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第32話

「あ、はい、すみません」 天沢は体制を崩した未緒を片手で抱き留めながら壁に掛かった時計を見た。 「約束の時間にはちょっと早いけど、榊様も今日をそれは楽しみにしているそうだ。予定より早くご到着するかもしれないから、そろそろ離れの菖蒲の間に行こうか」 体がドキッとした。 「もう、…行くのですか?」 体が震えそうだ。 天沢が未緒の頭を二回撫でた。 「ここではご指名のお声が入っている受け子は、ご主人様より早く床で待つのが決まりなんだ」 そう言うと、天沢は未緒の手をとった。 「この本館から離れの菖蒲の間は、小川を橋で渡った先にある。こっちにおいで」 天沢に手を引かれ、慣れない底の高い下駄のバランスを取りながら、窓へと足を運んだ。 「見てごらん。君がこれから行くのは……、君がこれから行くのは……、要君、菖蒲の間って、どれだっけ?」 窓から見た下の景色には、数軒の離れ家が立ち並び、その間を小川が流れ、それを橋で渡れるようになっていた。 「先生、菖蒲の間はあちらです。そろそろ覚えてください」 「いや~、ごめん、ごめん。だってどれも同じような建物だから、どうも未だに見分けがつかないんだよ」 天沢は方向音痴だった。 たまに治療の為、離れの間へと呼ばれることがあるが、一人では辿り着いたことがなかった。

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