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第90話 アサヒとマヒル④

「おぎゃぁああああ!」  病室に響く産声。  安心したのと、アイラへの激励の気持ちで感極まった。隣にいたミナトに支えられて、号泣しながらアイラへ駆け寄った。  「アサヒ、男の子。」  「うんっ!うんっ!」  「あっはは!しっかりしなよー!父さんになるんでしょ!」  「アイラッ…よく、頑張ったなッ」  「ほら、抱いてあげて」 泣きじゃくりながら抱っこしたのはユウヒ。命の重さを感じて抱きしめた。  ミナトも涙を拭いながら恐る恐る抱っこして、ふわりと笑い、ツンツンと頬を突いた。  ガラガラッ  「マヒル、男の子」  「そっか…良かった。」  マヒルは待合室で待っていた。  アサヒの泣き腫らした顔を見て、もう!と笑いながら涙が落ちた。  「幸せそうな顔してー!」  「いいだろ。幸せなんだから。」  「あはは!ごちそうさまーっ!」  行こう、とミナトの手を取ってマヒルはズンズン歩いていった。  「…ごめんな、マヒル」  アサヒの呟きはマヒルには届かなかった。  とりあえず、アサヒ達は大人しくしていた。  準備ができるまでは次期当主になるように見せかけて、結婚をし、長男も生まれた。  あの日から相変わらず母親は殴られてばかりで、母親も、マヒルも壊れそうだった。  (早くしないと、早くしないと。)  一人で焦っては、アイラに落ち着けと言われた。紛れもなくアイラはアサヒの1番の理解者だった。 「じいじ、抱っこ」  ユウヒは何故か親父に懐いていた。ご機嫌になる親父に組織全体が安心して、母親も殴られなくなった。ユウヒはまさに組織のアイドルだった。特に、ユウヒはマヒルが大好きだった。  「まーる、まーる。」  「ユウヒーっ!お前はなんて可愛いんだっ!」  マヒルを見つけると、誰の腕の中にいても這い出してはマヒル向かった。マヒルはユウヒに頬擦りして可愛がった。 「マヒル、お前もさっさと結婚しろ!いつまでもこの家で何をしている」  「…すみません。」  「この間の縁談も自らお断りするとは何様だ!!歳だけ取るつもりか!」  「…私には勿体ないお方でしたので。」  パシン!!  「っ!や、やめてください!ユウヒの前です」  「うるさい!母親の真似事して満足か!使えない屁理屈ばかりの女には虫唾が走る!お前もアイラのように気丈な態度はできんのか」  だから1人なのだ、と言われてマヒルの目が変わる。  「じいじ!めっ!」  ユウヒが親父に怒る。そして、マヒルの赤く腫れた頬を撫でた。  「いたーいいたーい」  マヒルはユウヒを抱き上げてその場から逃げた。  「まーる?」  「ユウヒ、ユウヒ」  ユウヒは涙が零れ落ちるのを不思議そうに見ていた。  アイラが2人目を妊娠して、女の子が誕生した時、親父は怖いほど喜んだ。  「なんて可愛い子だ。」  「ありがとうございます。アイリと名付けました。」  「君にそっくりだ。気丈な人になるだろう」  親父はアイリを抱きしめては可愛い可愛いと言い、完全にマヒルに懐いたユウヒには、興味を示さなくなった。 アサヒとアイラは目を合わせた。  時は来た。  アイラの退院と共に、この組織を抜ける。  7人で。  ミナトとマヒルの準備は完璧だった。先にアイラとアイリ、ユウヒ、ミナトがアジトに移った。場所は小さな無法地帯。アサヒも密かに準備してそこのシマを整備していった。  マヒルとアサヒは、母親を連れ出すことが1番の試練だった。監禁に近い状態の母親。そこにはたくさんの部下がいて、マヒル以外会うことが許されなかったのだ。  「母さん、先日からグッタリしてるの。お兄ちゃん、間に合わなかったらどうしよう。」  「その時は置いていくしかねぇよ。俺たちには待ってる人がいる。」  「ヤダよ。絶対連れて行きたいの。」  「全員死ぬか、1人死ぬかだ。」  ギリギリまで口論して、まずはマヒルからその独房に向かった。  (遅い…何やってんだ)  マヒルからの合図が来ない。  ミナトにも連絡が来ていないようだった。  冷や汗をかき、アサヒはゆっくりと独房に降りる。  (何で…誰もいないんだ?)  あり得ないほど静まり返った道のり。いつもは部下がわらわらいるはずだが、誰一人いない。  (まさかっ!!)  勢いよく独房に入ると、そこには親父がつまらなさそうにこちらを見た。 「遅かったな、アサヒ。お前の勘の鈍さには笑えるよ」  「マヒル!!!」  意識を失っているのか動かないまま倒れている。  「お前たち。何をしようとしているのだ。」  「…俺たちは、ここを抜ける」  「まさか、次期当主が反乱とはな。」  「まさかじゃねーよ。知ってて泳がせたんだろ?」  「この死に損ないの部屋にあった薬の資料は何処だ。」  「何だよそれ。俺は見たこともねーよ。」  「だろうな。お前の妹が持ち出したんだろうなぁ!!」  マヒルを蹴り上げて、アサヒは慌ててキャッチした。  「マヒル、今それを渡せばお前の命だけは助けてやろう」  「渡しません…っ、ごふっ…」  パタパタと吐血するマヒルは、それでも親父を睨んだ。  「あなたが…母を還せば考えます」  「ふざけるな!死に損ないは取引の対象にならん!こいつはもうお前が来る前に殺しておいた。もうこいつの知識も用済みだ!あとは、お前が持っているデータのみ。さぁマヒル、今反省したら許してやろう」  マヒルはカタカタと震えた。  遅かった、遅かったと呟いた後、親父を見て笑った。  「死ね。老ぼれ」  親父が向かってくるのを躱しながら、アサヒはマヒルを抱き抱えて撤退する。母親がいないならここにいる意味はない。早くアジトに戻らないとマヒルが危ういと判断した。  「お兄ちゃん、待って、母さんが!」  「もう死んでんだ!仕方ねぇ!」  「仕方なくない!母さんと約束したもん!連れていくって!」  「頼むから黙れ!今それどころじゃねーよ!死にたいのか!あいつらが待ってるのに!」  わらわらと現れる部下達を蹴落として、マヒルも抱えて必死だった。 「アサヒ。」  喧騒の中で、親父の落ち着いた声に振り向いた。  「お前が大人しく戻るなら、マヒルも母親も助けよう。」  「…は?」  「マヒルはもう間に合わない。だが、お前が戻ると言うなら、すぐに治療をしよう。」  (母さんも…?死んだはずじゃ…?) アサヒは目を見開いて迷った。  母親も、というところが引っかかるが、マヒルが助かるかもしれない。ただ、その後の仲間はどうなる? 「お兄ちゃん、嘘よ。」  「マヒル」  「お兄ちゃんを元に戻すための嘘。あいつは、お兄ちゃんしか見てない。お兄ちゃんは、やるべきことを忘れないで」  「やるべきこと…」  「ここを出ること、そして、アイラさんと、みんなを幸せにして、守ってね」  「何言ってんだ、それはお前もっ…」  パンッ  思わず顔を上げると、ニヤつく親父がいた。  「だから、頭脳だけのやつは使えないんだ。可愛げもない、自分が気を許した人にだけ固執する。データを渡さないならこいつの頭を飛ばせばいいだけだ。」  マヒルはもう、動かなかった。  (ブチン!!)  アサヒは、マヒルをそっと床に置いて、身体が熱くなるのを感じた。今までにないほど大暴れをして、親父の部下をほとんど殺した。  「テンカ。壊滅する前に引け。身内の闘争は恥じゃ。」  「斎藤。」  「お前への批判ではない。戦力が半分以下になったことが知れれば、他の組みが集結してこちらに向かう可能性もある。今のバランスを崩す必要はない。アサヒが大きくしたシマを後で吸収すればいい話。」  先代の側近が、ゆっくりとテンカに助言した。テンカはふむ、と考えたあと、勝手にしろと去っていった。 死体が転がる屋敷から、マヒルと母親の遺体を持ってアジトについた。  「マヒルッ!マヒルッ!!嫌だよ!置いてかないでよ!マヒル!ねぇ!起きてよ!!やっと一緒にいられるのに…っ!マヒル!マヒル!!」  アサヒは、泣崩れるアイラをぼんやりと見ていた。何も分からないユウヒが、起きたらマヒルと遊ぶんだと笑う姿に張り裂けそうだった。しばらくアイラは憔悴して、ミナトがアイリの子育てを代わっていた。 これが、俺たちの始まりだった。  ーーーー  「そんな…。」  「だからさ、何かうまくいかないなぁーって思ったらこれを開くのさ。しっかりしろ!って怒られてるみたいになるんだよ。」  「マヒルさん…この人が、アサヒさんの妹。」  「そ!可愛いだろ?意外にやり手よ?シンヤも危ないからってマヒルが言ってたけど、その通りだったよ。ちなみに、この本が、母親のデータ。マヒルがアイラに預けてて、アイラからアイリに受け継がれてるってわけ。」  レンとサキは手書きのその本を撫でた。たくさんの人と想いが繋いでいる今に感謝をした。  「マヒルはアイリ見てないからなぁ…見せてやりたかったよ。アイラにそっくりだからな。」  少し潤むアサヒの目を見て、レンとサキはふわりと笑って抱きしめた。嫌がるアサヒにグリグリと頬擦りして精一杯アサヒを癒した。

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