の両立行なっていた。1番辛いのは朝の睡魔との戦いだった。どんな任務よりもきつくて、いつの間にか意識がなかった。
隣の席の幼馴染、アイラがべしべしと頭を叩いてくる瞬間は毎度のことながらウザすぎて殺したかった。
目を開くと、もう!と笑う顔が可愛いから許していた。
「次は体育よ!遅れないようにね!じゃ!」
「ゲ!体育着忘れた。アイラ、貸して」
「はぁ?馬鹿じゃないの!?あんたが入るわけないでしょ?」
「大丈夫、お前巨乳だから…ぶはぁ!!」
「さっさと死ね!」
夫婦漫才だと笑われてはため息を吐いた。
(まぁ…いずれ夫婦になるんすけどねー。)
小さい頃から結婚相手が決まっていた。昔は意味が分からなくてただ遊んでいたけど、思春期になれば意味は分かる。
(本当、俺たちって可哀想だよな)
窓からアイラが愛おしそうに見つめるのは、アサヒの妹のマヒルだった。中高一貫の私立学校。中2のマヒルはグラウンドで友人たちと楽しそうに体育の片付けをしていた。
少し前のことだが、アサヒはミナトに悪戯しようと隠れていた時、偶然見てしまったのだ。
(は!?アイツら…キスしてねぇ!?)
優しくマヒルを見つめるアイラと、恥ずかしそうに笑うマヒル。マヒルの黒髪を撫でて、愛おしそうにアイラが口付ける。顔を真っ赤にして、蕩けそうな、マヒルのあんな顔見たことなかった。
一族の中でも珍しく女の子らしい妹。優しくてめちゃくちゃ頭が良かった。母親に似て美人で、よく誘拐されたりナンパされたりしていた。必ずアサヒとアイラで相手をコテンパンにしていた。
「アサヒ。体育着。」
いつの間にそばにいたのか、ミナトが小さな声で体育着を渡してきた。
「わぁ!ミナトじゃね?」
「ミナトちゃーん?こっち向いて?」
「美しいよなぁ…」
「うっせぇな!ゲスども!殺されてぇのか」
「うげっ!逃げろ!アサヒがキレるぞ」
アサヒは舌打ちしながら体育着を受け取った。ミナトは保健室登校だったが、たまにこうして教室に姿を見せると男子たちの目を釘付けにした。
(俺のミナトを視界に入れてんじゃねぇよ)
暑い夏に大きめの長袖カーディガン。真っ白な肌。幼さの中に色気が見えて、アサヒもゴクリと喉を鳴らす。
たくさんの視線を集めて、思考停止したミナトは下を向いてぎゅっとアサヒの服を握る。
「アサヒ…ッ」
(あ、やば!)
アサヒはグイッと手を引っ張って保健室に走った。
「アサヒ、授業始まっちゃう」
「いいから!お前優先!」
パニックを起こす前に保健室に預けて、遅刻して授業に向かった。ミナトが心配で、顔面にバスケットボールを受けてしまうほど、アサヒはミナトのことで頭がいっぱいだった。
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校舎の中庭でアサヒは鼻血を乱暴に拭う。
「痛たた…」
「もう…お兄ちゃんてば!あはは!」
「笑うなマヒル!アイラとミナトには言うなよ」
鼻血が止まらなくてマヒルを呼び出して処置してもらう。言わないよ、とまだ爆笑しているマヒルにイラつく。
ボブの黒髪を揺らして、笑いすぎて出た涙をほそい指で拭っていた。
2人して次の授業をサボって、マヒルにお礼をとジュースを奢る。
「ねぇ、お兄ちゃん。」
「あ?」
「アイラさんと、結婚するの?」
「…まぁ、親父が決めたからなぁ。」
「そか…。なら、私、ミナトさんと結婚していいかな?」
「はっ!?」
ジュースを吹き出してマヒルを見ると、辛そうに笑っていた。
「絶対、アイラさんを幸せにしてよね!だから…ミナトさんは私に任せて」
「いや…いや。お前、お前だって決められた奴と…」
「ミナトさんは私が責任をもって幸せにするから!安心してアイラさんを幸せにして!」
マヒルは、お兄ちゃんにしかできないんだから!と笑った。その顔には自信が見えた。
「だからさ、お兄ちゃん。そろそろ、アイラさんだけ見てよ。私も、ミナトさんだけ見るからさ。」
「な…に言ってんの」
「そんでさ、みんなで…4人で暮らそう?楽しそうじゃない?私たち仲良いし!私とミナトさんが揃えばお兄ちゃん達も仕事しやすいかもよ」
マヒルの提案に驚く。仕事をしやすい、ということは親父とは別で、という意味だろう。
「お父さんの、やってること、私おかしいと思うの。恐怖を与えてお金を取って組織を大きくしてさ…。これって誰のためなの?誰か幸せになってるのかな?」
「それ…は。」
「お金払って、私たちに依頼してくる人ってさ、理不尽だと思わない?」
「マヒルやめろ!」
アサヒは壁を殴って話をやめさせた。命懸けの任務がまるで無駄だと言われたようで殺意が沸いた。
「意味がないって言うのかよ!」
「そうよ。意味がない。」
「俺たちが食っていける、それだけで十分だろ」
「力だけ付けて、恐怖心を煽って金を巻き上げる。そんな仕事、私はしたくない。」
「勝手にしろ!自分が安全に育ったのは守られてるからだろうが」
「安全?馬鹿言わないで」
マヒルの目が紅く変わる。マズイとは思ったけどアサヒは間に合わなかった。いつの間にか地面に寝て、その上にマヒルが乗る。
「生きていて安全だったことなんて一度もない。何度も拉致られて、何度も大人の汚い取引を見てきた。どうせいつか殺されるなら、動けるうちに幸せになりたい。誰かを、1人でも幸せにして死にたい。」
「マヒル…」
「お兄ちゃんは、期待されてるし、次期当主だし…さっきの提案が飲めないことも分かってる。ただ、アイラさんを不幸にしたら絶対に許さない。お兄ちゃんを殺すから。」
マヒルの目の色が茶色に戻って、なんてね、と笑う。立ち上がって、背を向けたマヒルの肩は震えていた。
「お兄ちゃん、お母さんも連れて、逃げよう」
「…は?」
「昨日、お兄ちゃんが任務の時、お母さんお父さんに殴られてた。お父さんに毒を盛ろうとして
「は!?毒?なんでっ…」
アサヒは驚いてマヒルの背中に問いかけた。相変わらず震える肩。
「お父さん、ミナトさんのお母さんが欲しかったみたい。フラれたから任務で惨殺したんだって。」
「は…?」
「信じられないよね?でもお母さんは、おかしいと思って調べていたみたい。何の報酬もないのに、優秀な外交官一家を惨殺。」
「だ…って、あれは…あの一家が情報を…」
「何の?」
振り向いたマヒルは、静かに涙を流した。
「俺たちの、大事な…情報を…」
「それは、何?」
「知らないけど…」
「大事な情報。それはね、お父さんが、ミナトさんのお母様に言った内容だよ。金をやるから俺の女になれ、海外の情報を旦那からとって横流しにしろ、武器を脱税して横流しにしろ。」
マヒルは淡々と話した。母親といつも一緒にいるから情報を聞いているのだろう。
「もちろん、ミナトさんのお母様は断った。当たり前よメリットがない。そしたら、任務でお兄ちゃん達が殺したの。」
「そん…な。嘘だ!お前!誰にそんなこと!」
「ミナトさんの仇は、お父さんと、お兄ちゃんだよ。」
アサヒは目の前が真っ暗になった。
「皮肉だよね。お父さんが惚れた女の人と同じ顔に、お兄ちゃんも惚れるなんて。」
「っ!」
「よく考えて。お兄ちゃんがこれから当主になるってことは、全部背負っていくんだよ。」
言い捨てて去っていった妹の言葉はアサヒには重すぎて立ち上がることすらできなかった。ただ、真実を確かめたかった。
カタカタと手が震えて、あの感触がリアルに思い出される。豪邸に幸せそうに暮らす家族を襲ったあの日の血の匂いも。血塗れになって僕も殺して、と叫ぶ声も。
「くっそ!嘘だ!嘘だ!」
握った拳から血が流れた。
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